「人相? 顔のこと?」 イツカは小首を傾げ、それから何を思い付いたのか、ぞんざいな調子で言い 捨てた。 「顔なんて、どうでもいい。そんなもの、ちょっと大型車にでもぶつかったら その場で台無しになる、その程度のものでしょ。お金をかければ、希望通りに もなるんだし、意味がないよ」 「ならないよ。幾ら積んでもおまえの顔にはならない。おまえは生まれつき、 恵まれているから無頓着なんだ。大多数の人間にとってはな、毎日、鏡見ちゃ 一喜一憂する重大関心事なんだぞ。やれむくんだ、くすんだ、かさついたって 雑魚はそういう表面的なことに煩わされながら一生、生きて行くものなんだ。 おまえにはわからないだろう、そんなこと。何せ、生まれつき、御立派な顔を お持ちだからな」 「僕は嫌いだよ、こんな顔。出来ることなら、作り替えたいくらいだ」 「何で? その顔のどこに不満があるんだ?」 「嫌いだから。そう言ったでしょ」 気を悪くしたらしくイツカはそう吐き捨てて、そっぽを向いた。フォレスは すっと音もなく席を立つ。偶然にしてはまるで測ったようにピッタリと合った タイミングは一体、何を意味するのだろう? どんな意図を持ってフォレスは 席を立ったのか? この食卓には水も塩、コショウも載っている。フォレスに 中座する理由はなさそうなものだった。 つまり、イツカが自分の顔を嫌う理由を知っているってことか。 自分にイツカの不機嫌のお鉢が回って来ることを恐れ、一旦、離れたのだろう か? 不意に中座したフォレスもすぐに食卓に戻り、当たり前の様子で食事を 続ける。機械の彼が食事を取る。ウィルにとっては驚きであり、釈然としない 光景だが、イツカとフォレスにはごくありふれた日常の一コマであるらしい。 不機嫌そうなイツカにまた同じ話を蒸し返すことも出来ず、仕方なくウィルは フォレスの手製の食事をひたすら、楽しんで食べることにした。食卓では他に することもない。それに何よりウィルの家で供される食事より、ずっと出来が 良く、はるかに美味いのだ。これを堪能しない馬鹿はいないだろう。 まったく。 腹の中でこっそりと、ウィルは嘆いた。 シャロームにこんな料理が作れたら、アリスも出て行かずに済んだのに。 何しろ叔母の手料理は不味く、そのレベルはありがた迷惑の域など、はるかに 越えていた。 拷問だよ、あれは。吐かないのが不思議なくらいの、不味さなんだから。 ウィルは食事に満足し、ふと、傍らのイツカの表情に目を留めた。水を飲み 下すイツカ。食事前より、はるかに和らいだ表情だと言えなくもない。だが、 それはリラックスと言う範疇を越えてはいまいか? あんなに激しくフォレス に食ってかかった直後とは思えないほど、その目は柔らかく変わっていた。 とろけそうなくらい、だ。 ウィルはイツカが水を飲む様子は何度も見ている。彼は出来の良い食事より、 水の方を口にしていた。ウィルはグラスを注視した。イツカのグラスとウィル に出されたグラスは同じガラス製だし、中身も同じに見える。 そんなものを疑う、オレの方がおかしいのかな? 半信半疑のまま、水を飲み終えたイツカが眠そうに息を吐く様子に、ウィルは 目を凝らした。 「眠いのか?」 ウィルが尋ねると、イツカは頷いた。 幼い子供のようなひたすら眠いらしい様子に違和感を覚える。フォレスはと 言えば、イツカの横顔をじっと観察、いや、何かを見極めようと凝視している ようだった。フォレスはタイミングを見計らい、時を待っていたようにイツカ に声を掛けた。 「イツカ。眠いのなら、薬を飲んで、それから横になればいい。二種類だけ、 二種類だけでいい、飲んでおこう。ね」 イツカは抵抗しなかった。ウィルが見ているその前でフォレスはイツカの背後 に立ち、慣れたしぐさで二種類の錠剤を飲み込ませる。その作業を終えると、 フォレスはイツカを抱え上げて、いとも簡単に運び去り、リビングのソファー に横たえた。見た目、気を失っている状態と何ら、変わらない。フォレスの後 を追い、リビングへ続いて入ったウィルにフォレスは構わなかった。彼は自分 のポケットから小さな容器を取り出し、その中から注射器を出すと、イツカの 袖をめくり、あっと言う間に何らかの薬品を打ってしまう。そうすると心底、 ホッとしたようなため息を吐いた。ようやく安心したようにフォレスはイツカ の髪を柔らかく撫でた。 「今のは、何の薬だ? 水にも何か、入っていただろう?」 「安定剤だ。見ただろう? 飲ませていないと、イツカは極端に攻撃的になる んだ」 確かにイツカはいささか攻撃的だった。だが、あれくらいはどこにでもいる、 その程度のヒステリーだ。 「あれくらい。薬漬けだなんて、もっと質の悪い病人に使うやり口だろうが」 非難するウィルをフォレスは睨んだ。 「おまえは何もわかっていない。オレだって、飲ませたくなんかない。だが、 必要なんだから、仕方ないだろう? いいか。おまえは部外者なんだ、知りも しないくせに、余計な口出しするな。イツカが一旦、切れちまったらオレ一人 じゃ、どうにもならない。オレでも手に負えない代物に変身するんだからな」 早口にフォレスはまくし立てた。機械の彼にもイツカに、本人の了解なしに その意志を奪う薬を飲ませることにやましい気持ちがあるらしいのだ。だが、 そんな自責の念に駆られながら、それでもイツカに薬を飲ませる意義がウィル には見えて来なかった。 切れたら、変身するって? 何だ、それ? フォレスは眠ったイツカの手を大切そうに握っている。 「手に負えないって、どういうことだ? だって、おまえは未来から来た立派 なロボットだろう? だったら、イツカ一人に手を焼くなんて、おかしいじゃ ないか? おまえは怪力で」 フォレスは頷かなかった。 「理屈が違う」 「理屈?」 「こうして眠っているイツカを外敵から守るのは簡単な仕事だ。だが、切れた イツカ本人を取り押さえるのは至難の業だ。正直、オレみたいな旧式じゃ、話 にならない。先の世界にいる数人しか、止められない。最新式の連中じゃない とダメなんだ」 「待てよ。イツカに何が出来るって言うんだよ? どう見ても、力なんかない タイプじゃないか? そりゃあ、気が立っている時はかなり、向こう気が強い 奴だとは思ったけど」 フォレスは力なく首を振った。まるで自分の頭にこびりついた忌まわしい残像 を振り落とそうと努めるかのように。 「思い出したくもない。二度と、あんなもの、見たくない」 彼は一層、険しい顔でウィルを見た。 「いいか? イツカには何も言うなよ。本人は知らないことだ。こいつは何も 知らない。知らない方がいいことだ。だから、絶対、余計なことを言うな」 フォレスの気迫に押され、ウィルは頷いた。何も知らないのならイツカに何を 聞いても徒労なのだ。それに何より、フォレスの両眼に邪気はなく、あまりに 真剣で、必死だった。ウィルはその真摯さに抵抗出来なかった。 |