二人は一向にウィルの心中に構わない。あくまでも二人だけで事を運ぶ気の ようだ。ウィルも当事者の一人であるとは思ってもみないらしいのだ。 「そう慌てることはない」 「何を言う。今すぐに、即座に処分すべきだ」 「なぜだ?」 「当たり前だろう? まっぴらだ、こんな奴らとイツカが同僚だなんて。何て おぞましい話だ。吐き気がする。全く我慢がならない。そうだろう? こいつ ら人間には知性なんか、一欠片もありゃしない。品性もない。何も見所なんぞ ないんだ。そんな下劣な奴らと一緒になってやるような仕事、イツカにやって 欲しくない。大体、イツカは何で、わざわざ、あんな手の汚れるような仕事、 やるんだ? 他に仕事なんぞ、いくらでもあるというのに」 ティムは小さく、鼻先で笑った。 「おまえが嫌がるから、じゃないのか?」 フォレスは眉を吊り上げて、ウィルの心臓が縮み上がるような恐ろしい形相を 見せたが、睨まれた張本人、ティムが怯むことはなかった。 「でたらめを言うな。なぜ、イツカがこのオレが嫌うことをする? イツカが そんな真似をするはずがない。オレとイツカはずっとずっとうまくやって来た んだ。何の問題もなかった。ただの一度だってな」 「知っているよ。おまえはいつでも完璧だったし、イツカもおまえには格別、 懐いていた。おまえの代わりなんぞ、どこにもいない。イツカもおまえだから こそ、安心して暮らして来たんだ」 「だったら、イツカがオレに嫌がらせをするはずがないじゃないか?」 「残念ながら、そうとは限らない」 「どういう意味だ?」 「人間は日々、ゆっくりと成長して行く生き物だし、その経過はただひたすら 見守ってやらなければならない。無言でな。多少、とんちんかんな馬鹿をして いても、だ。それは触れてはならないものなんだよ。おまえが手を添えても、 意見を加えてもならないんだ」 したり顔で諭すティムに対し、フォレスは納得がいかないらしく、赤らんだ顔 をしかめた。顔が大きく歪んでも見えるが、ティムは気にしたふうもない。 「人間は未完成な状態で生まれて、たっぷりと時間をかけて成長する生き物だ が、実際、誰も皆、完成しきれずに死ぬ。それが人間ってものなんだろう」 「おまえの講釈なんぞ、聞きたくもない。何だと? 成長過程だからイツカは わざわざ、オレに嫌がらせしたとでも言うのか?」 「そう」 ティムはあっさり、頷いた。 「イツカはおまえを困らせたかっただけだ。人間にとっては反抗期なるものは 絶対に必要な時期だって言うじゃないか。それがないとろくな人間にならない らしい」 「ふざけるな」 フォレスは勢い良く吐き捨てる。 「何で、イツカにそんな馬鹿げた、低質な人間用の育て方をしなきゃならない ? イツカはこいつらとは次元が違う。別物だ。一緒くたにするな」 譲らないフォレスにティムは苦笑いを返し、続けて言ってのける。 「そうだな。だが、監察医は別に悪い仕事じゃない。死体はイツカに噛みつく ことはないし、何しろ、“悪いこと”を教えないからな」 「だが、良い仕事でもない。手が汚れる」 「洗えばいいじゃないか」 「減らず口を。いいか? 仕事を持って、外に出るようになったから、イツカ には余計な知恵が付いた。目に見えて扱い難くなった。つまり、良いことでは なかったんだ」 「そんなに仕事を辞めさせたいのか?」 「当たり前じゃないか? 仕事なんて、イツカはしなくていいんだ」 「経済的には、な。だが、させるべきだ。ずっとイツカは退屈していたんだ。 考えてもみろ。ずっとおまえしか話し相手のいない生活だったんだ。そろそろ 他に娯楽が欲しいと思うのは、当然のことだろう? おまえの都合はこの際、 二の次だ。まず、イツカの要求を満たしてやる。それがおまえの務めだよ」 こいつは一体、何者なんだろう? ・・・ ティムとは一体、何者なのか? イツカの味方なのか、それともフォレスの 味方なのか、ウィルには判断がつかなかった。まして、自分にとっては。それ がさっぱりわからない。ティムはフォレスに比べ、はるかに要領が良いように 見える。彼なら如才なく誰との間でも上手に立ち回れそうだ。実際、あの頑な な子守り男もティムには言い負かされて、歯が立たない様子なのだ。この男は 一体、何を仕事にしているんだろう? ウィルの素朴な疑問になど、構わずに フォレスの主張は未だ続いていた。 「オレの都合で、オレが楽をしたいから言っているんじゃない。イツカは仕事 をすべきじゃない。少なくとも、外で働くべきじゃない。元々、イツカは外に 出たことがなかったんだ。今まで通り、ここにいれば安全だし、何よりイツカ も安心して暮らせる。だから」 フォレスは早口に一方的に自分の意見をまくし立てる。この場で何が何でも ティムに同意させるつもりらしく、同じようなことを繰り返し叫ぶ。しかし、 ティムはそれには同意せず、冷静にことごとく否定した。 「残念だが、それはもう不可能だよ、フォレス。一旦、外に出る感覚を覚えて しまった人間にまた、ずっと“こんな所”に居続けろなんて強制は出来ない。 もし、そんなことを強要すれば間違いなく、人間はストレスで死ぬ。おまえ、 イツカを早死にさせる気か? 嫌だろ、そんなことは」 「当たり前だ。オレはイツカには長く、いつまでも生きていて欲しい。それが オレの望みだ。だからこそ、大切にしているし、外に出したくないんじゃない か。外に出すなんてやっぱり、ダメだ。イツカのためにならない。絶対、オレ には認められない。そうだ。マークだ。あいつのせいじゃないか? あいつが イツカに余計な知恵を付けるから何でも自分でやりたがるようになったんだ。 それまでは完璧に上手く行っていたのに」 ウィルは思いがけない名前の登場にギクリとした。しかし、それはウィルが 忘れていただけで、不思議なことではなかった。マークは元々、フォレス達の 知人なのだ。 「そう言えば、イツカは何で、あんな奴に電話したんだ? 何の役にも立ちは しないのに」 フォレスが不満そうに呟き、それを見聞いたティムは苦笑いする。 「そう悪く言うなよ。あいつだって、オレに連絡するくらいのことは出来た。 おかげでこうしておまえを説得している。上出来じゃないか? それに今頃、 上で右往左往しているんだぜ。可愛いものじゃないか。まぁ、いくらイツカの 身が心配でも、ここまで下りちゃ来られないよな。オレ達が激突しかねない所 に割って入れるわけがないんだから。あ、そうだ。後々、うるさく言うんじゃ ないぞ、フォレス。あいつなりに分はわきまえているんだから、それで良しと してやりな。オレ達が考えなきゃならないのは、こっちの勝ち気な子供のこと のみ、だ。そうだろう? おまえも年々、楽じゃなくなるな、フォレス」 ティムはイツカの方を顎先で差し示した。彼にはフォレスに食ってかかった イツカの無鉄砲さが面白いらしい。 「しかし、よくもおまえ相手に口答えなんて出来るな。まあ、暴力ふるわれる なんて、想像したこともなかったんだろうが。もう少し恐がりなら、おまえも 楽な仕事が出来るのに」 「オレはイツカに不安は与えたくない。やみくもに怖がらせたくもない。オレ が一頑張りすれば、イツカは何も知らないまま、気楽に過ごせる。余計な不安 は人間の身体には負担になるんだろう? だったら尚更だ。オレがもっと努力 すれば、それでいい」 「まぁ、な」 さもどうでもいい話であるかのように曖昧に頷き、それからティムはフォレス を見やった。凍り付いた水色の目が少し緩んだように見え、ウィルは幾ばくか の期待を覚える。 そうだ。 彼には未だ、言わなければならないことがある。改めて、フォレスにウィルを 無事に返すよう勧める、その大事が残っているではないか。 そうだろ、おい。 ウィルの期待を込めた視線にいち早く気付いたフォレスが二人を見比べる。 「結局、この男をどうするつもりだ?」 ティムは察しの良いフォレスの問いに、微笑みを返した。 「簡単なことさ。この男、ここで飼えばいい。一石二鳥だよ」 |