外部に電話を掛けようと思えば、出来たはずだ。“総責任者”とやらと顔を 合わせたくないフォレスは何かにつけて外出していたし、その間、一緒に取り 残されるもう一人、イツカは大らか故か、ウィルの行動にそうそう関心を払う こともなかった。きっとそこにあった受話器をウィルが取り上げて、どこかへ 連絡しようとしていても、イツカは止めなかっただろう。 電話くらい、出来た。でも、オレはしなかった。 ウィルは陽射しを眩しく思いながら、ハンドルを切る。目的地はもう、すぐ そこだ。 もし、オレが誰かに電話して、何もかも打ち明けていたら、もっとややこしい ことになっていた。 そうなれば、きっと、ウィルが解放されることはなく、それどころか、新たに 犠牲者が出たかも知れない。そう恐れればこそ、ウィルは無理はしなかった。 軟禁されている理由が決して、口外出来ないものである以上、ウィルには連絡 を取ることが出来なかった。下手な嘘を吐かなくてはならない、そんな状況に 陥ると予期出来ることはしたくなかったのだ。 そんなこと、出来なかった。 三分以上、話せば、今、どこで何をしているのか、話してしまう。当然、相手 に質問をされ、そこから先の説明に窮するのは目に見えている。そうなれば、 電話の相手までも、フォレスやティムによってつけ狙われることになったかも 知れない。いや、イツカと言う、特別な立場にある人間に嘆願してもらえない 部外者の身だ。あっさり始末されてしまったかも知れない。そう思うと毎回、 受話器を見るだけで、ウィルの行動は終了してしまったのだった。 だって、オレが話したかったのはアリス一人。彼女と話したかった、普段より ももっと、もっと強く。 美しい妻、アリス。彼女は何も知らないまま、ウィルから届く便りを心待ち にしてくれていることだろう。 正解だった。とにかく彼女が無事で、オレも生きていて、また会えれば、それ でいい。 いささか不本意だが、ウィルはイツカがウィルのアパートに届けさせたと言う 妻達への贈り物をそのまま、使う腹積もりでいた。イツカはウィルが希望して いた色を全て、言い当てたが、よくよく考えてみれば、正確にその色を選べる はずはなかった。ピンクと言っても店には五、六色もの選択肢があった。確率 的にぴったり、その一色を当てている可能性はないが、それでもイツカの好意 ではあるし、ウィル自身、今年ばかりは妻に会って、手渡したいと考えた。 狡いけど、シェフだって時間が無ければ、ケーキミックスを使うかも知れない し。何せ、頑張って、こうして生き延びたんだからな。 ・ クリスマスと言う一大行事に参加する前に、ウィルにはしなくてはならない 用件が残っている。事実、ウィルはそれを果たすため、目的地へ向かっている 最中なのだ。解放され、真っ先に向かう先が同僚の自宅とは情けない話だが、 背に腹は替えられない。 会って、話を詰めておく必要があるからな。 ウィルの不自然な失踪を当たり前の出張にすり替える、実際の魔術師はマーク なのだ。 しかし、あいつ、どこをどうやってチョロまかす気なんだろ? 大体、普通、 オレは首になっているはずだぜ? 何しろ、無断欠勤、連続一ヶ月半、なんだ から。 シャローム相手なら、話は簡単だ。口の達者なマークが世間知らずの叔母を 信じ込ませるなど、造作ないことだろう。 シャロームはいい。基本的に人は嘘を吐かないと思っているから。 ましてや、相手がどう見ても裕福で、清潔な善人、マークであれば、疑うはず もなかった。 だから、シャロームはいいんだ。そんなことより、あいつ、どうやって、警察 って最大の、最も疑り深い組織を丸め込んだんだ? 久しぶりに訪れたマークの自宅は冬とは言え、晴れた日にふさわしい陽光に 照らされて、殊更、白く輝いていた。 相変わらず、これ見よがしな豪邸だな。 白い柵越しに客を待ち構える忠犬の姿が見える。彼は胡散臭そうに、ウィルを 見上げていた。 イヌか。ああ見えて、お高い犬なんだ。でも、だったらもう少し、気の利いた 名前を付けてやれば良かったものを。 聞き慣れない音を持つ、その犬の名前の由来を聞いて、ウィルにはあ然とした 覚えがある。 犬にイヌなんて、そんな馬鹿なって、誰だって思うだろうが。 イヌは何か、言いたげな顔つきで、すーっと門扉の方へ歩み寄って来た。 大騒ぎしてくれるなよ。また通報されたら、みっともなくて、オレ、職場復帰 出来ないだろ? 察してくれよ。 ウィルは辺りを見回し、行き交う通行人の様子を確認しながら、そっと犬へと 視線を戻した。彼にウィルの切なる願いが通じたものか、否か、未だウィルに はわからなかった。 |