ウィルは何をするわけでもなく、終日、ただ漫然と過ぎて行く時間を眺めて 生きている。むろん、何かが見えるわけではない。短く、吐息混じりに言い訳 しながら、ウィルはこのまま退屈な生活を続けていれば、遅かれ早かれ、本当 に有らぬものが見えるようになるのではないか。そう密かに危惧していた。 だって、することが一つもないんだぜ? 今日、しなきゃならない用事が全く ないなんて、そんな馬鹿なことがあるか? そんな日が続くか? 一切、用事 がないなんて、人格への破壊工作だ。地獄の責め苦だ。 このまま、ずっと、食っちゃ寝、食っちゃ寝していたら、本物の馬鹿になる。 いもしない神様にだって、会っちまうかも知れない。気もおかしくなるさ。 近い将来。退屈のあまり、呆けた自分がどんな幻を見るのか、ウィルは想像 したくもなかった。リビングルームの片隅に神様が立っているだとか、時間が 水のように流れて行く様が見えるだとか、シャロームも哀れむような恐ろしい 妄想を語り始めるに違いなかった。 ・ 身震いするような、恐ろしい予感がウィルの中を刻々と、足元から埋めつつ あった。閉じ込められた室内に沸き上がって来る大量の水。浸食され、やがて そのまま、溺死するのではないか? そんな恐怖に直面しているようだ。未だ 四、五日しか経っていない。それでもウィルはじりじりと遠火で炙られるよう な不愉快な恐怖に苛まれ、自分の正気が失われる日が来るのではないかと不安 に駆られているのだ。 勘弁してくれよ。 そう切実に願う。既に日付の感覚すら、どこかに飛んで行きそうだ。時が経つ のは早いものだと教えられたことがある。それが正論だったとしても、ここ、 イツカの居間ではきっと勝手が違う。ここでは時はゆっくりと気ままに流れて いて、この一帯は時の正常な流れからは取り残されている。退屈が過ぎるから か、ウィルは本気でそう考え始めた。有り得ないとわかっている。それでも、 することもなく、漫然と過ごしていると、自分だけが皆が看過している事実を 見ているような気になって来るのだ。皆が気付いていないだけで、これは真理 なのだと。 ウィルが己の気がおかしいのではないかと自問する瞬間は見る見る内に積み 重ねられ、次第に長い時間に変わって来た。そんな現実がウィルを躊躇わせ、 驚愕させる。時間が水のようにたぷたぷとたゆたいながら流れて行く光景。魚 が水面を見上げて眺めるように自分もまた、流れる時を眺めている。ウィルは そんな感覚を覚えるようになり、何よりもそんな自分を恐れた。 妄想に浸るようになったら人間はお終いだ。 ウィルは自分の幻想に、そしてそんなものを見る自分に嫌悪を覚える。だが、 どれほど消し去ろうとしても、忘れようとしても感じざるを得ないこの状態が 恨めしくてならなかった。もし、外世界にいたなら、当たり前に過ごしていた なら絶対に感じなかったものを、ここでは頻繁に真実と認知してしまうのだ。 狂い始めている、そう感じながら。 ・・ 根拠はない。それでも、確かに時は流れ去っている。少なくともここでは。 わけはわからないけど。 それでもなぜだか、時がゆっくりと、この部屋の上を通り過ぎているとわかる のだ。 オレの気の迷い、なんだけど、、、。 時間だけは誰の人生にも公平に、地上に均一に存在しているはずだ。一時間 は絶対に一時間、それだけは揺るがない、ばらつきのない定規として存在して いるはずだ。だが、ここを流れる時は気ままだとウィルは思う。ここでだけ、 時は歩みを緩める。いや、それどころか、ここに未だいたいのか、時は時折、 未練がましくも立ち止まる。 呼び止められてもいないのに? いや、立ち止まるなんて、そんなもんじゃない。 何だかんだって理屈を付けて、また戻って来るんじゃないか? で、イツカの 傍にしばらく居座って、それでようやく、また御出立するんじゃないのかな? ウィルは時折、本気で疑った。遅々として、一向にウィルが思うように進んで 行かない時。舞い戻った時はイツカの傍らに居座り、それで気が済めば再び、 どこかへ向けて、また歩き始めるのではないか? だから、なかなか時計の針 が進まないのではないかと。 こんなこと、考えるなんて。 馬鹿げている。 ウィルは取り留めもない妄想に溺れる自分に愛想を尽かし、ため息を吐いた。 こんな愚にも付かないこと、本気で考えるようじゃ、オレも危ない。 そうだろ? 皆が気付かない事実を見ているんじゃない。オレは有りもしない 幻を見始めているんだ。結局。 ・・・ 彼らにはウィルを放免するつもりがないのではないか? ウィルはその不安 に駆られ、次第に正気をすり減らしているのだと、自己分析してみる。実際、 こんなに長く、それもいつ、解放されるのか、わからないまま、留め置かれる ことになるとは予想していなかった。ごたごたはあったが、何日か、そう数日 程度、我慢すれば元通り、煩雑な、だが、慣れ親しんだ日常生活に戻れるもの だと決め込んでいた。しかし、あれきりティムは姿さえ見せず、ウィルが解放 されるめどは全く立っていない。 フォレスには次々とこなして行く日課があり、それを一人占めにしていた。 忌々しい話だが、どんなにせがんでみても、フォレスは何一つ、誰がやっても 構わないような雑事すら、分け与えてくれない。 あの業突張りめ。欲の皮が突っ張ってやがる。機械のくせに。何で出来ている んだか、わかんない皮しやがって。 何か一つ、小さな用事でも有れば、どんなに気が紛れるだろう? シャローム に言いつけられ、時折やる、日常の雑事は大嫌いだった。しかし、あまりにも 退屈な生活を体験すると一つ、二つなら、やってみたいと思う。いや、何でも いいから、やってみたい。そんな衝動に駆られるのだ。是非とも一つでいい、 分けて欲しい。だが、フォレスは頑として譲らなかった。 『おまえは客だから、手を汚してもらっては困る。イツカの相手をしてくれた ら、それでいい』 それが出来ないから、床でも磨こうかって、聞いているんじゃないか? イツカは一人でいることに慣れている。それは当然であり、致し方ないこと だろうが、結果的にイツカにウィルの暇潰しの相手は務まらなかった。イツカ のウィルを気遣う気持ちは見て取れる。思いやりを肌身に感じることも出来た が、本質的にイツカにウィルの退屈し、足掻く心理は解せないのだ。いつから イツカがこんな生活をしているのかはわからないが、それでも途方もないほど 長い期間だろう。そんな生活に慣れたイツカが四日か、五日で音を上げる凡人 の心情を理解出来るはずなど、なかった。 イツカが悪いんじゃない。本当はオレの方がいたわってやらなきゃならない、 それくらい、わかっているんだ。だけど、今はとても、そんな余裕が持てない んだよ。 |