ウィルはイツカという人間について、詳しくは知らない。断片的に見知った 事実は少なく、その上、それらは大概、大した内容ではなかった。裕福な家庭 に生まれ、容姿に恵まれている。それは見て知った事実だ。その他と言えば、 父親か、祖父が高名な研究者で、イツカ自身も監察医であること。それくらい のことでしかない。つまり、ウィルはイツカに対して、主観的な感情は依然、 持たないままなのだ。パラパラとウィルの手のひらに落ちて来た事実という名 のパーツを集めて、ウィルは改めて考えてみる。それらの断片から連想される もの。先ずは緻密で、いつでも同じ高品質の仕事が出来る、賢い頭だろう。 出来がいいんだ。 そう考え、しかし、ウィルは首を捻る。 確かに有能だ。仕事は出来る。だが。 一方でイツカはあまりにもアンバランスだ。彼は均一性を欠いている。現状と しては決して、正常とは言いかねる有様を露呈しているのだ。 だったら、病人なのか、やっぱり。 頭の病気なんだとして。 一体、どんな病気なんだ? あんなに仕事は出来るのに。 イツカは監察医としては極めて、優秀だ。その仕事ぶりは前任者達とは次元 が違う。それは半端なものではなく、最高級の代物だった。彼の仕事は捜査の 方向自体を決定付けるほど積極的、且つ、大胆に犯行の模様をあぶり出す。今 となっては刑事課にとって欠かせない協力であり、指針にすらなっていた。 頭そのものはハイレベルなんだ。 こんなわけのわからない雑誌を読んで、暇を潰せるんだもんな。 ウィルは無造作に散らされた雑誌をチラと見やる。到底、片手間に読んで理解 出来るような内容ではなかった。 さぞかし発行部数の少ない、オーダー発行みたいな雑誌なんだろうな。 そんな戯言を思いつくような高度な専門誌を斜め読みにする頭脳は大したもの だと思う。日々の研鑽なしにソファーに横たわって読めるような代物ではない のだ。 だが、不安定だ。 常時、不安定ではあの仕事は勤まらない。当然、職を得ることも叶わなかった ことだろう。だとすれば、この不安定さはごく稀に陥る体調不良のような状態 なのだろうか。頭の配線が途切れ易いというだけのことなのだろうか。動作が 安定しない精密機器のように電流が切れたり、繋がったりしているだけのこと なのだろうか。 一時的に? それも厄介だな。 そして今頃になって再び、イツカの頭部内の配線は復旧したらしい。しかし、 それは今度こそ、固定され、しっかりと現実を見ることが出来るようになった という意味なのか、否か。ウィルは半信半疑のまま、イツカを見つめてみる。 彫りの浅い、しかし、非常に良く出来た整った顔だ。その中央で煌めく二つの 目でイツカはウィルを見捉え、そして早口に尋ねて来た。 「どうして? どうして、こんな時間に、君が、ここにいるの?」 イツカにそう尋ねられて、ウィルにはうまい説明のための文句が出て来ない。 彼は先程のやり取りを覚えているのだろうか? このやり取りも何時間か後に は綺麗さっぱり忘れているのではないか? つまり、彼との会話は全て、何度 も繰り返されるものであり、結局、何の進展も生まないものなのではないか? こいつの頭は一体、どういう仕組みなんだ? 一年中、おかしいわけじゃない。むしろ、ほとんどの時間、まともなんだろう ? 今は実際、おかしいわけだけど。 だったら、オレはどう答えればいいんだ? 大体、一度はウィルの追求をはぐらかそうとするほど冴えていた頭が、なぜ、 また元に戻ったのか? 彼の理性、その破綻と復旧のサイクルがわからない。 一体、どう扱えばいいんだ? こいつの頭の仕組みがまるでわからない、このまんまで。 「ちゃんと、答えて。答えを教えて。早く」 気が立ったイツカはほとんど叫ぶように問い質し、すぐに返答出来ないウィル には即座に見切りを付けた。フォレスへと素早く視線を移したのだ。フォレス に嫌味を放っていた先刻に比べれば、イツカの表情はさほどきつくは見えない ものの、切羽詰まっているのか、余裕はなかった。 「フォレス。フォレス。どうして、ここに、ここにウィルがいるの?」 「おまえが連れて来た」 イツカは考えるそぶりを見せ、すぐに頷いた。 「ああ。送ってもらった。でも、こんな時間までいるはずはない」 「帰せない状況になった」 イツカは瞬いた。 「帰せない?」 「こいつは外には漏らせないことを知った。だから、仕方がなかった。おまえ が殺すなと言うから、殺せない。この男はここに置く。他に手がないじゃない か? 外に出しさえしなければ、問題ないとティムも言うし。それにこいつが いれば、おまえも退屈しない」 イツカは瞬時に強く、眉を吊り上げた。 「そんな理屈、通るわけがない」 フォレスはヒステリックなイツカに左右されないよう、腹を括ったようだ。 「そうだな。確かに、不合理だな」 フォレスはのんびりと答える。それはこれ以上、イツカを興奮させない、配慮 なのだと、ウィルにも見て取ることが出来た。 子守りも、大変な稼業なんだ。 今は傍観者を決め込んだウィルになど、構っていられないに違いなかった。 「だが、イツカ、考えてくれないか?」 フォレスは諭すように、なだめるように、ゆっくりと話し続ける。 「秘密は守らなくてはならない。だったら、こんなやり方も仕方ないじゃない か?」 「仕方がない?」 イツカは一層、怒気を強め、両目の端に白い光をにじませる。濡れて、ます ます、輝く目。その光は恐ろしいほど美しく、人間離れしてさえ見える。 「ふざけるな。彼は、ウィルは僕に頼まれてここまで送ってくれた、それだけ だ。何の非もない。当然、こんな所に長居する理由はない」 フォレスはゆっくりと首を振った。他に取るべき策がないことくらい、ウィル にも知れた。一緒になってエキサイトしてはいけないのだ。彼は機械だ、汗は かいていない。だが、室内に立ちこめた緊張し、張りつめた空気は間違いなく フォレスの必死の努力が生じさせたものだろう。 「知っている。確かに、彼に非はない。罪はない」 「だったら、ここにいる理由はない」 「罪はない。だが、ここにいる理由はある。そうだろう? 彼はオレとティム が機械だと知っている。だったら絶対、外には出せない。秘密は守らなくては ならないんだ、絶対に」 |