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 地下ラボの冷蔵庫内にひっそりと保存された“彼”はこの街で初めて、あの
“一色きりの世界”の手にかかり、殺害されたと思しき、被害者だ。
今のところ、奴らの仕業と断定は出来ないが。それにしても。
あれは何とも形容し難い、奇怪な死体だった。ウィルは改めて、被害者の状態
を思い出し、額に再び、嫌な汗を浮かべた。
無惨な、だけど、そのくせ、どこか、風変わりな有様なんだ。
死体には本来あるべき、頭部と両手が無く、体内には他人の臓器が幾つか詰め
込まれていた。それはある意味、非常に滑稽な状態と言えるのではないか?
だって、普通、そんなこと、しないし、されもしないだろ?
死体の頚部と両手首の、三ヶ所にある切断面には白い粉が塗し付けられ、その
下には赤い血肉がうっすらと透けて見えていた。その図は間抜けなホラー映画
でも採用されないようなものだが、しかし、あくまでも現実だった。更に腹に
残された“傷口”は御丁寧にも、安全ピンで縫合されていたのだ。
到底、ありふれた死体の形状とは言えない。
あんなことをするなんて、悪意以外の何物でもないんじゃないだろうか。
 普通の人間、生涯、犯罪行為には及ばない多数派にはわざわざ、そんな細工
をする凶悪犯罪者の意図が全くわからない。
想像もつかない。一体、何のためだ?
死体の頭部と両手が無ければ、身元がわからない、というのは前時代の話だ。
この頃の捜査は科学的には何の進歩もしていない、むしろ、後退しているって
マスコミには叩かれているけど、それでも前時代よりはましな捜査をしている
はずだ。
顔や歯、指紋が無くとも被害者の身元など、近日中に判明する、それが昨今、
当たり前だ。
つまり、被害者の身元を隠すため、とか、普通の人間が考えつくようなことの
ためにやったんじゃない。ましてや、切断面に粉をはたくなんて、何の意味も
ないことをなぜ、やるんだ? 単なる趣味か? どんな趣味だ。そんな無駄な
手間を掛けて、何が楽しいんだ?
もし、“一色きりの世界”の犯行であるならば。彼らの行為は毎回、同じよう
なものだった。既にパターンが確立していたと言っても、過言ではなかった。
少なくとも、この街に来るまでは死体の三ヶ所、頚部と両手首を切断し、その
面全体に粉を塗す、それが“一色きりの世界”のお約束だった。
だが、今回は違う。腹まで裂いて、しかも、詰めた中身は他人の物だ。奴らが
エスカレートしたのか。それとも、模倣犯が原版に手を加えたオリジナルなの
か?
どちらにしても、凡人には想像も及ばない悪のりだと言えるのではないか?
質が悪過ぎる。被害者の身元がわからないようにする、とか、そういう我が身
可愛さ、保身のためにやることとは絶対、違う。
誰の仕業と断定するのは危険な段階だが、“一色きりの世界”だろうと、模倣
犯だろうと、どの道、頭のおかしな連中が相手だということに変わりはない。
犯人の輪郭すら、見えていないが、やり口は悪意の極みだろう。
皆、怯えている。そんな状況なのに、えらく大っぴらなやり口だしな。
犯行を隠そうとするような意欲が全く見受けられないこと、それが一層、人々
を恐怖に陥れる。
普通の、そんな言葉を使うのも悔しいが、だが、刑務所にいる奴らなら大抵、
一度は自分が犯した罪を隠そうと試みる。自分が逃げるために死体を隠そうと
したり、せめて、すぐに身元がわからないように工夫したりとかはする。
だが、この一連の事件の実行犯は自らの保身に極めて、無頓着だった。頭部と
両手のない死体は毎回、あっさりと街のゴミ捨て場に放り捨てられた。死体が
見つかれば、事件が露呈する。逆を言うなら、死体さえ、見つからなければ、
実質、“犯人”という存在も生まれない。
だからこそ、普通、人殺しは死体を隠そうとする。それなのに、奴らは“定刻
通り”に発見されるとわかりきっている場所にわざわざ、捨てやがる。しかも
失踪後、直ちに捜索願が出されて当然の、幸せな人間ばかり殺して。
結果、“彼”の身元の判明も早かった。未だ、最終確認の段階だが、ほぼ確定
と言って構わないだろう。ウィルは同僚に手渡された資料を改めて、見やる。
“彼”は将来を嘱望された若手ヴァイオリニストの一人だった。渡された写真
の中、彼はニッコリと笑っていた。つやつやとした黒い肌と真っ白い歯の対比
がいかにも健康そうに見える。大きな目は生き生きと輝き、その目が見る先は
己の幸せな未来だけだろうと、素直に思えた。
もう何も、見ることも出来ないが。
 生前、彼は幸せだった。生まれ育った家庭は裕福で、愛情深い両親がいた。
その環境から彼は好きなヴァイオリンに没頭し、留学し、修練を積み、最近、
帰国した。彼は母国で活躍を始めたばかりだった。確かに数年前までの幸福は
両親が与えた物だと、うがった見方も出来る。それでも必要な努力を重ねたの
は彼自身だ。ようやく自力で切り開く、彼自身による華々しい人生が始まった
矢先の不幸だった。彼の人生には“押し付けられた”障害は何一つなかった。
身体は頑健であり、両親は愛情深く、兄弟も各々、恵まれていた。彼本人も、
家族の物心両面からの応援を得、好きな道に精進出来、幸せだとネイルサロン
のオーナー女性に語っていた。
『本当に彼なの? 彼はこれからの人なのに。何て、残酷な』
金銭とサービスがやり取りされるだけの関係であるにも関わらず、女性は嗚咽
の声を上げたそうだ。
人格円満な努力家で、ユーモアのセンス有り。非の打ち所なんか、なかったの
に。

 

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