二人の間に漂い始めた険悪なもの。その発端はもしかしたら、自分にあるの ではないか? 深く考えてみるまでもない。この一見、似ても似つかない二人 は一対一なら、十中八九、上手く行く。子守りとその対象だが、今となっては 友人とも言える間柄だろう。だが、それが一対二と言う構図に変わった途端、 その黄金の関係はどうにかすると、永遠に失われる。そんなものなのではない か? ウィルは嫌な予感でいっぱいだった。フォレスは依然としてイツカの右手首 を掴んだまま、ウィルを睨み据えている。彼は自分がイツカの手を放していた がためにこんな失態をさらすことになったと思っている。そして、その主たる 原因はウィルだと信じ込んでいるに違いなかった。 だって、あからさまな敵意だもん。わかりやすくて本当、ありがたい奴だよ。 「こいつが悪いんだ。全て、こいつに非があることなんだ」 やはり、フォレスはそう口走った。 「何、言っているんだよ? そんなこと、あるはずないでしょ?」 イツカは先程までの自らの不安を忘れたように強く、叫んだ。何が何でもここ でウィルの窮地を安楽なものへ転換すると、腹を括ったようだ。 「いい? ウィルには非はないって、さっきから何度も言っているでしょ? 何で事実を認めようとしないんだよ? ちゃんと話を聞いてよ。大体、何で話 が振り出しに戻るんだよ? ボケてんじゃないの?」 「おまえはたぶらかされて、正気じゃないから、こんな男の肩を持つ気になる んだ。こんなつまらない男にはここまで入って来る資格はないし、そんな必然 性もなかった。それをのこのこ、大喜びで入り込んで来たんだぞ。それ自体が 罪だ。だから、罰を与えなくちゃならないと言っているんだ」 「何、言っているんだか。フォレス、君こそ、正気なの? リビングに入った だけじゃない? 他ならともかく、ここはただのリビングだ。大体、この人、 入りたくて入ったんじゃないよ。僕に招かれて、仕方なく入っただけじゃない か? 僕が勧めたんだ。非があるとしたら、僕一人じゃないか?」 フォレスは無表情な、やや赤らんだ顔をイツカに向け、じっとイツカを見た。 その横顔にはウィルに見せたような敵意はない。ただ、ウィルにはなぜだか、 それが哀しそうなものに見えたのだ。 堪らなくなるほどに。 「こんな、ろくに知りもしない人間をなぜ、家に入れた?」 「だから、送ってもらったお礼にお茶を勧めようと思った。そう、言ったじゃ ないか? ウィルはまともな人だって、聞いていたし、問題ないでしょう?」 イツカは懸命だ。彼の淡い輪郭がウィルには今、例えようもないほど美しく 見える。 崇高な魂を、大層な絵画を見る思いだぜ。 イツカの懸命な行為はただ、ウィルを擁護するためだけのものだ。フォレスの あの冷たい水色の瞳から射られる強い視線をまともに浴び続けながら、それで も他人のために弁護と説得を続けるイツカは大したものだとウィルは考える。 高貴な精神だよ。一セントにもならないのに。 本気でそう思った。端で見ているウィルすら、フォレスの常人離れした視線の 凄みには震え出しそうなのだから。 案外、勇猛果敢なのかもな、このお坊ちゃん。怖いもの知らずって奴なのかも 知れないけど。 「フォレス、ちゃんと聞いて」 「聞いているさ。まともだって? こいつが? この間抜け面した男がまとも だって? 一体、誰がそんなでまかせを言ったんだ?」 「まともじゃないか? ちゃんと働いているし___」 「いいか? おまえが今、無事でいるのはオレが帰って来たからだ。もしも、 オレが帰って来なかったら、いや、もう五分、帰りが遅れていたら、おまえは 死体にされていたかも知れないんだぞ」 「失礼なこと、言うもんじゃないよ。何を根拠にそんなことを言うんだか」 「おまえは気楽すぎるんだ。後になって後悔したって、始まらないんだ」 「じゃ、フォレスは最初から誰も彼も皆、疑ってかかれって、そう言うの? 危ないかも知れないって理由で、一生、誰とも関わらずに、他人を避けてまで こっそり生きて行けって言うの? 何で、そんなことして生きなきゃならない の? フォレスの御機嫌を取るため? その方がフォレスの仕事が楽だから? 冗談じゃない」 あーあ、始めちまったか。 とうとうイツカは反撃の口火を切ってしまった。フォレスに屈しない。それ どころか、口答えを開始したのだ。 こいつ、意外に鼻っ柱、強いんだな。 感心半分、ウィルはイツカのさらさらと素直そうな髪を眺めていた。その髪が 持ち主の気質を表すものだとしてのほほんと構え、見るからに気楽そうな彼の 中には自我も存在していたようだ。 ウィルはため息を洩らした。きっとイツカに自我や自尊心があるということ は健全である証であり、良いことなのだろう。こんな土の中で生き、真っ当に 育った奇蹟には祝福を贈ってやりたい。だが、その反撃は火に油を注ぐような ものであり、ウィルにとってはありがた迷惑でもあった。 もう、フォレスの怒りが収まることはないな。 フォレスの怒りが収まるまでイツカはただおとなしくしているべきだった。 まして、フォレスにとっては害虫のような存在、ウィルのために怒るべきでは なかった。決して“ウィルのために”怒ってはならなかったのだ。 「ウィルは良い人だよ。そんなこと、フォレスだってわかっているでしょ? 大体、どうして、何もかも、全て、フォレスの言う通りにしなくちゃならない の? そんな子供扱いしないで」 「子供じゃないか?」 フォレスは冷淡な調子で吐き捨てる。 「いいか? 見ず知らずの他人を気安く部屋に入れるなんて、子供のすること だ。おまえには警戒心が足りない。子供なんだ。目を離すわけにはいかない」 「迷惑だよ」 ウィルは覚めた気分で、二人のやりとりを見ていた。 オレは殺されるんだろうな。 普通なら、たかだかこれしきのもめ事で命を落とすなど想像もしないだろう。 だが、ウィルは既にフォレスの憎悪に燃える目を見ている。取り越し苦労とは 思えなかった。 死体はゴロゴロ、転がっている。素人だって生涯に一つや二つ、転がったそれ を発見する機会はあるかも知れない。 でも、殺人現場っていうのに出会すことは稀。大概、自分がやりそうな時か、 やられそうな時のどっちかのみ。つまり、オレは今、殺されそうなんだ。そう だよな。何で、そんなことでやっちまうんだよ?って、つまらないことで皆、 殺されていたもんな。オレも、その内の一人になるってわけだ。 イツカは律儀にも命を賭けてでも、ウィルを庇ってくれそうな勢いだが、残念 ながら、彼の力でフォレスを止めることは出来ない。 オレだって、無理だ。 「いい加減、聞き分けろ。おまえはオレの言う通りにしていれば、それでいい んだ。二度とこんな失敗はさせない」 イツカはフォレスを見上げ、あくまでも引かない気のようだった。 「何もかも先回りしてくれなくていいよ。失敗したって、自分で対処出来る。 僕だって、二度も同じ失敗はしない。それでいいじゃないか」 「わざわざ失敗しなくてもいいと、そう言っているんだ。おまえにはそいつら ほどの、厚かましい生命力がない。万が一、一回でも失敗したら、それっきり になりかねないんだぞ」 「ああ。そうだろうね」 イツカは吐き捨てるように同意し、更にもう一言、続けた。 「でも、、、。それって一体、誰のせい?」 ごく小さな、呟きにフォレスは一瞬、怯んだように見えた。イツカは明らかに 気を悪くした。キッと、強い目でフォレスを睨んだのだ。 「手を離して。もう、フォレスの顔なんか、見たくもない」 イツカはそう言うなり、フォレスの手をバシンと叩いた。 「離せ!」 もう一度、イツカは自分の手首を握ったフォレスの左手、その甲を強く叩く。 フォレスは表情は変えなかった。しかし、次にフォレスが取った行動はイツカ 自身、予期しないものだっただろう。見ていたウィルすら、身震いするほど、 その力は凄いものだった。 |