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 大体、イツカは眠り過ぎだ。ウィルは自分の定位置でクッションに埋もれ、
眠るイツカを恨めしく睨んだ。なぜ、イツカはこうまで長く、しかも深く眠る
ことが出来るのか。その疑問をフォレスにぶつけてみると、問われたフォレス
はさも怪訝そうだった。なぜ、そんなことを不思議に思うのか、わからないと
いう顔で切り返されたのだ。
『なぜ? 決まっているじゃないか。赤ん坊は一日中、眠っているものだろう
?』
彼は真顔で、冗談を言っているつもりなど、さらさらないらしかった。元々、
表情は乏しいが、それは彼のせいとは言いかねる。彼が本当に機械、つまりは
何らかの金属なのだとしたら、その皮膚にも作ったメーカーなり、技術者なり
がいるはずなのだ。
文句、苦情は製造元に言わなきゃ、な。
一体、どこに問い合わせればいいものか、ちゃんと表示、付いているんだろう
な。すっごく良く出来ているけど。さすがに皮膚は皮って言うか、あれは金属
じゃないよな。明るい所で見れば、違うんだろうけど。
「もう慣れた?」
ようやく目を覚ましたイツカはウィルが思う、彼らしいのんきさで笑い掛けて
来た。
「何に慣れるんだ? 地下室にか? 機械の子守りにか? おまえの話相手に
か?」
イツカは目を細めた。彼にとっては環境も、あの子守り男もプレッシャーには
ならない。ここは彼がずっと暮らす居場所であり、フォレスは彼を育てた人間
なのだ。それに加え、イツカの不可解な性格も一因となっていると思う。彼は
周りの環境にある意味、大して干渉されない気質を持ち合わせているようだ。
「な、おまえ」
ウィルは心持ち、声を抑えた。
「何?」
「おまえは、その、何でも、知っているんだよな?」
「何でも?」
「おまえを取り巻くこの環境とか、諸々について」
「ああ。大抵は、ね」
「自分の子守りが機械だって、いつ、どうやって知ったんだ? あいつが白状
したのか? それとも他の、誰かが教えたのか?」
「うぅ〜ん。音が違うからわかっていたっていうのが一番、近い、かな」
「音?」
「人間の、ウィルの心音とは違う音がするでしょ? 音が大きすぎるんだ」
「おまえ、凄い耳しているんだな」
呆れたウィルの物言いに、イツカは微笑んだ。
「フォレスを悪く思わないでね。だって、フォレスは僕のせいで人生、台無し
にしている。もし、他の仕事を引き受けていたら、もっと楽しかったはずなの
に」
「他の仕事?」
寝起きのイツカはいくらかだるそうに、それでもどうにか身体を起こし、そう
してようやくフォレスがいないのに気が付いたようだった。
「フォレスは、買い物に出たの?」
「ああ」
ウィルは仕方なく頷く。フォレスの留守を見届け、試しにやってみるだけでも
と例のドアを押してみたが、やはり、ビクともしなかった。その失望が尚更、
ウィルに妙な幻想を抱かせているのかも知れなかった。
どれも、これも、オレには反抗的だ。
ウィルには自分に割り当てられた客室や、当たり障りのない場所へ行くための
ドアしか、開けることが出来なかった。さすがにもう、自力で出て行くことは
不可能と諦めが付いている。だが、時間をかけさえすれば、待ちさえすれば、
どうにか折り合いをつけることが出来ることなのだろうか? 
本当にオレは、家に帰れるのか?
「帰りたい?」
ふいにイツカがそう尋ねた。
「その内には、な」
内心の叫び声は呑み込んだ。
 正直を言ってみても、イツカを責める結果となるだけだし、どの道、今日、
明日中には帰れない。フォレスはウィルの着替えとなる服を買いに出たのだ。
しかし、どんなことがあってもウィルは帰らなければならない。刑事が一人、
失踪したと騒ぎになる前に、何事もなかったかのように帰宅したかった。
アリスが気付く、その前に。
もし、彼女からいつもの手紙が届いたら、すぐに返事を書かなくてはならない
し、投函しなくてはならない、いつものように。
そうしないと、アリスが不審に思う。だから、その前に。帰りたいんだ。
「ウィルが留守だと淋しくないかな?」
ふと、イツカは心配そうに言った。ウィルにはイツカが誰を案じているのか、
わからなかった。
だって、アリスは未だ、オレがどうなっているのか、知らない。
彼女の他に誰がいると言うのだろう?
誰が、オレの留守を寂しがる?
「誰が淋しいって?」
「ウィルが帰らないと彼女、ひとりぼっちなんでしょ?」
シャロームだ。
ウィルは叔母のことなど、ほとんど忘れていた。いや、すっかり忘れていた。
それなのになぜ、イツカがシャロームが一人で待っていると知っているのか。
どこでイツカはウィルの家族構成を知ったのか。
そう言えば、こいつ、最初っからまるでオレを知っているような口ぶりだった
んだ。
「何で、おまえが知っているんだ?」
イツカには屈託がなかった。彼の返事はあっさりしていた。
「署のデータベースで見たよ。署員のデータは全部、見た」
「家族構成までか? おまえ、それは絶対、公開されていないぞ。どうやって
許可を取ったんだ?」
イツカは薄い笑みで、どうやら、否定したらしい。つまり、彼は勝手に覗いた
のだ。
「犯罪行為じゃないか?」
「だって、することがなかったから。退屈で仕方が無いから何でも、見たり、
読んだり、時間潰し出来るものは全部、覗いてみないと気が済まなくて。子供
の頃は電話帳を読むのが趣味だったくらいなんだから」
イツカは懐かしそうに笑う。
「あれって、取り寄せて読んでいると、すぐに凄い量になっちゃうんだよね。
それでいつもフォレスに叱られて。昔は良かったな、電話帳があって。あれは
結構、楽しかった。その内、頭の中に町が出来るんだよ。たくさん人が住んで
いるんだ。それが結構、楽しくて。誰にも迷惑掛けないしね、想像だから」
 ウィルはイツカの無邪気な笑顔を見つめた。電話帳をかき集め、一人で読む
子供。
読む?
あんなもの、読み物じゃないぞ。
ウィルは延々と続く名前と数字の行列を思い浮かべ、絶句する。そんなものを
眺め、想像力で肉付けし、住人が溢れる町並みを脳裏に描き出しながら膨大な
時間を一人、潰さなければならない子供がいるなど、考えもしなかった。それ
はウィルの想像を絶する孤独だったのだろう。
こんな地下で。機械と一緒に。
つまりはオレの四日や五日の苦痛とはわけが違うんだ。
だが。
こいつの親、兄弟は一体、何していたんだ? 
フォレスにまんまる、任せっきりだったってことじゃないか?
「おまえ、家族は? 父親はいるんだよな。有名なんだよな、確か。彼と同居
していれば、そこまで暇じゃないだろ? 独り立ちした今ならともかく、子供
時分は当然」
イツカはその顔にあからさまな不快を浮かべ、ウィルの話を遮った。

 

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