抱き締めたイツカの身体は見た目より、更に細い。きっちりと着込んだ服の 中身は痩せていて、その上、かなりの低体温だった。長く抱いていると、次第 にウィルの体温が逃げ出して、空いた隙へその冷温が忍び込んで来るようだ。 「もういいよ、ウィル。ありがとう。凍えちゃうよ。僕、体温、低いから」 「大丈夫。オレはこの通り、一枚、余計に着込んでいるからな。薄手のわりに 暖かいんだ、この肉シャツは」 ウィルの軽口にイツカはウィルに抱かれたまま、小さく笑った。もう、大丈夫 だろう。そう感じながらもウィルは未だ、イツカを手離す気になれなかった。 イツカの背中を撫でながら自分の息子を思い浮かべていたからだ。遠く離れて 暮らす我が子。普段、何一つ、父親らしいことをしてやれていない息子。彼を 愛している。しかし、この思いは息子に、ショーンに伝わっているだろうか? ふと感じた不安がウィルの手をこの寂しげな背中に留めているのだ。 「ウィルは」 イツカは小さく呟いた。 「優しいね。君の家族は皆、幸せだ」 それは何だか、ウィルの思いが息子に伝わっていると教えてくれたような呟き だった。不思議なことに身体中の不安がすっと消えたような気さえ、した。 「サンキュ」 ウィルは万感を込め、イツカの頭を撫でてやった。 安堵し、気が抜けると同時にウィルには殊に感じるものがあった。イツカを 抱き締めている短い間に自分の体温が若干、下がったと思う。 本当、冷え冷えする。母親は雪の女王か、こいつ。 「お風呂、入って来たら? 寒いんでしょ?」 「おまえ、案外、気が回るんだな」 「そぉ?」 イツカは笑った。 「そんなこと、言われたことがないよ。人に気を遣ったことがないもの」 「何で?」 「だって、フォレスだよ。彼、疲れもしないでしょ」 「そりゃあ、そうか」 軽く笑い合い、ウィルは勧められるまま、浴室へと足を向けていた。 ・・・ 風呂上がりのウィルが冷蔵庫からビールを取り出すのをイツカは興味深げに 眺めていた。彼の周りにはアルコール好きはいなかったらしい。 ロボットはいるのに。 「何で笑うの? 何か、おかしいの?」 「いや。大したことじゃない。ただ、ビールって言ったら、本当にフォレスが 買って来たから、何か、偉くなったような気がしてな」 「何でも注文していいよ。欲しい物、あるでしょ」 グラスの泡をイツカは楽しそうに眺めている。 まるでショーンだ。 「何?」 「いや。おまえが珍しそうにビール、眺めているから、面白いと思って」 「どうして?」 「どうしてって、ビールは珍しくも何ともない、ありふれた物じゃないか」 「僕には見慣れない物だよ。変死体なら、見慣れているけどね」 「ロボットも、な」 イツカは小さく笑った。案外、楽しそうに笑う、屈託のない子供のようだ。 「おまえも飲めば?」 「飲めない。薬、飲んでいるから。複合だと、やばい時があるでしょ?」 「ああ」 ウィルは合点し、頷いた。 「ねぇ、叔母さんは一人で淋しくないの?」 イツカは依然として、シャロームを気にかけていたらしい。確かにウィルの 留守中、偏屈シャロームは一人きりで、自らの普段のツケを支払う必要がある のだろう。彼女自身が日常、隣人に対して何ら関心を払わず、関係を持とうと しないからこそ、こんないざという時、シャロームに注意を払ってくれる者も いないのだ。 オレがいないと、日柄一日、一言、二言、話す相手もいないんだ。 元々、彼女にはウィルがいる間しか、話す機会がない。 何しろ、神様は極端に無口と相場が決まっているからな。 気の毒な話だが、とウィルは気を取り直す。彼女には普通でないところも多分 にある。常人に対するような心配はある意味、無駄でもあった。 「心配いらない。あいつ、ちょっとした異常者だからな。怪しげな宗教団体に 入っていて、お陰で退屈知らずだ。神様と話していれば、退屈しないんだ」 イツカはまっすぐにウィルの目を見つめたまま、その目にさも不思議そうな色 を浮かべた。 「何だ?」 「神様って、本当にいるの?」 まるで、子供が尋ねるような調子だ。 「さあ、五分五分だろうな。オレは会ったことがないが、さりとて、いないと 言い切る度胸もない。考えてもみろよ。そんなことを言ったら、世の中にいる 大半の人間を敵に回すことになる。だろ?」 ウィルの正直な意見に、イツカは笑った。 「確かに、いないとは、言えないね」 ウィルの意見に同意したのか、真意はわからないが、イツカはそれ以上、何も 言わなかった。ただ、シャロームの心配は無用なのだと、一応の納得は出来た ようで、軽く頷いた。 「彼女が淋しくないのなら、少しは気が楽だ」 イツカは本気で、見知らぬシャロームを案じていたのだ。ウィルはそのイツカ の穏やかな顔を見た。凹凸の物足りない、だが、優しそうないい顔だ。こんな イツカのどこに激しい気性が隠されているのか、ウィルにはわからないままだ が、フォレスが恐れをなす何かをイツカは隠し持っているらしい。あの屈強な 子守でさえ、止められない暴走とは一体、どんなものなのだろう? ぶち切れたら、って、どういう意味だ? ふと気付くと、イツカは不思議な目でウィルを見つめていた。 どこを見ているんだ、こいつ。 イツカの視線が自分に向けられていることは見てわかる。だが、その目が見て いるものが自分の顔だとは思えなかった。確かにイツカの茶色の瞳にウィルの 姿は映っている。しかし、その眼差しはウィルにはなじみのないものなのだ。 見つめ返してみたものの、それでも自分が感じる違和感が何なのか、ウィルに はわからない。ウィルがたじろいでいる隙にイツカの方は自分がいささか長く 見つめ過ぎたことに気付いたようだ。彼は空々しくも、思い出したように立ち 上がったのだ。 「そうだ。久しぶりにピアノでも弾こうかな。リクエストはある?」 「なぁ、おい」 ウィルは呼び止めずにいられなかった。イツカは何の気もなさげに振り返る。 「何?」 「おまえ、今、何を見ていた? オレの顔、見ていたわけじゃないだろう? 正直に言え」 |