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 大したやる気もなさげなほの暗い照明の下、器用に辺りに溶け込んでマーク
はこっそりと、だが、かなり長い時間、ウィルの様子を観察し、楽しんでいた
らしい。見られていた。そう思うと気恥ずかしく、ウィルは自分の耳が薄赤く
染まるのを自覚していた。
女、子供じゃあるまいに。
そう自嘲し、気分を改めようと躍起にもなる。場を一変させる、それには憤る
のが一番、手っ取り早く、しかも有効だと考えた。
何がそんなに面白いって言うんだ? おかしいだって? 何がだよ? 大体、
何で、こいつが今頃、こんな所にいるんだ? そっちの方がよっぽどおかしい
じゃないか? 署で一番の寝坊助野郎が何で、こんな時間に来ているんだ? 
「今度は御立腹かい? 本当、君は忙しい人だね、ウィル」
マークはおかしくて、笑いが止まらない御様子だ。それは見ればわかる。現実
なのだ。見たまま、他に解釈の仕様もない。しかし、笑われるウィルの方には
マークの着眼した“先”すら、わからなかった。今、自分のどの辺りを見て、
そこをどう、おかしいと感じ、ああも面白がっているのか、さっぱりわからず
に、ただ戸惑うばかりなのだ。
一体、何を笑っているんだ?
オレのどこがおかしいって言うんだ?
マークが未だこみ上げて来る笑いを、どうにかして噛み殺そうと苦心している
様子を見ながら、しかし、その意味がわからずに、ひたすら他人に笑われる居
心地の悪さを感じている。こんなに不快感に苛まれながら、場面が切り替わる
のを待つしか、為す術もないらしいのだ。
腹立たしい。このまま、終われるっかっていうんだ。
「何、笑ってんだよ? 何が面白いって言うんだ? それに大体、何でおまえ
がこんな所にいるんだ? おまえはこの分署で最も朝に弱い男だろ? そいつ
が何で、こんな早い時間にいるんだよ?」
 マークは遅刻の常習犯だ。はっきり言って、定刻より早く来た例など、全く
ない。その彼がこんな夜も明け切らない早朝に出勤するなど、有り得ないこと
なのではないか? マークは一人、機嫌良く、ニコニコとしている。青い目が
きらきらと輝き、まるで楽しげな海辺の空のようだった。
これで性格さえ、良けりゃあ、な。
「君って、本当にユニークな人だね、ウィリアム・バーグ。もし、僕が一生、
どこかに監禁されなきゃならないような、そんな不運を引き当ててしまった時
には是非、君を運命を共有するパートナーとして指名したいね。だって君なら
絶対、見飽きない。不自由な生活の中にも、きっと楽しい灯りを灯してくれる
ことだろう」
「どういう意味だ? 何で、このオレがそんな身勝手な一方的な御指名を引き
受けなきゃならないんだ? 冗談じゃない。胸くそ悪いぜ」
息巻くウィルを、マークは楽しそうになだめる。
「まぁま、そう怒らないで。ただ額面通りに受け取ってくれれば、それでいい
んだ。何しろ君は表情豊かで、面白い。そんな君と一緒なら、退屈もしない。
だからこそ、是非、君を指名したいってだけなんだ。誉めているんだよ」
「冗談じゃない。まっぴらごめんだ。人をまるで馬鹿みたいに言いやがって」
マーク自身、いい加減、こみ上げて来る笑いを堪えようと、苦心している様子
も見えるが、それでも未だ押さえきれないらしい忍び笑いを続けていた。意外
に笑い上戸ならしい。
しつこいって言うんだよ、馬鹿。
「本当、君は面白い。一人でそんなにくるくる表情を変えられる人間は面白い
よね。貴重な存在だよ。僕を和ませてくれる」
ウィルはマークの言い分に頷けず、首を傾げる。身に覚えがなかったのだ。
「一人で、くるくるって? 一体、何の話だ? オレは別に、一人で芝居して
いたつもりはないぜ? 俳優じゃないし、趣味の演劇団体にも加入していない
からな。当然、表情云々なんて、わざわざ練習するような理由もない」
「じゃあ、あれは本当に無意識だったんだ。ふぅん。だったら、今後のために
教えてあげようか。君はね、まず、馬鹿にしたような表情を浮かべていたよ。
そして次に心配したような顔になり、それから急にニヤつき始めた。そりゃあ
もう本当にニヤけていたんだよ。さぞかしエッチな妄想にふけってるんだろう
なと見ていたら、続けて、急に不機嫌な顔になって、いきなり、怒り出したん
だ。短い時間によくもまあ、そんなに次から次へと、種々雑多な感情が沸いて
出て来るよねって、感じ。めまぐるしかったよ。君、たった一日、生きている
だけで疲れるだろ? あれだけ一人で楽しめれば、別に娯楽なんていらないん
だろうね」
 いかにも感心しているらしい口ぶり。どうやら、嘘は吐いていないらしい。
とすると暗がりに紛れ、マークはずっとウィルの百面相を観察しつつ、心底、
楽しんでいたことになる。
底意地の悪い。普通、顔を見たら、速攻、まず声を掛けるだろう? まんざら
知らない間じゃないんだからさ。
「君は今、僕のこと、性格が悪い奴だと、そう思っているんだろうね?」
「オレの心理まで分析してくれなくていい。金にもならないこと、する必要は
ない」
精一杯、はねつけてみた。すると、マークは一層、楽しげに笑う。
「それもそうだ。だが、取り敢えず考えてみる。それが習慣なんだよ。だって
世の中にはいくら考えてみても、想像もつかせないような強者もいるからね。
これも一種のトレーニングさ。日頃の積み重ねこそがいざって言う時、ものを
言うんだ」
「へぇ。意外だね。案外、結構な心がけで生きているんだ。で、何でおまえが
こんな早朝にここにいるんだ? おまえは遅刻の常習犯じゃないか?」

 

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