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 アリスは金髪碧眼の完璧な美女だった。無欠の容姿を持つ彼女は、しかし、
外見だけが優れていたわけではない。学生時代、彼女の成績はずば抜け、運動
神経も抜群だった。その上、面倒見が良く、快活な彼女はまさにハイスクール
で唯一、光り輝き、皆が崇める星の如き存在だった。
あまりにも遠く、遙か彼方で瞬く星だった。
誰しも、憧れの星、アリスがこのまま、生涯、幸せであるよう祈ったが、自分
の伴侶になる、出来るなどとはどれほど図々しい若造でも、軽々には夢想すら
出来なかった。それは誰にとっても大それた、叶わぬ夢だった。
それなのに。オレは何て、幸運なんだろう!って、感激したのに。
 ウィルはある日、そんなアリスから温かな、“特別な”眼差しを注がれた。
その時、ウィル自身、自分の気の迷いだと思った。そんな馬鹿なことは起こり
得ない。当然、自分の勘違いであり、似たような偶然は二度とないと考えた。
だが、確かに彼女は他の誰にも向けたことのない視線をウィルに向け、そして
その瞬間は一度きりで終わらなかった。ウィルは想像もしない僥倖を前にして
うろたえたのだ。
オレは自分の幸運を先ず、信じられなかった。
もし、それが他の誰かに向けられたものだったなら、彼女はその男を好きなの
だと、簡単に理解しただろう。だが、それが他ならぬ自分に与えられた彼女の
好意なのだとは到底、信じられなかった。
そんなことがあるはずはない。オレがアリスに好かれるはずがない。だって、
オレは特別なんかじゃない。バスケ部じゃ、レギュラーだったけど、花形じゃ
なかったし、車も、バイトでやっと買った中古だ。田舎育ちだって、バレバレ
だったし、目立つほどのもんじゃなかった。
 半信半疑のまま、それでも、すぐにアリスの好意は周知の事実となり、皆に
羨望混じりの冷やかしや激励を受けるようになった。そして、ようやくウィル
にも現実と認識出来、それからは自分の心臓は破裂するのではないかと本気で
危惧するようになった。
オレは喜んだ。小躍りしながら、帰路についた夜だって、あった。
ウィルは彼女の気持ちを得た喜びに血肉が沸き出しそうだった。素直に歓喜に
打ち震えたのだ。
絶対にこの喜びは忘れない。この幸せは生涯、絶対に手放さないと思った。
 ウィルは仕事中のイツカの背中を見、遠慮を込めて、ため息を押し殺した。
今、署内でこんなことを考えている自分は愚か者だ。だが、ウィルは考えずに
いられなかった。クリスマスと言う、特別な日が終わろうとしているこの時、
今だからこそ、考えずにいられなかった。
オレ達は愛し合っていたし、オレは今も、彼女を愛している。なのに、なぜ、
オレ達、こんな長い間、別居を続けているんだろう。離れることなんか、絶対
にないはずの二人だったのに。
二人は互いに望んで結ばれた。決して、行きがかりで結婚したわけではない。
ウィルはもちろん、アリスもあらゆる努力をした。自分の家族を説き伏せて、
同時にウィルの昇級を長い間、待ってもくれた。そうやって時間をかけ、環境
を整え、やっと結婚して、一人息子ショーンを得た。二人は幸せの絶頂に辿り
着いたばかりだった。
シャロームが来なきゃ、今でもオレ達は仲良く暮らしていた。オレ達には何の
火種もなかった。
 きっかけは些細なことだった。シャロームのあの度を超えて不味い手料理に
さすがのアリスも根を上げた。更には味覚を作りつつある、大事な時期にある
ショーンの発達を守るべく、夫婦は安全策を取ることにした。
飯が不味いくらいって、他人は思うさ。だけど、毎日三食、繰り返し、あそこ
まで不味い物を食べるのは本当にきつい。想像を絶する苦行なんだ。それでも
かわいそうなシャロームから、“人のために働いている”って自己満足を取り
上げるのは酷だった。優しいアリスにそんなこと、出来っこなかったし、オレ
だって、シャロームを抜け殻にはしたくなかった。まさか、こんな長い時間、
離れ離れになるなんて思いもしなかった。
 二人はとりあえずの一時的な措置として、別居を始めたつもりだった。叔母
が他所に自分の住処を見つけるか、もう少し人間らしい料理を作るようになる
か、迷惑な行為と気付き、料理を止めてくれれば、それでいいと思っていた。
そうすれば、また、一緒に暮らせるようになると思っていたんだ。
だが、実際は今も二人の別居は続き、問題解決の糸口すら見つかっていない。
シャロームは相変わらず毎日、嬉々として、超人的な不味い料理を作り続け、
ウィルにはそんな叔母を放り出すことが出来なかった。
何の変わり映えもなく、同じような一週間が何度も何度も繰り返されて、今日
に至ってしまった。
その間、アリスから規則正しく届けられる手紙は毎回、ほぼ同じ内容だった。
彼女は昨日も、今日も同じようにウィルを愛し、再び、同居出来る日が訪れる
ことを願って、暮らしている。
文面からはそう取れる。そう読めるように、書いてある。
だが、彼女は決して、行動を起こさない。彼女の毎日に波風は立たなかった。
うがった見方をするならこのまま、永久に続く、現状維持を願っているのでは
ないか、とウィルが疑う節さえ、あった。
“無理をしてはいけない”
“慌ててはいけない”
“人に変化を強いてはいけない”
そんな言葉の羅列の最後に、アリスは愛していると付け加える。
こんなことを思うなんて、オレが卑怯なんだろうか? アリスのせいにして、
現実から逃げようとしているだけなんだろうか?
ウィルは自分の家族が初めて、アリスに引き合わされた時、うっかり浮かべて
しまった表情を忘れたことがない。忘れられなかった。何度、目を閉じても、
開けても、薄れもしなかった。彼らの中に家族の幸せを妬むような、さもしい
者はいなかった。彼らは皆、お人好しだ。当然、ウィルの幸運を手放しで祝福
してくれるはずだった。ウィルも、アリスに会って喜ぶ家族の顔を期待して、
出会いの場を用意したのだ。だが、それは期待外れに終わった。彼らはウィル
の美しい恋人を見た時、本来、そんな場で見せるはずのない、ただならぬ表情
を浮かべ、慌てて、その不穏な色を押し隠そうとした。
まるで。映画か、何かで鏡の中に吸血鬼の影が映っていないって、気が付いた
時みたいな、そんな顔だった。

 

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