「ウィリアム・バーグ」 冷然とした声にウィルは思わず、背筋を正した。 「何で君、そんな所にいるの?」 声の主へと身体を向けるのが、一瞬だけ、怖かった。短い躊躇の後、それでも 勇気を振り絞り、振り向いた。どこから、どうやって、出て来た人間なのか、 さっぱりわからないような、体温すらないようなそんな様子でイツカは立って いた。機嫌が悪いのは一目瞭然だった。怪力自慢のフォレスがどうして、華奢 なイツカを恐れるのか、さっぱりわからなかったこと、それがまるで嘘のよう だ。 うん。これなら誰だって、怖い。目を合わせていたら、石に変えられそうだ。 イツカはウィルの目を見据える内、更に機嫌を悪くしたようだった。 「人のこと、馬鹿にしている時間はあったんだな」 「別に、オレは誰のことも、馬鹿にしていないけど」 「ふぅん。じゃ、さっさと帰ったら?」 「仕事は終わったのか? オレが送ってもいいよ」 ウィルは立ち上がったが、イツカは表情を緩めることはしなかった。 「あいにく終わっちゃいない。署長に呼ばれたから、中断しただけ」 ウィルは首を傾げた。署長が監察医を招いたとしても、さほど不思議ではない が、彼の性格を考えると、“呼びつける”よりは“ノコノコやって来る”の方 が似つかわしいように思う。 署長はイツカの実家には一目置いていた。高名で、更に金持ちだなんて、署長 好みだもんな。そこの令息を呼びつけるなんて、あのミーハーがするかな。 「鍵を掛けるから、出てくれない?」 「ああ。でも、どうせ、そろそろ、掃除の連中が来るんじゃないか?」 イツカは不機嫌そうな目をウィルに向け、ウィルをたじろがせた。 「ゴミは回収してもらうけど、中には入れない。自分で掃除して帰る」 「はっ? だって、清掃員は掃除するためにいるんだ。おまえが血相変えて、 掃除する必要はないじゃないか」 「データがある所に他人なんか、入れない。君は珍しい例外だったけど、次は 入れない。人の好意を無視する人だからね」 「ち、ちょっと待て」 イツカはウィルの声など聞いていないようにスタスタと、外へと続くドアへ 向かって、歩いて行く。 「待て、言い訳はさせてくれよ。オレが電話を掛けなかったのはもう、そんな 時間じゃないと気付いたからだ」 早口の言い訳にどれほどの効果があったのか、イツカは立ち止まった。 「午後十一時を過ぎていたから、今日はダメだって気付いて、それで電話する のは取り止めた。子供はとうに眠っている時間だ。起こせばいいって思うかも 知れないけど、アリスは、妻は時間には正確って言うか、例外とか、その」 口ごもるウィルを、イツカは見上げた。 「君の奥さんはフォレスと同じタイプだね。何歳児は何時に眠るべきだって、 一度、決めてしまうと、絶対、それを守るタイプ」 「ああ、そう。そうなんだよ。妻はそういうの、徹底していてだな。さすが、 おまえは察しが早い。物わかりがいい」 「感心する程のことじゃない。人の性格なんて、基本は同じ。そんなたくさん パターンがあるわけじゃない」 ウィルはイツカのこの様子は明らかに、おかしいと思う。 オレがこんなパニック起こしていて、それでも気付くなんて。 「どうしたんだ? せっかく忠告してくれたのに悪かったよ。でも、明日、朝 になったら電話をする。おまえのアドバイスを無駄にする気はないから、気を 悪くしないでくれ」 イツカは暗い目をしたままだった。 「別に、君のことだから、これ以上、お節介焼くつもりもないよ」 「じゃあ、何で、そんなに暗いんだ? 何か、あったのか?」 ウィルはイツカの暗い表情に言い知れぬ不安を覚える。それは今日までイツカ が見せたことのない種類の怒りにも見えたからだ。 「どうしたんだ?」 「たぶん、僕は外されるんだと思う」 「外されるって? まさか、捜査からか?」 「そう」 イツカは小さく頷いた。 「なぜ? だって、おまえが一番、有能じゃないか。正直言って、おまえなし じゃ、これから先、他の臓器の持ち主が発見されたって、意味が無い。代わり の誰が来たって、埒が明かないだろう」 「どうせ、旧世代のやり方で捜査するんだから、同じことだよ。外されるのも 嫌だけど。そうじゃなくて。何だか、とても、嫌な予感がするんだ」 イツカの声はしっかりとしていた。ただ、その手が握り締めている物はあの、 彼が常に身に付け、隠し持っている“墓”だった。 「先生」 新しい声にイツカはゆっくりと顔を向けた。その先にいるらしい誰か。 「ゴミの回収に参りました」 聞き覚えのある声にウィルは安堵し、イツカの背中に手を当ててやった。 「大丈夫だ。おまえが外されるわけがない。そんなことをする理由がないし、 疲れていると悪い予感がして来るものだよ」 「楽観的な」 「先生?」 返答を求め、訝るジョンの声に、ウィルが答えてやった。 「今、開ける」 「はい、お願いします」 下っ端の警備員ジョンに課せられた最も重要な仕事、それはゴミの回収だった らしい。ジョンは生き生きとした若い声をドアの向こうから返して来る。彼は 張り切っている様子だった。それが何だか、おかしくて、ウィルは小さく苦笑 したのだが、その掌の下にあるイツカの背中はこわばったままだった。 |