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 ウィル自身、血肉が怖いのだ。人のことは笑えない。だが、それでも、腑に
落ちない話だと思う。
いくら血が嫌いでも、イツカの傍を離れる方が嫌だろう? 近くにいないこと
には仕事にならないじゃないか、あいつ、子守りなんだから。
「そんなにまで血が怖いのか?」
「血も肉も、気持ち悪いらしいよ。相当、嫌いなんだよね。正確には腐るって
現象が気色悪くてたまらないみたい」
「へぇー。意外だな」
「彼は腐らないからね」
イツカはすらりと、言った。
「だから、朽ちるって現象にはどうしたって、馴染みようがない。仕方ないん
じゃない?」
確かにフォレスはほ乳類ではない。見かけはああだが、中身は機械だ。当然、
彼には人と同じ“死”は訪れない。もし、彼に“死”があるとすれば、それは
故障と言うべき現象だけだろう。
ま、死も故障には違いないか。修理不能だから、死なんだよな、どの道。
ウィルは更に思い付く。
でも、機械ならまた、再開も出来るんじゃないか? そうだ。機械なら、修理
すれば、部品のストックが続けば、終わりなんかないじゃないか。
ウィルは首を傾げてみた。
じゃ、やっぱり死なないってことか? 半永久的に生き続けるのも、可能なん
じゃないか?
「何、考えているの?」
「いや。ほら、機械だったら修理すれば、いいんじゃないかと思って」
「修理する人の方がいなくなるから、じゃないの?」
話題が気に入らない方へ進み始めたのか、イツカは疲れた顔に若干だが、不服
そうな色を滲ませる。しかし、好奇心に駆られたウィルには留まることなど、
出来なかった。
「職人がいなくなると、技術が絶えるってヤツか。それはあるかもな。でも、
修理出来なくなって、それが事実上のロボットの死だとしても。フォレスの、
あいつの見かけは人そのものだろ? 腐らないって、変じゃないか?」
「変?」
「だって、あいつの表面て、金属じゃないよな? 人と同じ、まるっきり皮膚
だよな。中身は機械かも知れないが、あんな人みたいな皮膚は放って置いたら
腐るんじゃないか? 金属だって経年劣化するし、人の皮膚だって日々、少し
ずつ生きている間中、入れ替わっているんだぜ。死んでそれが出来なくなって
初めて、皮膚は腐る。ロボットの皮だって、何かしないとやっぱり、変わって
来る。腐るんじゃないか?」
イツカは瞬いた。彼自身、考えてみたことがなく、ウィルに問われ、ようやく
想像してみたらしい。短い間があった。
「そんな場面に遭遇したことがないし、詳しい話は聞かないから、わからない
けど。でも、フォレスはきっと、腐らないと思う。彼はやや旧型だから。腐る
って、余計な機能は付けていないんじゃないかな」
「旧型?」
ウィルは素早く質問を放つ。
「じゃあ、新型があるのか? だったら新型は? 余計な機能って、何だ?
大体、腐るって、わざわざ付けるようなありがたい現象か?」
「ウィル、僕は彼らの“制作者”とは不仲なんだよ。詳しい話なんてするわけ
がない」
「ああ、すまん」 
イツカは反省しきりのウィルの態度に苦笑いを洩らし、気を取り直したように
半乾きの髪に指を入れ、その形を整える。
「フォレスに電話しておこう。今日は書類に時間がかかりそうだから」
 イツカは駐車場で待機中のフォレスに、電話を掛ける。寒い場所にいるとは
言え、フォレスに外気温は関係ないだろうが、それでもずっと待たせているの
はイツカにとって、気が引けることらしい。
「うん。終わる頃に電話する。一旦、帰っていて。そう。それから迎えに来て
親しい者同士の何気ない会話。聞くともなく、電話中のイツカの横顔を眺めて
いたウィルはそれを見咎めた。イツカが自分のシャツの襟口から抜き出した、
それ。
ペンダント?
イツカとはかなり長期間、正確には一ヶ月半も、同居したことがある。だが、
ウィルは今日までそれを見たことがなかった。時々、イツカの首筋でキラリと
光る、銀の鎖は垣間見えたことがある。しかし、育ちの良いイツカはいつも、
きっちりと服を着込んでいたから、その吊り下げられた物体は見えなかった。
銀の小瓶。やや薄い、四角形の小瓶には凝った細工が全面に施され、高価な物
に見えた。
 通話を終えたイツカはウィルの視線に気付いたように、こちらを見た。
「何?」
「それ、薬瓶か?」
「違う。薬はフォレスが持っている。知っているじゃない?」
それはそうだ。
「でも、それ、何か、入れるための瓶だろ? キャップがあるんだし」
「これの中身、知りたいの?」
イツカはどこか、からかうような調子でウィルを見上げる。彼は小瓶をウィル
の方へ差し出して、微笑んだ。
「骨が入っているんだよ」
「骨?」
「そう。小さな骨の、欠片。この子には墓がないから、これ自体が墓みたいな
物」
「骨って、誰の?」
「僕の片割れ」
イツカは薄く微笑んだ。
「僕は生まれる時までは双子だったんだ。彼は死産だった」
双子。
 ウィルは幼いショーンを思い出す。淡い金色の髪。母親似の愛くるしい息子
はとりわけ、美しい赤ん坊だった。それを思うと、東洋人の赤ん坊を見た記憶
はないものの、イツカは格別、愛らしかっただろう。そして本来、その赤ん坊
は対だったのだ。その片方が欠けるのは、惜しむべき損失だと思えた。
もったいない話だ。
もし、もう一人、イツカがいたなら。
見た目はより豪奢だし、当然、イツカも退屈しないで済んだのに。
「何、耽っているの?」
「すまない。余計なことを言った」
「謝ることないよ。事実なんだから、質問に答えたって、問題ないでしょ」
イツカはクスリと小さな笑い声を上げた。
「ま、非がある人は謝らないよね。自分の非なんて認めたら、責任を取らなく
ちゃならなくなるものね」
「な、墓、作った方がいいんじゃないか?」
 イツカはいくらか気の抜けたような、ボンヤリとした目でウィルを眺めた。
その表情を見、ウィルは考えてみなければならなかった。自分はそんなにまで
間抜けな、見当違いなことを口走ったのだろうかと。
「いや。差し出がましいことを言うつもりはなかったんだが」
慌てて、弁解をしながら、だが、ウィルは自分の意見を言っておきたかった。
言わずにはいられなかった。
「墓は作った方がいい。土に、墓に埋葬された方がぐっすり眠れる」
「そうだね」
イツカは頷いた。
「でも、たった一人で土の中にいるのも、淋しくないかな」
イツカは綺麗に並んだ指で、小瓶を大切に持っている。その目は親しい家族を
見るような、優しい表情を浮かべていた。
「僕が死んだ時に、まとめて埋めてもらうつもり。元々、セットなんだから、
それが正しい埋葬の仕方なんじゃないのかな」
 ふと、ウィルは自分が隣りのラボで突っ立ったまま、見た幻を思い出した。
あれは自宅で見た夢のようでもあるが、その境は不確かだった。白い世界の中
でイツカは自分の頭部を抱き締め、ウィルを見上げていた。
喋ったのは首の方だった。
イツカの手元で光る、小瓶。ウィルにはそれがひどく気掛かりだった。

 

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