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 ウィルは首を捻り、もう一度、考えてみる。先刻、見聞きしたイツカの言動
を。
だって、あまりに訝しい。
総責任者がやって来た。イツカは確かにそう言って、駆け出して行ったのだ。
あの更なる地下へと続く階段を隠したドアに向かい、一目散に。
だけど、いくら変わった、おかしな家でも、客は玄関から来るだろう?
機械のフォレスさえ、玄関から出入りしている。それにこの家には外の世界へ
繋がるドアは玄関なるドア、あれ、一枚しかないはずだ。
と言うことは、つまり、その貯水庫には別に、地上に繋がる階段があるという
ことか。非常階段的に一気に上まで行けるような。当然、降りて来られるよう
な。
少し考えた後、ウィルは小さく合点した。
そうだよな。いくら何でも、完全にドア一つってことはないはずだから、他に
何らかの、出入り出来る仕掛けがあるんだよな。
イツカの言動には未だ、釈然としないものが残っている。だが、ウィルは自分
には出る幕がないことだとわかっていた。
とにかく。
ウィルは思い直す。あのイツカが本当に楽しそうな顔で、飛んで行ったのだ。
なら、良いお客さんが来たんだ。いいことだ。
 退屈凌ぎのための雑誌を手に取り、ウィルはソファーに座り直す。その内、
イツカは新しい客を伴って、戻って来るだろう。
今度は人間かな。それとも機械かな。
ウィルは自分の思い付きがおかしくて、笑い出したかったが、地下室で一人、
笑う中年男の図はどう見ても、何らかの末期症状のようだ。そう考え、躍起に
なってその笑いを噛み殺した。

 帰宅したフォレスは不審そうにウィルを見やる。聞きたいことはわかるが、
ウィルは敢えて、口を開かない。偶にはこの男にも、嫌がらせをしてやりたい
と思うからだ。
自分だけ、外に出やがって。
その悪態は自分の未来のために吐き出しはしなかった。
「イツカは?」
「誰か来たって、大喜びで奥へ駆けて行ったよ。三十分は経つが、それっきり
だ」
フォレスは黙っていた。彼には心当たりがある。そう見えた。そして、その上
で知らんぷりを決め込むつもりらしい。イツカのいる奥へ向かうそぶりすら、
フォレスは見せなかった。イツカが上機嫌で出迎えに行った事実すら認めない
気のようだ。フォレスは自分が抱えて帰って来た紙袋を、ウィルに指し示す。
「雑誌だ。おまえにはイツカの雑誌は面白くないだろう。いる物があったら、
具体的に言ってくれ。買い足すから」
「どうも。で、誰が、来ているんだ?」
「おまえが知る必要はない」
 フォレスは不機嫌に吐き捨てた。どうやら彼にも、ままならないことがある
らしい。ウィルは“機械”のそんな感情が興味深く、黙っていられなかった。
フォレスをからかうチャンスなど、そう多くはないはずだ。
「イツカはえらく嬉しそうに駆けて行ったけどな」
ウィルの皮肉混じりの報告にフォレスは一層、表情を硬くする。だが、イツカ
が上機嫌でいることの何が、フォレスの気に入らないのか、そこがウィルには
わからなかった。
「イツカが御機嫌なのに、何で、おまえの機嫌が悪くなるんだ?」
「おまえには関係がない」
「あ、お帰り、フォレス」
イツカの唐突な声にフォレスはピクリと背筋を正したようだった。戻って来た
イツカは両腕でしっかりと何かを抱えていた。それを床に置き、イツカは身軽
にフォレスに抱き付いた。
「遅かったね」
「ああ。道が混んでいたんだ」
フォレスもイツカの身体を抱き締め、その感触を楽しんでいたようだが、それ
は案外、短い時間だった。彼には他に何か、どうしても心に引っかかるものが
あるらしい。
「一人で来たのか?」
イツカは頷いた。
「お土産、貰ったよ。ほら、それ」
「ああ、良かったな」
「下にいる。フォレスに」
イツカは目を細めた。
「話したいことがあるって、待っているよ」
 フォレスはゆっくりと名残惜しげに、自分が抱えていたイツカの身体を床に
下ろした。自分が呼ばれていると聞いても、それでも未だ踏ん切りがつかない
ようにフォレスはイツカの背に回した手をそのままにしている。イツカの方は
すこぶる上機嫌で、フォレスを見上げていた。
「そんなに怒っていなかったよ。骨折したんだねって、言われただけ」
イツカはごく小さな苦笑いを見せた。
「叱られたのは僕の方。フォレスに謝りなさいって、言われた。最近、僕の度
が過ぎるって。そうだね。ごめんなさい。最近、度が過ぎました。これからは
慎むから、許してね」
「いや」
フォレスはイツカの頭を撫でた。子供にするのと同じようにそうしたものの、
彼の表情が和らぐことはなかった。相変わらず、こわばった顔のまま、それで
もイツカをいたわった。
「オレも、悪かったよ。カッとなってしまった。やっぱり、オレが悪いんだ。
手を上げてしまったんだから」
「大丈夫だよ、フォレス。そんなには怒っていなかったから」
イツカはフォレスを慰め、ささやかながら勇気づけもしたらしい。フォレスは
辛そうな表情のまま、頷いた。
「そうであって欲しいね。じゃあ、行って来る。説明しなくちゃならないから
な」
フォレスはイツカから目を逸らし、一つ息を吐いて、それから、ようやく地下
四階へと続くドアをめざした。その後ろ姿はいつもより、ずっと小さく見え、
ウィルも何だか、わびしい気持ちになっていた。
どうしても気乗りしない来客らしいな、あれは。

 

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