イツカの眼差しはウィルの顔面に注がれていて、イツカがウィルを見ている 形にはなっている。しかし、それはイツカがウィルの顔を見ているという通常 の意味ではないように思う。 敢えて言うなら。視線の先に偶々、オレの顔もある、って感じかな。 「おまえ、一体、どこを見ているんだ?」 ウィルにはイツカが自分を見ているとは思えなかった。どうしても、そう自覚 出来ない以上、自分が不合理なことを言っていると承知していても、口を噤む ことは出来なかった。 だって、こいつの視線はあまりにも不可解だ。 自分が感じる違和感に堪えきれなくなり、ウィルは少しばかり、怯えつつ問い 直さなければならなかった。 「おまえは今、本当に、オレの顔を見ているのか?」 穏やかな表情のまま、イツカはこっそりと自分の視線の焦点をずらしたよう だ。そっと、しかし、素早くその視線はウィルの顔そのものに定められ、それ で初めて、ウィルは自分の顔に通常、感じるような他者の視線を感じたのだ。 じゃ、やっぱり、さっきまでは違うものを見ていたってことじゃないか? 「おまえ、今、初めて、オレの顔を見たよな? 目線、ずらしたよな? つい さっきまではつまり、オレの顔なんか、見ちゃいなかったよな? 何か、違う ものを見ていたんだよな?」 イツカは薄く、ウィルの興奮をからかうような笑みを浮かべて見せた。 「おっしゃる意味がわからないんだけど」 「とぼけるなッ」 ウィルの短い怒声にもイツカは怯まない。退屈そうな笑みに変化はなかった。 「本当のことを言え。おまえ、本当はオレじゃなくて、どこか、何か違うもの を見ていたよな?」 ウィルの剣幕にイツカはのんきな調子で、予想もしない質問を返して来た。 「復唱してもいいですか?」 復唱してもいいですか、だと? こいつは案外、食わせ者なのではないか? ウィルはその疑問は憤りと共に深く、腹の内へ呑み込んだ。自分のペースに 乗って来ない、調子を合わせようともしない者の相手など、生来、好まない。 嫌なことは回避する。それが将来、自分の昇進を阻むことになるやも知れない と知っていても妥協しなかった。こちらの質問をはぐらかしたり、勝手に話の 方向を変え、まともに答えようとしない不実な人間の相手ほど腹の立つ、苦行 はないと信じるからだ。 このガキ、オレを舐めてやがる。 腹立たしくとも、今は生意気なお坊ちゃんの横面をひっぱたいてやりたい衝動 よりも、事実を知りたいと暴れ出しそうな欲求の方がはるかに強かった。 「どうぞ。好きに復唱したらいい」 イツカは笑顔のまま、頷く。 嫌なガキだ。 そう思ったが、口にはしなかった。早く、確実に回答が欲しいのだ。 「“オレ(ウィル)じゃなくて、どこか、何か違うものを見ていたんじゃない か?”だったよね? それって、僕が君の顔を見ているふりをしながら、実は 君の顔以外の何かを見ていたんじゃないか、くらいの話?」 「そう聞いているんだよ! さっきから! 何度も!」 ウィルの大声にイツカは眉をひそめた。どうやら、彼の周りには大声を上げて 喚き散らす、そんな輩は生息しないらしい。 「悪かったな、下賤な育ちでな」 「何も言っていないよ」 「今、おまえのその顔にはっきり、書いてあったよ! 」 イツカはウィルの子供じみた過剰反応に小さく笑った。 「君って、本当に楽しい人だね。マークが言っていた通りだ」 「何て、言っていた?」 「ウィルがいれば退屈しないって」 「ふぅん。あいつにしては良い評価だ。どこかで聞いたような気もするがな。 ま、どうせ、本当はボロかすに言っていたんだろう?」 「被害妄想の気があるとは言っていた」 ウィルは堪らなくなって、吹き出した。 「おまえは馬鹿正直だな」 「そう?」 「そう。普通は言わない。で、その馬鹿正直に期待したいんだが」 「何?」 イツカは怪訝そうにウィルを見据えている。彼にはウィルの言いたいことの 主旨が理解出来ていないような顔だった。その表情を見て、ウィルはいっそ、 自分の方がおかしいのではないかと疑ってみた。 オレがおかしいわけじゃ、ないよな? 確かにイツカは、オレじゃないものを見ていたよな? 誰にともなく、そう問うてみる。他人の顔を見ていながら、実際には別の何か を観察する、そんなことが可能だろうか、と。 オレの顔を見ながら、ここにはいないシャロームを観察出来るはずはないし、 それどころか、オレの顔を見ながら、他の何かを眺めることも出来ない。オレ の他には誰もいないし、オレの後ろにイツカがわざわざ見るような物もない。 ウィルは考えごとに行き詰まり、小さく息を洩らした。 オレは一体、何を言いたいんだ? 「ねぇ」 イツカは不満そうな声で、ウィルを急いた。 「自分で聞いといて、自分で考えて、結局、自分一人で納得しちゃうのって、 狡いんじゃない? それじゃあ、僕は一体、どうすればいいの?」 「ああ、悪い」 「それで終わりなの?」 ウィル自身も、釈然としない。だが、強行に何を見ていたのかと詰問すること も出来なくなっていた。 「何て、言うか。その、おまえの視線が、どこか、こう、変わっているように 見えたから。説明が難しいんだが、オレの顔見ているようで、何か、違うよう な、そんな気がして。それで、気になってな」 イツカは頬を弛め、苦笑いを浮かべる。 「僕はただウィルの顔を見ていただけ。ウィルは誰に似ているんだろうなって 思って。普段、生きている人の顔って、あんまり見ないから珍しくて、思わず 凝視しちゃったのかも」 イツカはシャレにもならない自分の日常の一端を吐露し、それからゆっくりと 言い加えた。 「それに、いくら何でも君の頭の中をスキャン出来ないよ。フォレスだって、 無理でしょ」 「そりゃ、そうだろうな」 ウィルはため息を吐いて、言い訳がましく辺りを見回した。錯覚を覚えたの だとしたら、その理由はきっとこの環境にある。自分がおかしな錯覚に陥った 原因はこの奇妙な環境にあり、自分に非はないと思いたかった。 オレがおかしいわけじゃない。オレは正気だ。今のところは絶対に。 原因があるとすれば。 「ここ、圧迫感があるから、かな」 |