ウィルの言い訳を聞きながら、イツカはゆっくりと丁寧に辺りを見回した。 しかし、彼にはウィルが言うところの理屈は見えなかったようだ。あまりにも 長く、こんな“地下世界”で暮らすイツカには圧迫感なるものを捉えることが 出来なかったのかも知れない。怪訝そうに小首を傾げ、それでもイツカは先ず 曖昧に頷いた。 「ああ」 それからごく短く、考えてもみたらしい。 「そうだね。そういう感じ、あるのかも知れないね。僕が外にいる時、時々、 感じる、大気に潰されてしまうんじゃないかって、怖くなるような感じ。そう いうのも圧迫感って言うんなら、同じことだね。フォレスが一緒じゃなかった ら、とても外なんて、一人じゃ、歩けない。怖いから」 ウィルはイツカの様子をじっと観察し、その上で今、彼が正直にありのままを 話しているのだと理解した。 良い奴には違いない。所々、変わってはいるが、、、。 囚人でもないのにこんな土中で、人生の大半を過ごさざるを得ないイツカは 気の毒な身の上だ。ウィルはもし、折り合いが付けば、すぐにでもこの土の牢 から解放され、憎たらしい叔母が一人、待つ安アパートに帰ることが出来る。 そうすれば今まで通り、好き勝手にどこにでも出向くことが出来るが、イツカ にはそんな当たり前の生活は生涯、営めないことかも知れないのだ。ウィルが 出て行っても、留まってもイツカの生活に変化は生じない。彼は相変わらず、 フォレスと共にこの地下暮らしを続けるだけだ。体質は簡単に変えられない。 皆、努力はしているんだろうが。それに。 イツカがこんな土中に閉じ込められているのは、単に厄介な体質だけの問題 でもなさそうだ。 切れたら云々って、しきりに言っていたからな。 ウィルは視線を感じ、イツカへと意識を戻した。彼は平穏な、静かな顔をして いた。 「同情なら、いらないよ」 イツカはそう言った。 「多少、不便なだけだから。太陽と雨水が苦手なだけで、避けて暮らせる環境 に生まれたから問題ない。それにこれくらい、誰彼なしに泣き言を言わなきゃ ならないような、そんな御大層な不自由じゃないでしょ」 「行きたい所に行けないのは、辛いだろ?」 「そう?」 「デートする時、行き先選びに困るだろうが」 イツカは苦笑した。 「大丈夫。デートの予定なんて、入れてない。それに僕、行きたい所に完全に 行けないってわけでもないし」 ゆるりと吐き出されたイツカの言葉。ウィルは首を傾げた。 完全に行けないわけじゃない? 完全に? 何だ、それ、どういう意味だ? イツカはたじろぐウィルを見据え、笑ったようだ。 「僕は炎天下とか、どしゃ降りの中には出て行けない。でも、結構、意外な所 に出掛けられるんだ。いつでも行けるし、帰っても来られる」 ウィルにはイツカの言う意味がわからなかった。 「どういう意味だ? おまえは陽に当たれないんだろ? 雨にも当たれない、 のか? それでも好き勝手に行けるって言うことは。夜更け、晴れていれば、 フォレスがいなくても、一人で、自由に外出出来るってことか?」 「そうかも、ね」 イツカははぐらかすように微笑んだ。その笑みは絵のような、綺麗な代物だ。 薄っぺらな板の上に描き出された花のように、美しい。だが、イツカは絵では ない。その中にどれだけの様々な記憶や感情、意志が、夢が詰め込まれている のか、傍目にはわからない生き物だ。だからこそ、イツカの曖昧な同意は否定 なのだと、ウィルは気付いた。 だって、こいつが、天気が条件を満たしているからって、好き勝手に出歩ける はずがない。 フォレスはイツカの身体その物を守っているのだし、いざという時にはその 暴走を止めなくてはならないと言った。 あいつが外で、片時だって、イツカから離れるはずがない。 イツカが堅牢なこの土中の部屋にいるからこそ、フォレスは今、イツカ一人を 残して外出しているのであって、もし、ここが普通の民家であれば、イツカに 留守番をさせるはずがない。ましてや、イツカ一人で出歩かせるはずがない。 イツカ本人も外に出れば、大気に圧迫されるような不安を覚えると言うくらい なのだから当然、わざわざ、一人で出歩きはしないだろう。 「どういう意味だ?」 「今度、ね」 「今度って、いつだ?」 「ねぇ、ウィル。家に電話した? 叔母さん、そろそろ、君と話したいんじゃ ないのかな」 「おまえは、本当に人の話をまともに___」 「もう少ししたら、マークが来るよ。話す相手が来て、嬉しいでしょ?」 「マーク?」 ウィルは苦々しく吐き捨てた。 「オレは男に用はない。どうせなら、女を呼んでくれないか。おまえの親戚に なら、美人がごろごろ、いるだろうが」 「呼んでもいいけど。でも、僕が呼べる人を呼んだら君、後悔するよ。マーク の方がずっとましだったって思うし、きっと、叔母さんにも今日までのことを 懺悔したくなると思うよ」 「獣なのか、おまえの心当たりの女は?」 「軽く、ね」 イツカはクスクスと笑い声を洩らした。 「楽しそうじゃん?」 「まぁ、ね。僕にとっては良い人だよ。途中、一緒に育てられたんだ」 「へぇー」 ウィルは楽しそうなイツカを眺めながらごく小さく、こっそりと尋ねた。 「あの、さ。聞き辛いことなんだが、その。マークも、何と言うか、、、」 「マークは生身だよ。100パーセント、人肉のみ」 からかうような様子で、イツカは軽口を叩く。 「平たく聞けばいいのに。やっぱり、面白いね、ウィルは」 「褒めてないだろ?」 「褒めているよ」 「言っておくが、オレはここに骨を埋めるつもりはないからな」 「わかっている。君が正気の内に帰すから」 「そんなこと、軽く約束しない方が身のためだぞ。オレは本気で恨む質だから な」 イツカはふいに、真っ直ぐにウィルの目を凝視した。 「大丈夫。“総責任者”に一報を入れておいたから」 ウィルはイツカの屈託のない笑みに僅かばかり、期待の芽が膨み始めたと認識 していた。 |