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 ずっと胸に秘め、燻らせながら、一度も口に出来なかったセリフをようやく
ウィルはシャローム本人に叩き付けることが出来た。無論、言ってはならない
ことと承知していたつもりだ。だが、そんな気遣いなり、遠慮なりを怠っても
今、言わずにはいられなかった。シャロームは傷付くかも知れない。それでも
いつか、ウィルが自らの口で言わなければならないことだった。ウィル自身、
愛する妻、アリスや息子、ショーンと再び一緒に暮らしたいと切望している。
そして、その実現のためには、あくまでも自分を曲げようとしないシャローム
を排除しなければならなかった。
いや。シャロームさえ、ほんの少しだけ改めてくれたら。オレだって、行き場
のない叔母を寒空の下、放り出すようなこと、望んじゃいないのに。
過去、一度や二度は彼女の変化に期待してみたこともあった。しかし、三年、
彼女と一緒に暮らしてみて、改心など有り得ないことだと、とうに身にしみて
知っている。
オレはずっと精一杯、我慢して来た。愛する妻と別居してまで叔母を守って、
今日まで我慢し続けたんだ。だけど、さすがにもう限界だし、限界とわかった
以上は早い方がいい。それが結局、お互いのためなんだ。
 シャロームならきっと、入信しているその信仰に身を捧げ、それなりの幸福
を得て、生きて行けるだろう。今は甥に決別を迫られ、辛いだろうが、彼女に
は精神的な逃げ場がある。立ち直るきっかけはすぐそこにあるのだ。
かわいそうだけど。でも、お仲間の作った施設か、何かがあるんだろ? そこ
に身を寄せれば、気も紛れるし、その内、元気にもなれるんだろ? だって、
もし、あの日、オレが最初っからすっぱり、断っていたら、あんたはその足で
教団の施設か何かに行くつもりだったんだろ? だったら、肉親として三年も
一緒に暮らしたんだ。もう、十分なんだよな? オレが罪悪感に苛まれるよう
な、そんな必要はないんだよな?
 往生際悪く、ぐだぐだと自分に言い訳し続けるウィルを尻目に、シャローム
本人は動揺するどころか、ごくすげなく吐き捨てた。
「かわいそうな子」
かわいそうな、子?
一拍あって、それからウィルは目を瞬かせた。かわいそうなのは自分の方なの
ではないか? 数少ない肉親の家から放り出されようとしている自分こそを、
かわいそうと評する、それが普通なのではないか?
それを何だって、オレがかわいそうってことになるんだ?
「あなたは本当に不憫な子だわ、ウィル。だって、“向こう”はあなたのこと
なんて、とっくに忘れているというのに。その彼女を今も愛していて、一緒に
暮らしたいだなんて。何てかわいそうな夢を見る子なんでしょう」

 すぐには言葉も出て来なかった。シャロームの表情や声音がいかにも真実を
語っているように見えてしまったからだ。まるで、事実を知らないのはウィル
一人だけで、それが痛ましいかのように、彼女は同情を込めて言ったのだ。
「何、言ってるんだ? おかしなことを言うなよ。アリスがオレを忘れている
だって? そんな馬鹿な。だって、今でもきっちりと手紙が届くじゃないか? 
約束した通り、オレに手紙をしたためてくれているじゃないか?」
お馬鹿さん。
その言葉をシャロームは呑み込んだらしい。彼女は大人らしく微笑んだ。
「月に一通の手紙くらい、誰でも書きますよ。大した労力じゃないんだから。
あなたはショーンの父親なんですからね。息子の近況を聞く権利があるでしょ
う。第一、向こうは養育費を受け取る必要があるんだし」
「か、金目当てだって言うのか? 嘘だ。だって、愛しているって書いてある
し、何も変わったふうはない」
 シャロームは薄い笑みで、ウィルをたじろがせた。それは彼女には珍しい、
十分、世間を知った女のものだった。
「愛しているって書くのは、決まり事だからじゃないの。誰だって手紙の最後
には愛していますと書きますよ。お元気でね、とセットになっているんだから
当然でしょ? わたしだって、昔はそう書いていましたよ。ええ、毎週ね」
 思いがけないシャロームの反撃にたじろぐウィルを彼女は余裕のある笑みで
見つめ、続けて言った。
「あなたの本当の生涯の伴侶はこれから現れるんですよ、ウィル。あなたが、
真面目に、もっと熱心に掃除をしていたら、きっと明日にでも」
「もう、いい。結構だ」
いたたまれなくなり、踵を返すウィルの背にシャロームが叫ぶ。
「まー、ウィル。ちゃんと食べなくてはダメですよ。もったいないことをした
ら、オバケが出ますよ。それでもいいの? ウィル。お待ちなさい」
オバケはおまえだ。
そう毒突きながら家を出る。いつもより、更に早く出勤するしか対抗策もない
自分がこの上なく、不甲斐なかった。
やっぱり、転勤願いを出そう。アリスとは新天地で落ち合おう。そうするしか
方法がないんだ。

 

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