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 イツカは特殊な環境下で育てられた。その生い立ちには同情すべき点がある
し、同時に配慮を怠ってはいけない相手でもあると言えるだろう。だが、この
まま放置すれば、実際、イツカの気性は悪い方へ育ちかねないのではないか。
いかに生来の気性が良くとも、閉じ込めておく代わりとばかりに周囲が気まま
に振舞わせていたのではその内、本当に歪み始めかねない。行き掛かりだった
とは言え、ウィルはこの不可解な連中と出会ってしまった。それに少なくとも
イツカに対しては悪い感情は抱いていなかった。ニコニコと笑う、その笑みを
可愛いとまで思うのだ。アンダーソン先生が言うところの、“縁があって”、
出会ったのには違いなかった。
あいつは結局、人殺しだったが、な。
その忌々しい事実にウィルは束の間、目を瞑ることにした。
きっと、オレはイツカとは出会うべくして、出会ったんだ。だったら、オレに
出来ることは何でもしてやるべきなんじゃないか? 身内じゃないからこそ、
言えることがある。そして、こいつにはそれが一番、大事なんだ。
 イツカの冷たい怒りを含んだ視線が一直線にウィルを捉えていた。ティムの
“凍り漬けにされた空色”の目より、ずっと冷えた目。もしも、何かに例える
なら。ウィルは一人ごちる。まるで、大氷河期の地球のようだ。見渡す限りの
大地を包み隠した氷の世界。鳶色の瞳を冷たい怒りが覆っていた。
「ねぇ、ウィル。何の根拠があって、八つ当たりだなんて言うの? それって
言い掛かりなんじゃないの?」
「おまえだって、自分でわかっているんだろ?」
イツカは一層、不満そうな色を眉間に浮かべた。
 フォレスとティム、二人を作り出した制作者に対するイツカの反感はまるで
瓶に詰め込まれた冷気のように、ウィルには見えた。それは外、つまり憎んで
いる相手には直接、ぶつけられない、内に籠められた怒りなのではないか? 
理由はわからないが、イツカは憎む相手に正面から思うまま、怒りをぶつける
ことが出来ず、それで苛立ち、尚更、怒りを募らせているのではないか。そう
感じられてならなかった。そして、このおかしな直感は的外れではないと確信
もしていた。
こいつ自身、抑えているんだ。直接、相手とぶつからないように我慢している
んだ。
 それが制作者を慕うフォレスやティムのための配慮なのか、他の誰かのため
の遠慮や気兼ねなのか、ウィルには未だわからない。それでも確かにイツカは
自重している。そして直接対決出来ない分だけ、イツカの怒りは根深く、外見
以上にもっと冷ややかで質の悪いものなのだろうとウィルは考えた。そして、
将来、閉じ込められた冷気が瓶の内側から瓶全体を砕くように、イツカの憎悪
がイツカ自身に悪影響を与えるのではないか、そう、危惧するのだ。
だからこそ、黙っていられないんだ。
「何で、そいつと不仲なのか、聞いてもいいか?」
「何で、君にそんなこと、知る必要があるの?」
「それを知らないと、おまえと言う人間を理解出来ないからだ」
「ウィルに、僕を理解する必要があるの?」
「ないとも、言えないだろう?」
イツカはウィルの返事に戸惑った様子を見せた。怒りが引いてしまうと、血色
の冴えないイツカの顔には僅かばかり、動揺が残ったようだ。
「確かにないとは、言い切りも出来ないだろうけど。でも」
「教えてくれないか」
イツカは小さく首を振った。
「言えない。そんなこと、ウィルに洩らすわけにはいかない。ただ」
「ただ?」
「僕は本当に嫌いなんだよ。到底、好きになれないし、どんなに我慢しても、
共存は出来ない」
「そんなにまで不仲なのか?」
イツカは目を伏せ、そのまま、こくりと頷いた。
 イツカは嘘は吐かないタイプだ。彼は正直に、差し障りのないことは全て、
教えてくれる。だが、もしも、彼が本当に心底、フォレス達の製作者を嫌って
いるのなら。それは明らかな矛盾を露呈しはしないか? 自分が誰より、嫌悪
するその男が作った機械によって守られ、生きていることになるのだから。
「だったら」
ウィルの疑問を察し、イツカは強い目で遮った。
「そう。おかしな話だよね。僕は絶対、和解なんて出来ないその相手が作った
フォレスと一緒に暮らしているんだから。でも、僕はそんなこと、一回だって
頼んでいない。僕が依頼した話じゃない。だって、気が付いたら、フォレスは
いたんだ。僕の知らない未来って所から、自分の仕事をしに、ね」
「そりゃあ、そうなんだろうな」
イツカは肩の力を抜くように、小さく息を吐いた。
「ウィルと言い合ったって、良いことはないのに」
「まぁ、暇潰しにはなるけどな」
「でも、そんなこと、身体に良くないんでしょ?」
イツカはふっと表情を緩め、笑ったようだった。
「何?」
「最近、ウィル、ため息ばかりだ。それって、寿命を縮めるって昔、お爺様が
言っていたよ」
「お爺様? ああ、祖父か」
「祖父ではないんだけど。お爺様はね、すっごく長生きだったんだ。だけど、
出来たらもっと、出来ることなら、僕が死ぬまで一緒に生きていて欲しかった
な。そうしたら退屈しないで済んだのに」
「そんな、おまえ。たぶん、生身の人間には不可能だと思うぜ」
イツカはウィルを見た。目が合うと、どちらからともなく二人は笑い合った。
「良かったね、ウィル」
「何?」
「総責任者がやって来たよ」
 イツカはとびっきりの笑みを浮かべると、だが、玄関ではなく、奥へと駆け
出して行った。その廊下の突き当たりにあるドア。それは更なる地下へ降りて
行くための階段を隠したドアだった。

 

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