ウィルは思わず、首を傾げていた。不可思議だと思う。年恰好からしても、 イツカの方と接点なり、なじみがある方がわかり易いように思うのだ。二人は 同年代で、共に裕福な出を感じさせるおしゃれな男だ。友人同士でも不思議は ない。 「おまえと子守り男のどこに接点があるのか、さっぱりわからないんだが?」 めざましい活躍を続ける“派手な男”と、毎日、子守りを続ける“地味な男” の間には世代すら、共通したものがない。マークはイツカとは同世代だから、 会えば当然、何らかの共通の話題があるだろう。だが、イツカを育てたと自負 するフォレスとマークでは確実に世代が異なり、両者の間に親しい会話が成立 するとは思い難かった。 「そんなに不思議なことなのかな?」 マークはごく穏やかな表情を浮かべ、ウィルの自問自答する様子を眺めていた ようだ。ウィルが訝しく思うのも当然と、理解している様子さえ見て取れた。 「簡単な話だよ、ウィル。僕はフォレスと同郷なんだ。お互いの実家が極めて 近かった。それだけ。“隣”って言うのかなぁ、あの距離だと」 隣なら、隣と平たく、そう言えばいいのに。 ウィルはそう腹の内で毒づきながら、しかし、黙っていた。格別、頭の切れる マークのことだ。何らかの他意を持って、隣と断言しなかったのかも知れない のだ。そこにわざわざ余計なことを言って、自らからかわれるはめに陥るよう な失敗はしたくなかった。 自分のミスで、むざむざ今日と言う一日を台無しにしたくはないからな。 だって。 今日と言う一日はまだ始まったばかりなのだ。 これ以上、嫌な思いはしなくていい。とうに散々、嫌な思いをしているんだ。 せめて、太陽が昇ってからはさわやかな一日にしたい。 そう思っていた。 だけど。 もう一つだけ。せっかくの機会だから。 そう自分に言い訳し、ごくさり気なくウィルは付け加えてみた。 「あいつ、イツカって、そんなにいい家の出なのか?」 イツカの素性を事細かに知る者など、署にはそういないはずだ。それに知って いる人間を捜してまであれこれ尋ねるほどの好奇心でもない。 だって、女のことじゃないからな。何となく気になるって、そんな程度なんだ から。 「まぁ、そうだね」 マークは簡単に頷いた。 「でも、いわゆる資産家って、そういう意味じゃあないと思うよ。やっている 研究が有名ってだけで、大層な資産家って意味ではないな。研究に注ぎ込んで いるから、生活自体は地味なんじゃない? 稼ぎのわりには、質素この上なし だよ。学者って、そんなものなんじゃないのかな。自分のことには無頓着だよ ね、研究一筋でね」 「へぇ。でも、あんな子守りがずっと付いていたんだろ? 学生のバイトじゃ ないんだ、それなりの額を取るだろうに」 「イツカはね、特異体質だから。だから、フォレスが必要だったんだよ」 「特異体質?」 マークはウィルの質問に即答せず、首を傾げて見せた。はぐらかすようで、 その実、茶化しているだけにも見えるおどけたしぐさだ。答えるつもりがある のか、ないのか。それすら、はっきりとさせない様子は彼らしいと言えなくも ない。 いや。 土台、彼には本心と言う、皆が持っているものがあるのだろうか? ウィルは 正直、ずっと、マークの精神構造が不可解に思え、わかり易く、まともに理解 出来た例はなかった。彼には喜怒哀楽を表す豊かな表情はある。それはいつも 目に見える。だが、ウィルにはその表情をまともに信じることが出来なかった 。マークが浮かべたその表情が本物か、否か。いつもウィルはまず、疑わしく 眺めなければならなかった。 何かが、変だ。 信じられない。 確かにこうして、違和感を感じている。だが、その違和感が一体、どこから、 何から生じているものなのか、ウィルには全くわからなかったし、是非、知り たいと願って来た。自分の方に原因があることなのか、それともマーク自身に 起因していることなのかを。 「何? 言いたいことは、はっきり言っていいよ。だって、僕達、今日からは もう少し親しくなれそうな、そんな予感があるからね。たぶん、君の方にも、 あるんだろ、ウィル」 ウィルは小さく、だが、しっかりと頷いた。マーク自身が促すのだ。ならば、 進んでも構わない道なのだろう。ウィルはそう解釈した。 「どう表現していいのものなのか。その、上手い言葉が思い浮かばないから、 その、多少、回りくどくなると思うんだが」 マークは微笑んだまま、頷いた。 「構わないよ。仕事柄、気は長い方だ。犯罪者は大体、のらりくらり、要点を ぼかして話しがちだからね。慣れているよ」 「そうだろうな」 微笑んだマークの顔は、こうして向かい合ってみると尚更、妻、アリスに似て 見える。一瞬、アリスと向き合っているような、そんな錯覚を味わい、ウィル がたじろいだほどだ。 何で、こんなに似ているんだ? 親戚でもないのに。 ふと思い付く。 あれ? じゃあ、アリスに似たショーンは将来、マークに似るのかな? 「あっと、つまり、だな。つまり、ずっと考えていたんだが」 「今、君が何を考えているのか。大変、興味深いところだね」 マークの苦笑いにくすぐられたようなこそばゆさを覚え、ウィルは慌てて、 口走っていた。 「何て言うか、そうだな。おまえ、母親似か?」 的外れなウィルの質問にマークは目を細め、それからゆっくりと口を開いた。 「僕には母親とか、父親はいないよ。最初から、いなかった」 ウィルは自分が大変な失敗をしたのだと気付き、せめて、急いで謝ろうとした のだが、マークの方が余裕のある笑みでそれを制した。 「謝る必要なんてないんだよ。僕は、神様が僕を創ってくれたと信じているん だ。僕のこの身体も、この魂も、全て。神様が一つずつ、神様の御手で創って くれた。そう信じているからね。幸せでしょ、そういうのって」 「そりゃあ」 口ごもるウィルに、マークはそれ以上、説明することを良しとしなかった。 「それじゃ、僕は一度、家に帰るよ。イヌに食事を与えなくちゃならないから ね」 取り残されたウィルは、なぜだか、しばらく動くことが出来なかった。 |