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 ウィルは目を瞬かせた。不合理な話だ。それにティムの言うことには例え、
それが事実だと仮定しても、尚、明らかに大きな矛盾がある。
「待てよ。だったらイツカが、あいつがドアを開け閉めするのに何で、あんな
苦心するんだ? あいつはここのお坊ちゃんだ。当然、あいつが開け閉めする
時には使用人たるドアは軽くなるはずだ。それなのにあいつ、苦心惨憺して、
やっとの思いで閉めていた。おかしいじゃないか? 辻褄が合わない。つまり
は嘘っぱちなんだ、おまえの話は全て」
ティムは苦笑を返す。
「違うね。あの坊やが無謀にもフォレスを閉め出そうとしたからだ。ドアから
見れば、非常に困った状態なわけだろ? 気は乗らない。だが、可愛いイツカ
の頼みは断れない。しかし、フォレスが戻って来ないのに締め出すのも、後が
怖い。フォレスが間に合ってくれたらいいのになぁと渋々、閉めることにした
から、そうなったんだ」
「渋々? ドアが? へぇ、ドアがね。ちなみに週給はどれくらいで?」
ウィルの揶揄を込めた問いに、ティムはその意味合いを理解しないように一つ
頷き、呟いた。
「そうだ。イツカの頼みは断り辛い。出来ることくらい、叶えてやりたいから
な」
ティムはふと僅かに、ごく僅かだったが、それでも苦い何かを眉間に浮かべた
ようだった。彼のような傲慢な男の中にも苦悩は巣くっているらしい。こんな
男でも誰かに、何かに、無心になってすがりたいと思うことがあるのだろうか
? ウィルは束の間、そんなことを疑い、考えてみた。
シャロームのように。
ただ、無心に。
叔母は頭から信じ込んでいる。床を磨きさえすれば、心も磨かれ、悪魔が寄り
つかなくなる。結果、一生、幸せでいられると愚にもつかないことをしかし、
大真面目に信じている。きっと、彼女は幸いだ。そして、こんな尊大な男には
あんなあっけらかんとした無邪気な救済が割り当てられることはないのだ。
だけど。
オレにはアリスがいる。だから、いつでも、どこでも救われる、幸いにも。 
・・・
 ウィルはティムの、この世の物とは思い難いほど澄んで、冷たい目の中にも
感情があり、苦しみや悲しみも存在していると、見て取ることが出来た自分は
幸運だと思う。その安心からウィルは自分自身を取り戻し、平静になることが
出来たのだから。
そうだ。
何で、オレが、頭からこいつの冗談を真に受けなきゃならないんだ? 
最初っから違うだろ、最初っから。
ティムの話は根本から冗談であり、戯言なのだ。それを真に受け、あれこれと
考えてみること、それ自体がそもそも間違いだった。
忘れていたけど。オレは根の良い、田舎者だから。
担がれ易い自分を諌めながら、ウィルは眉を吊り上げた。
「おい。おまえの冗談に付き合っている暇はないんだ。本当のことを言えよ。
なぜ、フォレスを閉め出すのにドアが抵抗を感じるんだ? ドアは物質なんだ
ぞ。物に感情はない。思考も、それどころか、痛い、痒いも、何もない。それ
が物質ってものだ。何かを考えるわけがないじゃないか? 土台、命ってもの
がないのに」
「いいや。こいつらは生きていて、魂には“使命”が与えられている。それを
ドアは忠実に果たしているってだけだ」
「使命だと? いい加減にしろよ。馬鹿馬鹿しい。板切れに何を言い聞かせて
も意味はない。大体、人の話を聞けもしない板切れに、何が出来る? おまえ
の話は馬鹿げている。荒唐無稽ってやつだ。オレが知りたいのは事実だ。作り
話でオレを担ごうなんて、そんな悪趣味には付き合いたくもない」
ティムは疑うような、どこか落ち着かない目で、ウィルを見据えていた。凍り
付いたかのような水色の目に僅かに浮かんだ猜疑心。彼は何を疑って、ウィル
を見ているのか、ウィル自身には全く想像もつかなかった。
「何だ? 何か言いたいことがあるのなら、すっぱり言いな」
「わかった」
ティムは頷き、改めて、ウィルを見据え直した。
「このドアの、金属部分」
そう言いながらティムは自分が手にした破片の真ん中の層をウィルに示した。
指先でその金属の層をなぞり、ティムはウィルを見やる。
「この中に仕込んである金属の“チップ”はごく単純だが、純然たる思考回路
を持っていて、ある程度のことは自分で判断して行動出来るんだ」
ティムは大真面目な顔をしていた。言われたウィルの方が呆気に取られるよう
な真顔だ。まるで教室で授業をするアンダーソン先生だ。ウィルは小学校時代
の教師を一人、思い出していた。彼は大真面目な顔で嘘を吐く男だった。
『わたしは妻を愛しています』
そう言いながら彼は妻を蹴り殺し、今も服役中だ。あの男の口から出た言葉で
信用していいのは、方程式だけだった。
「ごく単純な思考回路だが、ドアには十分な能力だ」
ティムはまだ解説を続けるつもりらしい。
「おまえは正気じゃない。だが、もし、オレがその冗談に乗るとしたら一つ、
聞きたいことがある」
「何だ?」
「ドアが生きていて、だ。頭なり、心があるんなら、まず、イツカの言うこと
を聞くだろう? 使用人仲間の子守りより、可愛い御主人様の都合の方が大切
に決まっているじゃないか?」
ティムの返答は簡素だった。
「あいにくドアの御主人様は、イツカじゃない」
「ああ。それじゃ、イツカの親父が週給を払っている、と」
「それも違う。とにかく、ドアに与えられた使命はイツカを満足させることで
はなく、イツカをここに留めておくことだ。フォレスと一緒に、な。あの二人
はセットで、ずっとここにいなくてはならないんだ」
ティムは薄い笑みを浮かべ、それまでの自らの憂鬱を振り払うことに成功した
らしく、ようやく彼らしい様子を取り戻していた。
「ちなみに内側からロックしてしまうと、以後は外からは開けられないように
するのが、ドアの第一の使命だ。だから、さすがのフォレスも普段のようには
開閉出来なかったんだろう。凄まじい重量に化けるからな、こいつらは。それ
であんな強行突破をすることになったのさ。普通、人間には絶対、動かせない
重さだからな」
「何言ってんだ? 嘘だ。“チップ”? 何だ、それは? どこにも、何にも
入っていないじゃないか? 見てみろよ」
「おまえに見えないだけだ。ナノテクはここまで来ているんだ」
「聞いたこともないね、そんな物。いいか? 現在科学は前世紀末と大して、
変わっていない。オレ達人類はやみくもな科学的進化より、足踏みを選んだ。
当然、思考力を持つ金属の何かなんて、そんな物騒な物、開発されていない。
だって、もし、そんな物があったら、オレ達人類はまた、性懲りもなく戦争を
始めるんだろうからな」
「飲み込みの悪い男だな」
ティムは仕方なげに薄く笑って見せた。
「おまえにわかるように平たく言ってやるよ。オレ達は人間じゃない。さっき
からそう言っているつもりなんだが。いい加減、理解出来ないか?」
「人間じゃないって。まさか、ロボット? へっ?」
ウィルの間抜けな声に、ティムは苦笑いを隠さなかった。

 

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