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 イツカの機嫌は芳しいものではない。そして、その理由はウィルではなく、
画面の中にあった。
そりゃあ、そうだ。“リプレイ”するんだからな。
被害者に為された残酷な行為。その数々を第三者として、改めて再考しつつ、
更に具体的な文章にして書き起こすのはやはり、精神的にかなり辛い作業なの
だろう。先刻、自分が切り開いた被害者の亡骸に為された行為の跡全てを事実
と、それから想像しうる仮定を織り交ぜながら再現する作業だ。決して、肉の
上辺だけをなぞればいいような、甘い作業ではない。
苦行だな。想像しただけでもゾッとする。代われと言われても到底、オレには
出来ない。だが。
もし、その作業が頭の中で犯人の行為を一つずつ、順番に再現して行くことな
のだとしたら、その時、イツカ自身はどちらの側の気持ちを味わうのだろう?
自分が“やっている”気分なのか、それとも、“やられている”気分なのか。
一体、どっちだろう? 大体、どっちの側の感情をなぞる時、人は興奮するん
だろう?
 ウィルは自分の思いつきにぶるっと、背筋を震わせた。それは余りに下卑た
つまらない発想だと、気付いたからだ。一瞬、シャロームが眉を顰めている様
を思い浮かべてしまい、ウィルは尚更、気恥ずかしくなった。
オレはもう、叔母に叱られるって、気にしなくてもいい歳なのに。
ウィルは小さくため息を吐いた。
こんなつまんないことを延々、考えているから、帰れって言われるんだな。
ウィルは画面を見つめ、作業に励むイツカの後頭部を見やった。ピカピカと、
つややかな光沢を放つ、その髪。それは非常識なまでに美しい髪だった。
まるで子供のようだ。
人は生きていれば、当然、ハリやツヤを失って行く。
それなのに。何でそんな光っているんだ? まるで光の粒でコーティングして
いるみたいじゃないか? アーモンドチョコの要領でさ。
高価なシャンプーか、リンスの成果だろうが、それも信じ切れなかった。実際
にウィルもイツカの家にいた時にはそのバスルームを使っていた。シャンプー
が理由であれば、ウィル自身、値段の威力を味わうことが出来たはずだ。
だが、指通りがいいとか、匂いがいいとか、そんなことしか、思わなかった。
イツカの部屋の風呂を使っていたわけじゃなし、違う物なのかも知れないが。
それにしたって、こいつの髪は特殊過ぎるんじゃないか?
一体、何で出来ているんだろ、あの髪。
そんな突拍子もないことを考えながら、ウィルはイツカの髪を眺めた。アリス
の金色の髪も、美しいと思っていた。だが、イツカの髪はそれより、はるかに
美しい。同じ遺伝子を持つ、人の髪には見えないほど、美しいのだ。
こいつ、人なのか? 違う生き物なんじゃないのかな?
「ね、ウィル」
イツカの冷たい声に、ようやくウィルは我に返る。
あれ? 何を考えていたっけ?
「君、僕の話を聞いていた? そんな所で物思いに沈まないでくれないかな?
後ろから、暗ぁい空気が漂って来るから、こっちまで疲れる」
「おまえは普通に帰って休んだらって、優しく言えないのか?」
「通じているんなら、それでいいじゃないか?」
イツカは小さく笑った。
「無理することはないよ。ウィルはここにいる必要、ないんだから。冷えるん
でしょ? 体調、崩すよ」
「そうだな。作業場はともかく、ここ、えらく涼しいな。空調の調子が悪いん
じゃないか? もっと暖かくした方がいいぞ」
「わざわざ、この温度に設定しているのに。僕の家も、これくらいだったじゃ
ないか」
「ああ」
ウィルは合点し、頷いた。
「そう言えば、寒々しかったな。オレ用に少し、温度を上げてくれたよな」
「フォレスにはあれくらいが適温なんだよ。僕も、寒さには強い方だし」
イツカは一段落が付いたのか、ようやく働き者の手を休め、振り向いた。その
顔は頬の辺りが少しばかりへこんだ感じがあるものの、目には生気が溢れて、
たっぷりの水分を溜め込んだ、まるで水面にガラス玉が浮かんででもいるよう
だった。
「本当に休んだ方がいいよ。ウィルはこれから忙しくなるんだから」
イツカは今度はウィルを気遣う、彼の真意そのままの優しい言葉でそう言って
くれた。
いい声だな。
ウィルは正直にそう感嘆していた。
 イツカの声は柔らかい。もし、その声を何かに例えるなら、木なのではない
かとウィルは考える。
木質なんだ。たっぷり水気を含んだ、温もりのある立ち木の声だ。
それは例えようもないくらい、柔らかく、肌に心地良く触れる、優しい声だ。
価値のある声だな。一人で喋っていてくれさえしたら、それだけで森林浴して
いるようなものだ。
ウィルは自分の発想に苦笑した。それはつまらない思いつきだが、当たらずと
も、外れてはいないだろう。
もしかしたら、こいつの一番の長所は顔じゃなくて、声かも知れない。
姿形の美しさなど、個人の嗜好に大きく左右される価値であり、到底、普遍の
基準があるとは思えない、あやふやなものだ。イツカほどの美貌を持ってして
も、当然、全く通じないこともあるだろう。
有色と言うだけで、評価しない輩はいる。残念だが、有色人種ばかりを狙って
殺す、そんな愚か者がいるくらいなんだから。
それでも、誰だって、この声は評価するはずだ。
だって、アリスに一つだけ、欠点があるとしたら、声だからな。アリスの声は
こんなに柔らかくなかった。どちらかと言えば、金属っぽかった。
イツカはポンと、ふいにウィルの肘を叩いた。ハッとして見やると、いくらか
険しい表情でイツカはウィルを見ていた。
「ね、ウィル、本当に疲れているでしょ? そろそろ、引き上げたら? これ
から忙しくなるんだし、休んでおいた方がいい。君、様子がおかしいよ」
もっともな意見だ。だが、さすがに承知は出来なかった。
「そうはいかない。おまえは仕事しているんだし」
「これを書き上げてしまえば、それきりだから、君とは違う。だから、構わず
に引き上げて。今の内にやらなきゃいけないことが他にあるんでしょ?」
 イツカが言いたいこと、それがウィルには瞬時にはわからなかった。だが、
それでもようやく思い浮かぶことがあった。

 

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