ウィリアム・バーグ、無事帰還。誰彼無しにそう打電してやりたい。半ば、 本気で考えてみたものの、残念ながら、ウィルにそのメッセージを送る相手は いなかった。 何せ、出張していた、ってことになっているらしいからな。 夜が明けたばかりの早朝。空はうっすらと赤く、未だ初々しさを残している。 しかし、それももう、今日の分は残り僅かだ。騒音がウィルの車を取り囲み、 空はそろそろとウンザリ顔に変わり始めている。夥しい数の車が列を成して、 近隣の町々から流れ込み、街は一気に騒々しく変わる時間帯を迎えていた。 オレはこの喧騒の中に帰って来たんだ。 その感慨と喜びを噛み締めた。地下に渋滞はない。余計な物音すら、しない。 そう考えると尚更、感慨深い、久しぶりの渋滞だった。ウィルはせわしなく、 握ったハンドルに右人差し指を叩き付け続けている自分に気付き、苦笑した。 やっぱり、イライラしている。オレは変わっちゃいないんだ。 浮き世離れした隠遁生活を経験したものの、ウィルの気性は特段、変わること がなかった。それはウィルには心弾む出来事だった。 人は変わらない。そうだ。ちょっとやそっとのことじゃ、影響なんかされない んだ。 顧みれば、ウィルは子供の頃から結構なせっかちで、他人のアドバイスを聞き 入れなかった。聞く耳を持っていなかったのだ。 アリスの言うことなら、何でも聞いたけど。 ウィルに変身をもたらした愛する妻はウィルの、この“一ヶ月半”を知らない し、これから先、知ることもないだろう。 オレは設定されたシナリオ通りに生きていたことにしなくちゃならない。本当 のことは口外出来ない。オレは広域捜査に借り出されて、出掛けていたことに なっている。そう言い続けなきゃならない。もし、聞かれたら、の話だけど。 ウィルは自分の知らない所で、誰かに作成されたウィリアム・バーグのこの “一ヶ月半”を思い、正直、やるせないと思う。本人と言う、肝腎な登場人物 の承諾が無いまま、第三者によって書かれた一ヵ月半分のシナリオ。 曲がりなりにも、オレの人生の中の、オレの“一ヶ月半”なんだがな。 誰が考えたシナリオなのか、フォレスは言わなかったが、彼か、ティムの発案 だろう。シナリオは帰り際、押し付けられたボストンバックにこれ見よがしに 突っ込まれていた。 イツカじゃないもんな。 イツカは生来、気楽な性質だとウィルは思う。実際、彼には人が一人、一ヶ月 半にも渡って、家族に連絡も出来ないまま、留守をするということがどれほど 大変な非常事態であるのか、今一つ、呑み込めていない様子だった。 あいつは究極の世間知らずだから。仕方ないさ。 イツカ相手に腹を立てるのは、馬鹿馬鹿しいことだと割り切った。 そうだよ。イツカはいいんだ、イツカは。 ウィルは苦々しく歯噛みする。思い返してみれば、何もかもフォレスの仕業 で、フォレスの思う壺のように思え、良い気がしなかった。今、ウィルがこう して車を走らせていること自体、あの大男の言い付けだ。それを思い出すと、 胸が悪くなりそうだった。 何でもかんでも、一人で勝手に仕切りやがって。おまけに陳腐な筋書きに無理 やりオレを押し込もうとする。 事実、憤りは胸一杯、いや、どうかすると身体中から溢れんばかりに抱えて ある。しかし、ウィルには渋滞にいらつき、人差し指をハンドルに弾き続ける ように、フォレスへの怒りも我慢するしかなかった。 訴えて出る先なんて、どこにもない。どうにもならない。 渋滞ののろまな流れに従うように、不本意でもフォレスのシナリオに追従する しか、ウィルには策がなかった。 今はアリスに無用の心配を掛けないことが第一なんだ。 ウィルは性懲りもなく、ため息を吐く。そんなことで気が軽くなるわけでは ないが、それでも吐かざるを得なかった。 オレが承知しなくても、事実と違っていても、既成事実って言うのは一人歩き するもんだ。いかにも真実って顔で、スタスタと、な。 ウィルは確かに一ヶ月半もの間、上質とは言え、地下室に軟禁されて、世間と 交渉することが出来なかった。その間、ウィルが会うことが出来た生身の人間 はイツカとマークの二人きり。 あとの二人は機械ならしいからな。 ウィルはこっそりと苦笑いした。正直を言えば、今でも彼らが本当に機械なの か、否かは疑わしいと思う。担がれているのではないか、何らかのトリックが あったのではないかと、疑念は抱いている。だが、ウィルは二人に言われるが まま、外部との接触を断ち、一ヶ月半も地下室でおとなしく過ごした。それは ウィルにとっては不本意なことだ。しかし、それでも結局、ウィルは自分でも 感心するほど、“良い子”で過ごしたし、脱走も試みなかった。それどころか フォレスの嫌がることすらもしなかった。風呂上がりに半裸でうろつく程度の 無作法も、フォレスが嫌がるからこそ、しなかった。 だが、屈したんじゃない。無理をしなかっただけだ。そこは大違いだろ? |