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 その瞬間。イツカは傍観するウィルが慄くほど強い怒りの表情を浮かべた。
「正気で言ってんの? ウィルがどうやって知ったと言うんだ? 外から見て
わかるはずはない。絶対にわからない。だったら、故意に教えたんだな。目で
見たくらいで到底、知れるはずのないことをどうして、わざわざ教えるんだ?
どこにそんなことをする必要がある? どんな必然があったと言うんだ?」
「妥協するためだ」
「妥協?」
「そうだ。おまえとオレの意見は食い違っていた。全く違うものだった。折り
合う余地がないほど、異なっていて、恐らく何年でも平行線を辿っていたはず
だ。だから、オレはおまえとオレとの間に妥協策を作った。おまえはこの男を
殺すなと言う。そしてオレは即座に殺してしまいたいと望んでいる。その二つ
の相容れない意見の間を作った。この男がもし、オレ達の秘密を握っていれば
少なくとも二度と外に出すことは出来ない。それにはおまえも同意するだろう
? 殺すわけではない。殺さずに秘密を守れるものなら、その案を承知せざる
を得ないはずだ」
フォレスは一息にそう言い、弱い息を吐く。それからし切り直すようにイツカ
を見つめ直した。
「わかってくれ。あのまま、こいつを帰すわけにはいかなかったんだ。例え、
どんな小さな綻びでももし、開いたら、直ちに完璧に塞がなければならない。
知っているだろう? 水と秘密は洩れ易い。小さな綻びは見る見る内に大きく
広がって、すぐに取り返しのつかないことになる。おまえならわかるはずだ。
だからこそ、この男を外へ帰せない、それだけの理由を作ろうと思った。そう
しなければならなかったんだ」
「認めない、そんな身勝手」
イツカは承知しなかった。笹形の目をすっと吊り上げ、別人のような怖い形相
を見せる。
「ティムを呼んで」
人はこうまで激しい気性を温和な顔の後ろに、こっそり隠し持つことが出来る
ものなのだろうか? イツカはウィルには想像もしないきつい口調でフォレス
をすくませる。
「ティムを呼んで、今すぐに」
「ティムなんて、呼ばなくても」
「そんな姑息なことを考えつくのはティムでしょう。フォレスじゃない。早く
呼んで」
フォレスはイツカの激昂ぶりにたじたじだった。そして、その光景はウィルに
は奇異に映った。
確かに大した迫力だ。
だけど、気迫だけじゃないか? 
腕力でイツカを凌駕出来るのに、何で、フォレスはびくつき始めたんだ?
だって、さっきはイツカを殴ってまで、自分の意志を通したじゃないか?
それなのになぜ、急に下手になったんだ?
イツカを黙らせるくらい、造作もないだろうに。
イツカは自分で受話器を取り上げ、どこかに電話を掛けようとしている。それ
を見たフォレスは慌てて、イツカの肘を掴んだ。
「何?」
イツカの険しい声にフォレスは引きつった、弱々しい愛想笑いを返した。
「先に食事にしないか? その男、そう、ウィルだ。彼、朝も食べていないん
じゃないのか? そうだ、あんな時間だったんだ、食べているはずがないよ。
ティムを呼び出すのは食べてからにしよう。飯を食いそびれちゃ、かわいそう
と言うものだ。おまえとオレは平気だが、人間は食い気が強い。見てみろよ。
空腹のあまり、顔面蒼白じゃないか?」
ほら、フォレスはイツカの背を押して、ウィルを見るよう促した。そうされる
ことでイツカはウィルを見やり、その顔をウィルへと向けることにもなった。
ウィルすら、怖いと感じる目。その視線には薄ら寒い迫力さえある。そして、
それはとても誰かに守ってもらわなければならないようなヤワな人間の目では
なかった。今ではむしろ、フォレスの方がよほど臆病に見える有り様だ。彼は
今、イツカの機嫌を取るべく必死なのだ。
「聞いてみるといい。人間はあんまり長い時間、空腹でいると身体に障るんだ
ぞ。喋れる内に次の食事を与えないと」
「ねぇ、君。お腹、すいてるの? すっごく?」
イツカは表情を和らげ、彼らしい、優しそうな声で聞いて来た。ウィルはその
変貌に驚きながら、そんなイツカの後ろでまるで何事か必死に頼んでいるよう
なフォレスの様子を見た。
本当、必死なんだな。
だが、オレはおまえが好きじゃない。おまえの都合に乗ってやる理由はないん
だよ。
「今すぐ、食事にした方がいい? 辛いの?」
ウィルはフォレスのすがりつくような視線を十分に意識しながら、ただ、現実
だけに正直に答えた。
「ああ。今すぐ食いたいね。実は昨夜も大した物、食べていないんだ。だから
オレ、無口だろ? お喋りなんぞする気になれないんだ。何せ、腹ペコだから
な」
イツカはウィルの軽口に笑顔を見せた。どう見ても温和な、イツカらしい笑み
だが、ウィルは自分が何を根拠に、それをイツカらしいと思うのか、さっぱり
わからなかった。
「イツカも一緒に食おう。食事は賑やかに、皆で楽しむのがベストだ」
イツカは小さく、頷いた。
「じゃあ、フォレス、食事にしてあげて」
 微笑んだイツカの指示にフォレスは即座に頷き、安堵したらしい様子で厨房
へと下がって行った。
「腰掛けていた方がいいんじゃないか?」
「そうだね」
イツカは素直に頷いた。
「何だか、すっごく疲れた。何でだろう?」
「さぁな。おまえも、腹が減っているんじゃないのか?」
イツカは曖昧な笑みを返しただけだった。

 

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