「彼女の気持ちもわからないじゃないが、到底、野放しには出来ない。他の 誰にも罰することも、止めることも出来ない以上、僕がやるしかない」 「娘、なんだろう? 間北と別れた頃って言ったら、おまえは未だ大学生で」 「お父さん。彼女の年齢を知っても、意味なんてないよ。確かに戸籍上の年齢 は若いけれど、身体は動かない。それにも関わらず、魂は自由に行動出来る。 例え、身体がアメリカの病院に置きっ放しであっても、お構いなしにね。彼女 がそんな芸当をこなせるようになったのはわりと最近だ。初心者クラスの今で さえ、お婆様やミーヤに感知され難い行動を取るつわものなんだよ? 数年も すれば、自力のみで時空を移動出来るようにだってなりかねない」 「そ、それでも、おまえの娘なんだ。先ずは会って、話を」 「お父さんは本当にお人好しだね。それじゃ、やっていけないんだよ、こっち 側ではね」 不意に楓は表情を緩め、微笑んだ。 ___いけない。 麻木はミーヤの目を思い出しながら、同時にユーマの言葉を耳に蘇らせた。 楓には弟達と同じことが出来る。楓はミーヤのように麻木に暗示を掛けること も出来る。いや、この時には既に完全なる“指示”を与え終えていたのだ。 ___ああ。 麻木は思い出していた。 あの夜。店の奥で働くカホが振り向いた時。彼女はあたかも自分が呼ばれた かのように振り返り、麻木を見た。まるで麻木が彼女の名を呼びでもしたよう に。麻木は彼女が自分を見据えた瞬間、何と不思議な目をしているのだろうと 思った。湖面に浮かんだ月明かりをかき集めたような、静かな、しかし、常態 を逸した光を湛えた瞳。この目だった。麻木は身動きも出来ず、ただ、楓の瞳 を見つめる。もう一つの夜にも。『わたしと結婚して欲しい』 そう、カホに 言わせたのは麻木でもなければ、あの月でもなかった。彼女の腹の中にいた楓 自身だったのだ。 「長い間、ありがとう。おかげで独りぼっちにならずに済んだよ。これからは 玲子さんと幸せにね、お父さん」 ___玲子? なぜ、楓は息子を失った母親の名を持ち出すのか。それすらわからないまま、 麻木は自分の右目の端から何か、温かいものが流れ落ちるのを感じ取っただけ だった。立ち去る男を呼び止めることはもう、叶わなかった。 ・・・ 「待ってよ。ひどいじゃないの。何で、そんなに怒るのよ」 「電話一本、入れてくれれば済むことじゃないか。事故にでも遭ったかと心配 するだろう」 「まさか、バッテリーが切れるなんて思わないから」 「あんた、どんな山奥に出張していたって言うんだ? 捜せば、どこかに公衆 電話くらい、あるだろう」 「あぁ。忘れていた」 「どこに何を忘れたって言うんだ?」 「公衆電話なんて、使わなくなって久しいでしょう。そんな物が今もあるんだ って現実を忘れていたわ」 「いい加減なことを」 「信じなさいよ、こら」 暦に従い、冬服に着替えた女子高校生達がその二人組とすれ違う。 「また、もめてる、あの二人」 「近くに住んでいるんだろうね、よく見るもんね」 「ケンカするほど仲がいいってやつだね」 三人は一斉に笑った。 「いい歳して。でも、おばさんの方は綺麗だよね。バリッとして、実業家って 感じ。何で、あんなむさい禿げオヤジと付き合っているのかね、物好きな」 「どっかいいとこ、あるんでしょ」 「すっごくお金を持っているとかぁ」 「ないね。こないだ、孫みたいな子供連れて、そこら辺、歩いていた」 「スーパーとか、いるよ、子供連れで」 「それじゃあ、無償の愛を捧げてくれているとかぁ」 三人は一層、大声を上げて笑う。 「似合わない」 「吐く」 「それよか、今日は何の日だ?」 そう聞かれた二人は笑い顔を更に歪めて笑った。 「涼のニューシングルの発売日。特大ポスターは抽選なんでしょ」 「そうなんだ。当たるかなぁ」 「ヤマダ マヤには無理」 「何でよぉ?」 「だって、あんた、こないだまで誰だっけ、何とかっておじさん歌手のファン クラブに入っていたじゃない? 最年少会員だったことがあるって、自慢して いたくせに」 マヤは口を尖らせる。 「何よ。るみちゃんも昔、入っていたんだよ」 「ああ。るみちゃん。るみちゃん、可愛い。あたしもあんなふうになりたい。 デパートの店員さんから大出世アイドル。あやかりたい」 「無理だ」 「顔が違い過ぎる。胸もない」 ケタケタと笑いながら、なじみのCDショップへ向かう彼女達の頭上に雨粒が 先ず、一つだけ落ちて来た。 五十六億七千万粒の雨 完 |