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 イツカはさっさと自分の胸元、それも奥深い所へ、小瓶を押し込んだ。そう
やってしまい込んでしまえば、その“墓”はもう、外からは見えない。誰しも
まさか、そんな所に遺骨があるとは考えない。誰もその存在を知らない以上、
“彼”の眠りを妨げる者は現れない。結果、ある意味、完璧な“安住の地”と
なっているのかも知れなかった。
普段はイツカごと、土の中なんだしな。
イツカの暮らしは生きたまま、埋められているのと大して、変わらない。陽に
当たることが出来ないという特異体質も、生まれついてのものではない。
完璧に故意に“後付けされた”んじゃないか。閉じ込めておくために。それに
しても。えらく、簡単にしまい込みやがったな。
手慣れた動作は常時、大切に小瓶を胸に下げている現状とはそぐわず、故人に
対して、つれない態度と取れなくもない。それが何だか、釈然としなかった。
片割れがいなくて、淋しいとか、思わないのかな? 
イツカにとって、人生の初日に死別した兄弟とは一体、何なのだろう。ウィル
は先ず、それを考えてみた。死産だった片割れ。当然、彼はとうの昔に死んで
いる。
つまりはイツカが生きて、重ねた分だけ、年月が経っているってわけだ。
イツカの見た目はとても若い。東洋人は歳より若く見えるものだが、それでも
狡いと感じるほど、イツカは若かった。だが、実年齢を考えると、“片割れ”
の死後、結構な年月が過ぎていることは明白だ。
それくらいの時間が経ったら、大抵のことは忘れるよな、普通。
ウィル自身の経験から考えれば、人はそれだけの歳月が経ってしまえば、大方
のことは忘れ去る。
子供の頃、あんなに好きだった金髪のステファニーですら、この頃はうろ覚え
なんだもんな。ちょうど、それくらいの年月か。
 好きだった少女の記憶が薄れ始める頃、幸い、男は好きな女性に巡り会う。
そうなってしまえば、過去の思い出は都合良く無用と化す。
こないだの分は忘れる。それが幸せの秘訣だ。昨日の女のことなんかその内、
忘れる。忘れるから、明日の出会いを待つ喜びがある。だって、オレはアリス
に出会えて、過去なんかどうでも良くなった。あれもこれも忘れたことにすら
気付きもしなかった。
 妻を思い出し始めるとウィルはいつも、しばらくはうっとりと彼女の面影に
酔い痴れる。白い肩の上にたっぷりと降りかかった金色の髪。その黄金の波の
中に鼻先を沈め、ウィルはいつも考えた。“オレでいいのだろうか?”、と。
ふっと我に返り、ウィルは背筋を伸ばした。
そうだ。イツカだ。イツカの死んだ兄弟のこと、考えていた。随分、長い時間
が過ぎているって、考えていたんだ。
死後、それだけの年月が過ぎてしまえば、生きて接したことのない二人の間に
は血縁以外の関係はないに等しいだろう。
“すれ違っただけ”の兄弟だ。
例え、兄弟であっても目を合わせ、話し、笑い合った記憶がなければ、互いに
親しみが持てなくて当然だ。決して、イツカが薄情なわけでも、淡泊なわけで
もない。必然に過ぎないのだ。
一緒に育たなくちゃ、思い出も育たない。そりゃあ、愛情が育つわけがない。
同じ空間に立ち、同じ景色を眺め、同じ風を感じながら兄弟は育つ。同じ物を
食べ、似たような服を着て、兄弟は育つのだ。
結局、環境が兄弟へと育ててくれるようなものだよな。
それを思えば、血と肉を分かち合った双子であっても、イツカと死産の兄弟は
他人と変わらない間柄に近い。
話したこともないんだから、仕方ないよ。イツカにとってそいつはもう、とう
に消化しちまった古い話なんだ。今となっては遺骨も、お守り代わりに持って
いるだけなんだろう。
 好意的に解釈するなら、自分の死後、自分とその遺骨を一つに纏め、再び、
一緒に埋葬してやろうと決めているだけでも、“片割れ”には十分な愛情だと
思えた。
基本的にこいつは優しい。時々、疑わしい時もあるけど、あれは薬の副作用的
なものらしいからな。
ウィルの意識はようやく現実に立ち戻り、目の前にいるイツカへと注がれた。
ウィルがボンヤリと考え事に耽っている間にイツカはすました顔で先程、解剖
中、自分が吹き込んだ記録用のテープや、自ら撮影したポラロイド写真、その
他、ウィルには何だかわからない代物が収まったシャーレ、臓器の切れっ端の
ような物や、何かの浮かんだ瓶を自分の机上に次々と並べて行く。それらの物
体には予め決められた、存在すべき位置があるらしい。イツカは自分が知って
いるその“法則”を再現すべく、驚くような几帳面さでディスプレイの周りに
それぞれを配置して行く。彼はその作業に全身全霊を賭けている様子だった。
その真剣さから見て、彼には彼の使い勝手が明確な形として存在するらしい。
お利口さんの集中力って、凄いからな。もう、こいつ、骨のことなんか、頭に
ないよ。次の仕事に向けて、準備に夢中なんだ。

 

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