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 ウィルが何気なく選んだ破片。それは信じ難い重量だった。その大きさの、
ましてや木片にそんな重量があるはずはない。しかし、それはあまりに重く、
どうあがいてもピクリともしなかった。
とても持ち上げられない。何だ、この重さは。
明らかに不自然だ。確かに分厚い木板の間に金属板を仕込んだ、御大層なドア
だが、砕けて、このバイブルサイズになった破片なら、持ち上げられないはず
はない。
こんなの、三食、食っている奴なら、誰だって、動かせる。年増のシャローム
だって、奥歯を噛み締めれば、何とか、持ち上げることくらいは。
だが、いくら踏ん張ってみても、ウィルにはその一片を持ち上げるどころか、
ずらすことすら出来ない。まるで破片自体が意地になって、床にへばりついて
いるような、そんな手応えなのだ。本当は嫌がらせで床に接着されているので
はないか、そう疑いながらウィルは自分の手の甲に筋が浮かび、額には汗すら
にじんでいるこの状態にどうしても納得出来なかった。
おかしい。本当におかしい。こんなの、有り得ない。
「まだかかりそうかな?」
からかうような薄笑いを浮かべ、ティムはウィルの様子を楽しく見学している
らしい。その笑みを見、ウィルは絶対に降参しないと腹に決めた。これしきの
ことで自分を犬猫扱いさせたくなかった。つまらぬ意地かも知れない。だが、
それでも自分の意地を引っ込めたくはなかった。
大体、出来ないはずがないんだ。誰だって、いや、オレならこれしきのこと、
絶対、出来るはず。
どう見ても力仕事などしたこともなさそうなイツカすら、このドアを苦心惨憺
していたとは言え、自ら開け閉めしていたのだ。
だったら、オレに出来ないわけがない。
どれほど難儀であっても、簡単に諦めるわけにはいかなかった。
絶対、やりこめてやる。鼻っ柱、へし折ってやる。鼻をあかしてやるんだ。
 呪文のように胸の奥で繰り返し呟き、自分を鼓舞しながら、ウィルは懸命に
努力を重ねて行った。額の汗と身体中から噴き出した汗とが一斉に滴り落ち、
床を濡らしたが、それでも成果は上がらない。上がるのは息ばかりだった。
「降参しない覚悟のようだな」
ティムの冷やかしに耳を貸す気にはならなかった。人間は意地が大切だ。
いや、意地こそが大切なんだ。
食いしばった歯が今にも悲鳴を上げそうだ。軋む歯はウィルの意地っぱりには
憤り、恨んでいるだろうが、構ってもいられなかった。
絶対に出来る。出来ないはずがないんだから。
 ウィルは必死の形相で奮闘を続ける。その成果はパッとしなかったが、それ
でも、無ではなかった。僅かに床から一インチだけ、持ち上げた。だが、それ
がウィルの精一杯だった。
「あ、あぁっ」
息を切らし、肩で呼吸するウィルをティムはのんびり、眺めている。
「やっと、無理だと認識出来たか?」
「オレが非力なわけじゃない」
「そうだろうな。おまえは人間にしては、頑張った」
「褒めているつもりか?」
「もちろん、褒めている。もっとも根気が良いというのはケースバイケースだ
がね。無駄な努力は速やかに中止する方が効率は良い」
これ見よがしにティムは破片の一つを手にし、易々と持ち上げて、玩具にして
いる。彼の手を介し、破片は上に、下に軽々と踊っていた。
「何で、だ?」
ウィルの喘ぎながらの質問にティムは眉をしかめ、怪訝そうな表情を返す。
「何が、知りたいんだ?」
「このドアは一体、何なんだ? 何で出来ているんだ? あんな坊ちゃん育ち
のイツカに開け閉め出来て、何で、オレにこんな欠片一つ、動かすことが出来
ないんだ?」
ティムは薄い笑みを浮かべ、大破されたドアの一片をそっと覗き込むことで、
自分の凍りついた空色の目に映した。
「さほど難しい理屈はない。ここのドアは自分で考えて働くドアだから、さ。
相手が部外者の場合は思いっ切り、重くなるってだけ」
 ウィルは息切れのためにせわしなく上下する自分の肩を意識し、痺れた両腕
を反対側の手で擦りながらボンヤリと考えてみる。
オレは今、酸欠なのかな。頭に酸素が回っていないんだな、きっと。だって。
自分で考えて、働くドアだって?
冗談にも、程度ってものがあるんじゃないのか?
呼吸が落ち着き、ウィルは自分がまたしても馬鹿にされたと気付き、憤る。
オレはこう、一日に何回も腹を立てるようなタイプじゃないんだ。
ここにいたら、精神衛生に悪いよ、全く。人格が破壊されちまうよ、怒りで。
「どさくさに紛れて何を言うんだ? 人を馬鹿にするのも大概にしろよ」
「心外だな。オレは真っ正直で有名なのに」
「どこの世界に自分で考えて働くドアがある? 自動ドアとは意味が違うじゃ
ないか? おまえの言いぐさだとあたかもドア自体がオレが相手なら、わざと
重くなって、おまえの時は軽くなるみたいな」
「その通りだよ。難しい話じゃないだろ?」
ティムは機嫌良さげにドアの欠片を小さなボールのように弄ぶ。何の苦もなく
ティムは欠片を扱っているのだ。
「こんなドアの砕けた欠片が、相手を見て、考えて、対応していると?」
「そう」
「嘘だ」
「ただのドアでないことはわかるだろ? もし、おまえにオレ達並みの能力が
あれば、入って来る時にもっとたくさんの有益な情報を仕込むことが出来た。
冷静に全てを見てみろ。ここのドア、ノブはあるが、鍵穴がないじゃないか?
鍵の掛からないドアなんて、普通、有り得ないんだろ? どんなに優れた警備
員が大勢いても、人間は鍵を掛ける。そうしないと安心出来ない生き物だから
な。その大事な鍵穴がないのは必要がないからだ。こいつが自分で考えて対処
出来る利口な奴だから、だ。だから鍵穴はいらない。こいつが不審者だと判断
すれば、自ら人間には到底、動かせないだけの重量に化ける。そうすればドア
は動かせないし、当然、開けられることもない」

 

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