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 まどろみながら、ウィルはそれでも懸命に考える。毎日、同僚達が熟睡して
いるだろうこの時間に安眠出来ないのは、きっとうっすらとした恐怖心がある
からだ。もうじき自分は否応なく、あいつに起こされる。日々の経験から身体
がそう知っていて、恐れているからこそ、こうして眠りきれずに結論の出ない
ことばかり、考えることになるのだろう。
だから、引っ越ししたいなんて切望するんだよ。オレにはここにいる、いや、
いなきゃならない理由があるっていうのに。
今朝もウィルはジャガイモを茹でる独特の匂いに目を覚ました。こうなること
は予め、わかっていたつもりだった。何しろ、毎日のことなのだから。だが、
日々の疲れからつるりともう一度、深く眠った後、その匂いに起こされるのは
不本意であり、極めて不愉快でもあった。束の間、こうなることを忘れ、眠り
こけた自分が不甲斐なくもある。
“あいつ”、今日も生きてやがる。冗談じゃないぜ。ったく。
 腹の中で毒突いてみた。だが、実際、今日まで、ただの一度も、彼女本人に
向けて、同様のことを言った覚えはない。
言えるかよ。
何しろ彼女はウィルにとって数少ない肉親、叔母なのだ。その上、叔母である
彼女は毎朝、甥っ子ウィルのために“朝食を作ってくれる”。そこまで考えて
ウィルは勢い良く起き上がった。このまま“彼女”を、シャロームを野放しに
して置くわけにはいかない。
何が叔母さんだよ? とんだ疫病神だ。諸悪の根源じゃないか!
あの朝。
彼女が箒を握り締め、摩訶不思議な出で立ちで、この安アパートの薄いドアの
前に立つまでウィルは幸せに暮らしていた。早朝の予期しない呼び鈴を訝しく
思いながらウィルはドアを開け、そして仰天せざるを得なかった。
 薄寒いそこ、幸せが入って来るはずの玄関の先に立っていたのは魔法使いの
ように箒を手に握った、生まれてこの方、数回しか会ったこともなかった叔母
だった。彼女はにっこりと笑い、そして、こう言った。
『おはよう、ウィリアム。今日から、わたし、あなた方と一緒に暮らします。
よろしくね』
 祖父は生前、言っていた。シャロームは気違いだ、と。それも確かに真実だ
が、しかし、完璧な表現ではない。もし、いつか死後の世界とやらで、祖父に
再会することが出来たなら、ウィルはきっちりと訂正してやろうと思う。
『祖父さん、正解を教えてやるぜ。あんたは言葉が足りなかった。正しく言う
なら、あいつ、シャロームは“疫病神”なんだよ』と。
キッチンに立ちこめた湯気が廊下にまで溢れ出て、そこら辺中に漂っている。
その匂いがウィルの足取りを一層、乱暴なものに変えて行った。実際にウィル
は彼女が来るまで、別段、ジャガイモを嫌いではなかった。それは食べ慣れた
当たり前の食物であり、それに対して、自分が何らかの感傷を抱く日が来よう
などと考えたこともなかった。だが、彼女が来て四日目には、ウィルにとって
ジャガイモは憎むべき、大嫌いな食物となった。そして、今では悪魔の食べ物
だと固く信じているくらいだ。
理由はたったの一つ。
悪魔のシャロームは毎朝、決まった物しか食べない。そして、彼女にとって、
自分が食べる物、それは皆が食べる物だった。 

 

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