ふと、マークの背後で冷たく、黒い口を開けている空間を見咎め、ウィルは 思い付く。それは地下ラボへ降りる階段だった。マークが立つ、その位置から 考えると、どうやらマークはラボから上がって来る途中、ウィルに気付いて、 そのまま隠れるようにして、例の一人百面相ショーを眺めていたことになるの ではないか? 悪趣味な奴。 しかし、心理分析官が直接、死体を観察に出向くものだろうか? 死体と言う 現物を眺めることがその製作者である犯人の心理を読み解く行為に繋がるもの か、否か。僅かに眉を寄せ、考えて、ウィルは頷く。 それも、あるか。こいつはラボに入る権限くらい持っているし、な。 確かに、マークにはラボへ降りる動機はあるのかも知れない。だが、それに しても、この時間は早過ぎる。 勤務時間内に行けば、それでいい話なんじゃないのか? マークは小首を傾げるようなしぐさでウィルの目を覗いたようだ。 「お察しの通りだよ、ウィリアム・バーグ。僕も時には死体に用がある。ま、 今日はイツカに用があっただけだけどね。ここでなら確実に会えると思って。 自宅に行ってもフォレスに門前払いされるかも知れないから。あいつ、自分の 御機嫌次第で勝手に門前払いを決め込んじまうんだ。効率が悪いんだよね」 「フォレス?」 耳慣れない名前にウィルが問い返すと、マークはさも意味ありげに目を細めて 見せた。 「ほら。イツカを送り迎えしている“あいつ”だよ。君も駐車場で思いっきり 睨まれたんだろ? モニターで見ていたよ」 ウィルは頷いた。 そうだ。まるで敵を見るみたいな、そんな目で睨まれたんだ。 あの敵意。思い返しても、ウィルの背筋には嫌な、冷たいものが走る。だが、 思い返してみると、あの時、ウィルには彼に睨まれる理由はなかったはずだ。 面と向かい合ったことすらない、全くの初対面。いや、正味、顔すら合わせて いない。すれ違ったに過ぎない接触なのだ。つまり、フォレスとウィルの間に はいがみ合うに至るだけの理由も、当然、トラブルが生じる理屈も何もない。 それにも関わらず、フォレスは憎悪の念すら見せて、通り過ぎて行ったのだ。 今、振り返ると到底、腑に落ちない行動だった。 何のこっちゃって感じだよ。言いがかりみたいなものじゃないか? ウィルがしたことと言えば、イツカを眺めていた、それだけなのだ。つまり、 イツカを眺めていただけのことで、あの男は不機嫌になっていたということに なる。 不合理だ。馬鹿げている。別に、嫌らしい目で眺めていたわけでもないのに。 だって、オレは金髪碧眼の“女”が好きなんだぞ。何一つ、かすってもいない じゃないか? あいつがどんなにイツカをイイと思ってたって、世間一般じゃ 絶対、アリスの方に価値がある。ま、比べられもしないけど。 「じゃ、あいつ、よっぽどイツカに惚れてんだな。傍迷惑もいいところだぜ。 誰も言い寄りゃしねーって、そう言っとけ」 「お断りだよ、ウィル」 マークは微笑み、しかし、答えは至って素っ気なかった。 「そんな自殺行為はすべきじゃないよ。だって、僕、殺されかねないじゃない か? それに何より、二人はそう言う間柄じゃないし、ね」 マークは苦笑いしたようだ。 「あれじゃ、誤解されても、仕方ないだろうけど」 「俗っぽい発想だってことか?」 「悪く勘ぐらないでくれよ。だけど、実際、二人は“出来てる”ってわけじゃ ない。フォレスはね、ずっとイツカの子守りだったんだ。自分が頑張ってここ まで育てた、守って来たって自負があるもんだから、執着するらしい。自分の 物だとある意味、信じているんだろうね。事実は違うのに」 「ずっと子守りだったって? そんなに歳の差、あったか? そりゃあ東洋人 は若く見えるけど、でも、監察医って仕事に就いている以上、ある程度の年齢 だろ? まさか、十にも満たない歳から子守りに就業出来ないだろうし。近所 のガキのバイトじゃなく、プロとしてって意味なんだろ?」 そうだ。家は金持ちならしいからな。 「そう。専業の、プロって意味でね。実際、フォレスはああ見えて、結構な歳 なんだよ。彼は若作りだよ。何しろ、イツカの一歳の誕生日から担当している んだから、長いもんだ」 「はーぁ」 気の抜けた返事を返しながら、ウィルはふと何でも知っているらしいマークの 白い整った顔を見据えてみた。男には関心がない。だから、今日までつぶさに 見たことがなかった、その顔を。 今、初めて、気付いたけど。 その顔は妻、アリスに似ていた。上等の絹糸みたいな輝く黄金の髪と、透き 通ったアクアマリン色の瞳。顔立ちそのものも、似通っている。 何で、今まで気付かなかったんだろ。こんなに似ているのに。 「どうして、君は僕の顔を凝視し始めたのかな?」 冷やかすような口ぶりで、マークはウィルの顔を覗き返して来た。高名な心理 分析官である彼に自分の心中を見透かされるのが怖くなり、慌てて、ウィルは 口を開いた。何か喋れば、話題は変わる。マークの気も反らせる。そう思った からだ。結果、ウィルの口を突いて出た言葉はいつもより早口だった。だが、 もう、引っ込めることは出来ない。 「おまえさ、何で、そんなにあいつらに詳しいの? 親しいのか、イツカと」 マークは小さく、首を振った。 「いいや。近しいのはフォレスの方とだよ」 |