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 ウィルは依然、目を閉じたまま、目を覚ます気配もないイツカを見やった。
表情のない寝顔は普段なら気付かないだろう新たな事実を見せてくれる。その
顔は完璧に左右対称だった。
まるで作り物だ。
気を失うことで主張を止めてしまった美貌に代わり、新たに主役として現れた
のは髪だった。その輝きだけが未だ自分は生きていると主張しているような、
そんな気がした。美しい髪。シャロームが毎日、嬉々として磨き上げる家具の
ようにつややかに光り輝く、質の良い髪は主人の生活のレベルを誇示している
ようにも見える。そして、それはフォレスの努力を、献身ぶりをも表している
のだろう。
さぞかし日々、頑張っているんだろうよ。
しかし、フォレスという子守りも決して、万全ではない。彼は自らが預かった
子供、イツカの自我を認めていなかった。年齢相応に成長し、やがては離れて
行く当たり前を恐れ、それどころかそんな自立を阻止すべく、故意にイツカの
行く手を阻みさえしていたのかも知れない。
そうだ。イツカには自分で望んで、選んで生きて行く当たり前の自由がないん
じゃないか? だって、普通、送り迎えを、それもあんな職場の駐車場で待機
してはやらないよ。
それはウィルにはとてつもない不幸に思え、そんなイツカにこうなった責任を
問うのは酷だと思う。イツカは不幸な育ち方をした。その上、このまま、何の
変化も望めないまま、生きて行かなければならないのかも知れない。
そんな奴に一体、何を咎められる? 
それに比べてオレは貧乏だったけど、それでも自立して、アリスと結婚して、
息子だっている。だったら、オレの方がはるかに恵まれて、前途も洋々、幸せ
なんじゃないか。
 ウィルはため息を吐いた。覚悟を決めなくてはならない。その時はとっくに
来ていた。気付かないふりでどうにか先延ばしにしようと躍起になっていた、
ただそれだけのことだとわかってもいたのだ。
そうだ。腹を括らなければならない。だって、オレは死ぬわけにはいかない。
オレには守るものがある。いくつもある。幸せな思い出も、家族もオレのもの
だ。だから、オレがこの手で、自分で守らなきゃならない。小煩いシャローム
だって、叔母だもの。オレが守ってやらなきゃならないんだ。こんな土の中で
むざむざやられはしない。運がなかったと、諦めるわけにはいかないんだ。
ウィルは自分の懐、深い所で硬く存在を訴え続ける銃の存在を忘れたわけでは
なかった。フォレスが素手なら、事後処理は煩わしいものになるのだろうが、
ウィルは既にフォレスの力を知っている。どんな面倒な手続きが待っていよう
とも、到底、怪力フォレスと正面から組み合う気にはなれなかった。
まともに殴られたら、一発で終わる。あんなふうにのびちまうからな。
そう言い訳し、ウィルは銃を握り締める。その時、何かを感じたのだろうか?
ふっと、まるで名前を呼ばれでもしたようにフォレスは、ウィルを見やった。

 イツカを見守っていた時の優しい笑みがすっと消える様を、ウィルは見た。
冷たく光る水色の瞳。闇を射抜き、皓々と事実をあぶり出すだろうその光には
見覚えと言う親しみすらない。
オレをやる気だ。
そう、確信する。認めざるを得なかった。反射的に銃を取り、ウィルは狙いを
定め、安全弁を外す。一連の行動は俊敏であり、有効なものであったはずだ。
標的たるフォレスはその瞬間、身じろぎもしなかった。ならば、後は発射する
だけだ。仕留めた。その予感があったのだ。
「フォレス。止めておけ」
 なぜ、新しい、聞き慣れない声は銃を構え、引き金を引く寸前だったウィル
ではなく、的と化していたフォレスの方に止めろと、命じたのか。それが理解
出来ず、ウィルは呆けたように立っていた。フォレスは玄関の方、新しい声の
主へ顔を向けた。ウィルはその顔を一生、忘れないだろう。新たな登場人物、
それはウィルにとって、ある意味、当座の命の恩人だった。藁のような色の髪
をした長身の男。その髪と同じ色のコートを着、彼は薄く笑ったまま、そこに
立っていた。フォレスは彼に対して良い顔はしなかった。懐かしさより、邪魔
をされた不快感が先に立ったらしい。
「何をしに来た?」
不愉快この上なげなフォレスの表情にも、声にも新客は怯まなかった。
「御挨拶だな。おまえの暴走を止めに来てやったんだ。わざわざ仕事の合間を
縫って、な」
男はすたすたと歩み寄り、ソファーの上のイツカを覗き込んだ。
「早晩に意識は戻るんだろうな?」
「手加減したさ」
フォレスが不満そうに答えると、男は瞬時に薄笑いを消した。
「加減する、しないの問題ではない。こいつに手を挙げたこと、それ自体が罪
だ。わかっているだろう? 何があっても、何をどうやったっていい。こいつ
を守る。安気にさせてやる。それがおまえの仕事なんだ。そのおまえがこんな
真似をするとはな。イツカにケガまで負わせて一体、どうするつもりなんだ?
本末転倒だろうが」
「すぐに回復するさ。目が覚めたら、謝罪する。問題はない」
「全くわかっていないようだな、フォレス。おまえは今、やばい立場に立って
いるんだぞ。イツカを怖がらせてどうするんだ? 安気に過させろと言われた
はずだ。当然、これがばれたら、ただじゃ済まない」
「あんな化け物」
フォレスは不服げに吐き捨てる。
「あんなのに指図されたくない。これはオレとイツカの問題だ」
相手は頷かなかった。険しい表情のまま、男は言い放つ。
「馬鹿を言うな。全権を持つのは“彼”だ。おまえには何の権限もない。いい
か? いつでも間違いなく、オレ達の誰より、絶対にあちらが上だ。彼こそ、
全てなんだ。その彼を怒らせたら、おまえの立場はないんだぞ。何事も最終的
に決定するのは彼なんだからな。第一、万が一、彼の怒りに触れて、イツカを
引き上げられでもしたら、おまえが辛いだけじゃないか。離れ離れになって、
それっきり。二度とは会えないだろう。それでいいのか?」
 フォレスは眉を吊り上げ、怒りのこもった目で相手を睨み据えた。
「さも親切そうに御託をぬかすな。おまえは結局、自分の身が大事なんだろう
? それが何より大事だから、厄介を起こすまいとしているだけじゃないか。
おまえは所詮、あっちの味方だしな」
「当然だ。彼は誰よりも強い。誰が好き好んで、おまえなんぞのために“最高
責任者”にケンカを売るものか」
フォレスは息を吐いた。その誰かと我が身の立場の違いとやらはフォレスにも
周知の事実であるらしかった。
「ならば、ティム。オレにどうしろと言うんだ?」
ようやく折れたフォレスの様子を見、ティムは笑ったようだ。
「取り敢えず、その男は殺すな。そんな真似をしたらイツカはおまえを一生、
許さないだろう。そうなったら説得の仕様がない。だからやるべきじゃない。
イツカ本人にあちらに泣きつかれたら、オレ達がいくらあがいたところでもう
どうにもならない。手の届かない所に行かれるだけだ。それは絶対に避けたい
事態なんだろう?」
フォレスは渋々、頷いた。不本意なのだろう。だが、彼にとってイツカと引き
裂かれるなど、絶対に回避したい状況だ。頷かざるを得なかったのだろう。
「だが、この男は危険だ。後々、必ず、厄介になる。今、処分した方がいい」
ティムはそれには極めて、あっさりと同意した。
「そうかも、な。えらく簡単に懐いちまったものな。確かに厄介だ」

 

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