back

menu

next

 

 それが口約束に終わらぬよう、願っている。だが、一方でウィルは諦めても
いた。所詮、イツカには無理な約束だ。彼に嘘を吐くつもりはないだろうし、
真心からウィルを解放したいと思い、言ってくれたと感謝も出来る。しかし、
残念ながらイツカにウィルの身柄をどうこうする決定権はない。イツカとて、
囚われの身には違いないのだ。
決定するのは機械で出来た、あの二人だからな。
肝腎の二人にウィルを開放する気はない。二人は自分達の素性を知ったウィル
をウィルが生きている間中、もしくはイツカがウィルの存在を疎ましいと感じ
始めるまで、そんな命などどうでもいいと言い出すまでここに閉じ込めておく
腹積もりなのだ。秘密の保持という最大の課題を盾にして。
確か。
ティムは当初、おとなしくしていれば、その内、解放してやると聞こえの良い
ことを言っていたが、ウィルはそれももう信じていなかった。
だって、あいつは大雑把なのんびり屋だ。
あてに出来ない。そう知っていた。
 フォレスはイツカを守る常駐の子守りだが、仲間のティムは何を仕事にして
いるのか、時折、訪れて来るだけだった。普段は“未来”とやらに住んでいる
らしく、ちょくちょく訪れてその度、フォレスを怒らせる。遠からず、その場
にいて聞こえたやり取りから察するにティムはかなり、のん気な性格の持ち主
だった。仕事そのものはきちんとやるのだが、時間の経過には関心を払わない
らしく、それがフォレスの癪に障るらしかった。二人はイツカが自室に戻った
隙を見ては口論する。そして毎回、怒っているのはフォレス一人だけだった。
『おまえは何で、これくらいのことを三日も、四日も放置するんだ? すぐに
出来ることじゃないか?』
フォレスの頼んだ用事をティムは速やかには実行しない。着手までにかなりの
時間を要するタイプなのだ。 
『すぐ出来ることなら、慌てて、取りかかる必要もないじゃないか。どうせ、
すぐに出来るんだから』
ティムに悪びれた様子はない。だが、けろりとしたその言いぐさがますます、
フォレスを刺激する。
『寝惚けたこと、言うな。すぐ出来るんなら、その場でやれ』
『血相、変えるなよ。おまえ、土台が恐い顔なんだから』
『何だと? 一々、茶化しやがって』
フォレスの怒声にティムは肩をすくめる。
『そんなに慌てなくたっていいだろ? オレ達には明日も明後日も、その次の
日も、次の日も、とにかく延々、次の日があるんだ。今日をのんびり過ごせば
いいじゃないか? 御主人様だって、せっかちな人じゃないんだし。それに』
ティムはお決まりのセリフでフォレスを黙らせた。
『御主人様はおまえにものんびり過ごして欲しいって、そう思っているよ』
御主人様。
 それが彼らの雇い主なのだろうか。ウィルはそう解釈しながらも、その人物
が彼らの製作者でもあるのか、否かは量りかねていた。
何しろ、データ不足だからな。結論は出せないよ、こんなんじゃ。
明らかに各々、異なった性格を持つ、彼ら。
機械のくせに、やけに個性的じゃないか。
毒突くのは胸の奥でだけにして、ウィルはため息を吐く。ウィルを解放しても
いいと言ったそのティムの方が飛び抜けて長く、幅の広い目盛りの付いた時間
の物差しを持っている。それがウィルを憂鬱にしていた。
機械って、どれくらいの寿命なんだろう? その内って、十年、二十年とか、
いや、まさか、それ以上の単位で計っているんじゃないだろうな。
彼の感覚ではその内程度であっても、生身のウィルにとっては相当に長い期間
なのではないかと気付き、ウィルはティムの口約束は当てにならないと知った
のだ。
もしかして、絶望的ってことじゃないのか? むろん、オレは絶対、生きて、
ここを出る覚悟だけど。
ウィルは自分の覚悟が空振りしそうで恐ろしくなり、身震いした。
早く錆びるとか、故障するとか、してくれないかな。
自分の思い付きに思わず、ウィルは苦笑した。馬鹿馬鹿しい発想だが、そんな
機械ならではのアクシデントでもなければ到底、自分は脱出出来ないだろう。
機械か。長生きしそうだけど、たまには故障もするんだろうか。メンテはして
いるのかな、あいつら。あ、そうだ。未来から来ているってことは、ティムは
未だこの時代には存在しないってことか。そうだな。今時の技術じゃ、あんな
高性能ロボットなんて、有り得ないもんな。しかも男前と来たらな。
 時々、やって来ては、さも気の毒そうにウィルを一瞥し、フォレスと何やら
打ち合わせをし、口論するだけで、またどこかへと去って行くティムは藁色の
髪をした長身痩躯の二枚目だ。だが、それは“今”は未だ、存在しない。これ
から先の、もうしばらく研究が重ねられた、その結果。だいぶ先だろう未来で
完成し、ティムは生まれることになる。
今の、出来上がっていない、試作品みたいな自分を見たら、どんな気分になる
んだろう。
ウィルはまた、ため息を洩らした。そんな疑問は本人達にもぶつけられそうに
なかった。
オレにはそんなこと、聞く度胸はない。イツカにも聞き辛いし。大体、こいつ
はどこから、どこまで知っているんだ?
 広いリビングの向こう側でイツカはピアノの練習中だ。曲に合わせて身体が
静かに揺れる。譜面は必要ないのか、イツカは目を閉じたままだった。
達者なもんだな。
それはウィルにとってはアリスを思い起こさせる懐かしい音だった。アリスは
ピアノを弾くことが好きだった。家事の合間にピアノを弾く彼女を広げた新聞
越し、邪魔にならないよう、こっそり盗み見ることがウィルの喜びだった。
そう。シャロームが箒抱えて、やって来るまでは、毎日の楽しみだったんだ。

 

back

menu

next