シャロームごときに指摘されるまでもない。確かにアリスとは久しく会って いない。だが、二人の心は何一つ、変わってはいない。離婚はしていないし、 申し込まれたこともない。ただ、今はお互いの仕事が忙しく、手紙のやりとり に留まっている。それだけのことなのだ。 何も、変わっちゃいないんだ。大丈夫。惑わされるなよ、ウィル。 そう自分に言い聞かせ、ウィルは例の男がドアを開けるのに気が付いた。 あ。 何だ。 ウィルは少なからず、落胆していた。裏口から出て来たのはウィルが期待し、 待ちわびた金髪の美女ではなかったのだ。アリスには及ばないまでも、署長の 秘書、サンドラクラスの美女が出て来るものだと思い込み、ウィルは一人勝手 に期待を膨らませていたのだった。 まぁ、そうそう上手くは行かないよな。 暇に飽かせ、想像をたくましくしていた滑稽な自分に苦笑いし、改めて、その 二人連れを眺めてみた。 いかつい感じのする大柄な白人男性。その待っていた男と、新たに現れた、 待たせていた男。その男もやはり、ウィルには見覚えがなかった。白人男が車 中で息を詰め、待ちわびていたその男はとても警察関係者には見えない、どう 見ても、ウィルの人生には関わりがなさそうなタイプだった。 東洋人か。あんなの、夜勤にいたんだ。 ウィルはボンヤリ、彼を眺めてみる。警察官というより、ミュージシャンだ。 とっくにバーンと売れて、今は穏やかな、いい暮らしをしてるって感じの。 垢抜けて、とびっきりの良い服を着、おしゃれで、どこか悠長な物腰。長めの 栗色の髪が彼の正体を一層、わからなくしているようだった。東洋人。ヒント はそれだけだ。ウィルはもう一度、考え直してみる。夜勤の連中の名簿くらい は見たことがある。変わった、もしくは耳慣れない名前なら印象に残っている かも知れない。意味のわからない名前は記憶に残り易い。そして、そんな名前 の持ち主はこの署にはそう何人もいなかった。やや考え、すぐにウィルは膝を 叩いた。 「イツカだ。監察医だ」 一年前に赴任して来た監察医。ウィルは彼の書いた報告書と彼が吹き込んだ 録音テープでしか、彼の人となりを知らない。文字はワープロ打ちされたもの だが、誤字など見たことがないし、その内容も正確無比で、前任の誰より有能 だった。解剖途中の所見を収めたテープの声は柔らかかったが、それでも持ち 主の極めて冷静な性格を窺わせるには十分だった。 で、本人、あれか? ウィルの思い描いていたイメージでは、彼は怜悧な“機械”だった。しかし、 今、目前を歩いて行くイツカはどう見ても人間で、その上、あまりに気楽そう で、医者にも見えない。 人違いか。でも、うちには今、東洋系は少ないし。いや、やはり間違いない。 ウィルは確信した。イツカのコートの胸ポケットに無造作に突っ込まれたI. Dカード、それのチェーンが見えた。その薄紫色の鎖はラボに出入りする人間 に与えられる物であり、他に東洋系の監察医がいない以上、この男に違いない のだ。 運転手役の白人男はドアを開け、イツカを助手席に座らせるとドアを閉め、 慣れた足取りで運転席へ戻って行く。その途中、彼は凄い目でウィルを睨んだ 。最初からウィルに気付いていたのだと言いたげな恐ろしい形相に、ウィルは ばつの悪い思いで俯いていた。 |