朝日が目に眩しい。空気が身体にしみ込むようだ。一面にゆっくりと薄く、 広がって行く淡い光。それは神々しいほど遠く、大らかに、輝き始めている。 こんなに綺麗な世界があったんだな。 まるで赤ん坊の頬のようなピンク色の空。早朝の空の下、行き交う車はなく、 人気もなかった。 こんな瞬間があったんだ。オレが知らなかっただけで。 二十四時間、絶え間なく行き交う人波がこの瞬間だけ、絶え果てたかのように 消え、周囲は静かだった。あまりに静かな空間にウィルは一人、立っている。 あたかも、ただ一人の生者のように。 ウィルは目を細めて、淡く瞬き始めた太陽を見上げた。そして、思うことは 一つだけだった。朝焼けは美しい。 最高だ。 ウィルは小さく、こっそりと苦笑いする。 オレがこんなこと、思う日が来るだなんて。 確かに外界は寒い。ウィルの身体の表面は固くこわばり、体温を守ろうと懸命 に努めている。だが、それでも寒さが不快だとは感じなかった。一日中、温度 の変わらない調整された空気は人を退屈させるばかりか、何らかの神経を麻痺 させてしまうのではないか、そうまで考えた。 こうして風に当たっていると、身体のあちこちで何かが目覚め始めたような、 そんな気がするくらいだ。 自分の首筋を容赦なく弄り続ける寒風すら、嫌だと感じない。強風が吹き荒ぶ 世界そのものが心地良かった。冷たい風もないよりはずっと心地良く、そして 人の心を安らがせてくれると考えた。 風って、皮膚に気持ち良い、ありがたい刺激だったんだな。 先月まで気にも留めていなかったことをウィルは再認識した。認識すること が出来た。ならば、きっと、あの長い地下生活も人生と言う、長い尺の中では 悪い体験ではなかったのだ。ウィルに得るものがあった以上は。 無駄にはならない。無駄にもしない。だって、こんなに綺麗なものがあるって 気付かされたんだ。貴重な体験をしたんだ、きっと。 ウィルは自分の吐く息が白く凍るのを見て、思わず、目を細めた。そんな現象 を見て、楽しいと思ったこと、ドキドキしたこと、そんな体験は遠い昔になら あったような気がする。 未だ母親と歩いていた頃。懐かしいな。昔のことはあまり、よく覚えていない のに。だけど、たまに寒いと嬉しかったような気がする。 ウィルは遠く、おぼろげで、不確かな、自分の過去を思い返してみる。確か、 そこは貧しい田舎町で、赤く乾いた土がそこら辺中を埋め尽くしていたように 思う。 暑苦しい所だったけど、年に何回か、ビックリするほど寒い日もあったっけ。 自分にはどうやら、振り返るに足る場所がある。普段は忘れているものの、 それでもいざとなれば、訪ねることが出来る。だからこそ、忘れているのかも 知れない。そうウィルは気付いていた。そして、それは幸いなのだ。ウィルは 感傷的な自分に気付き、気を取り直すために、わざと小さく背筋を震わせた。 コートの襟を立てながらウィルは改めて、あの地下へと下る階段を思い出す。 人気も、温もりも、何もない機能的な階段だ。それを降りきった先がイツカの 住まう華麗な地下世界だった。 また、フォレスと二人きりになるんだな、あいつ。 『帰してあげるから』 ウィルは懐かしく、その言葉を思い出していた。 年齢より、ずっと若く見えるイツカが笑うと、幼くさえ見えた。そしてその 顔でイツカはウィルを必ず、近日中に解放すると約束してくれた。つい、つり 込まれてしまいそうな、ありがたい笑顔だったが、実際、ウィルは大して当て にしていたわけでもない。当てには出来ないものだとばかり思っていた。決定 するのはフォレスとティムの二人であり、肝腎の二人にウィルを解放する気は なかったはずだからだ。 でも。口約束じゃなかった。 ・・・ 明らかに気乗りしない様子だった。だが、フォレスには自分を待っている客 を無視することは許されなかった。自らの迷いを振り切るように、フォレスは 姿勢を正し、“総責任者”の元へと向かって行った。フォレスが立ち去ると、 イツカは自分の抱えて来た包みを見やった。床に置かれていたそれは真っ赤な 高質紙で美しく包装され、金のリボンが掛けられていた。その上、結び目には 御丁寧にも柊の飾りまで付いているのだ。明らかにクリスマスプレゼントなの だろう。 何でもかんでも持っている奴に贈って、喜ばれる物って、一体、何だろう? イツカは宝物の中で暮らしているような人間だ。そんなイツカが、未だ持って いない物とはごく普通の丈夫な身体だけだと言っても、過言ではないだろう。 お坊ちゃんが喜ぶ代物って、何だ? 当のイツカは楽しそうな表情で包みを拾い上げ、ソファーに戻った。自分の 定位置に陣取り、満足そうに改めて包みを抱えて、見る。そんな幸せそうな、 屈託のない様子を見れば、ウィルは今と言う季節をまざまざと思い出さざるを 得なかった。 クリスマス。 ウィルとて、妻と子のために贈り物を考えていた。あれが良いのか、これが 良いのかと考えあぐね、だが、何一つ、実行はしていない。 何も贈っちゃいない。買ってもいないんだから。 物色はしていた。日々、気を付け、二人のため、何か良い品が自分のアンテナ に引っかかるようにと留意していた。 一ヶ月も。暇さえあれば、大真面目に場違いなモールをうろついたのに。 甲斐あって、あれだと思う品をウィルは見付けてはいた。 良い物があったんだ。きっと喜んでくれただろうに。 しかし、購入する直前にこんな地下生活に突入してしまい、ウィルは目当ての 品を買うことも出来なかった。それを思うとウィルの胸にも苦い、切ないもの が浮かび上がり、やるせなさに駆られるのだが、それはイツカにぶつけるよう な怒りでもなかった。 こいつだって、辛い思いしているんだから。 ウィルは自分の思いを吹っ切るべく、努めて明るく口を開いた。やはり、気 になることは即座に問い質しておかねばならない。 「何を貰ったんだ?」 「見る?」 イツカの顔に広がった笑み。それは子供じみて、幼いものだった。誰かに自分 の戦利品たるプレゼントを見せることが嬉しいらしい。イツカはカサカサと音 を立てながら包み紙を破がして行く。それにつられ、次第に胸を弾ませながら ウィルもイツカの手元をじっと見守った。しかし、それは予期しない、あまり にも意外な物の瓶詰めだった。 えっ? 雪? 本当に雪? 雪、だけ? |