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 悼まれる死。若さと才能、朗らかな人柄。その全てを象徴するような笑みを
湛えて、写真の主はそこにある。人は誰でも、写真の中では不老不死であり、
工夫すれば、磨り減ることもない。何度でも、新しい紙に焼きつければいい。
そうすれば、笑顔は何度でもその度、再生されることになる。しかし、現実の
社会にその写真の主は既にない。見るからに幸せそうな彼ですら、冷蔵され、
今は物言わぬ証拠品と化していた。
現実は残酷だって、アルバート先生も言っていた。
妻を蹴り殺した男。彼は教師だった。時折、ウィルが思い返す、それだけの男
だ。
人はつまんないことはよく覚えている。肝腎なことはすっぱり、忘れるのに。
同じように尊い命はさっさと不条理に奪われて、どうでもいい命は長らえる。
命に差はないって、シャロームなら思うんだろうけど、実際には大有りだ。
別に大した才能なんて、無くていい。ただまともに、普通に生きていたら誰か
を幸せに出来るかも知れない。それさえ出来たなら、その命には存在する価値
が、この世にいる資格がある。だけど、おまえは違うだろって、輩が刑務所に
はごまんといる。人を殺した奴らが冷暖房完備の個室で本読んで、絵を描いて
気楽に過ごしているんだ。そんなの、不条理じゃないか?
“服役中の人殺し共には自分の食い扶持くらい、自分で稼がせろ”という強烈
なスローガンを掲げた、とある団体には個人的に参加したいくらい、ウィルは
共感していた。
在職中はさすがに無理だけどな。
 皆に生きることを望まれる命だった。その彼は無惨な死体と変えられ、発見
された。彼の頭部、あの大きな目と真っ白な歯の含まれたそこは一体、どこに
あるのだろう? そして、美しい音を紡ぎ出した両手はどこにあるのか?
失われた両手。それこそは、、、。
「なぁ、ウィル」
 自分を呼ぶ同僚の声に、ウィルは顔を上げる。傍らでロバートは疲れた頬に
意味ありげな笑みを浮かべていた。
「何だ?」
「あそこ」
ロバートは署長室へ繋がるドアを指差す。その向こうには未だ、イツカがいる
はずだ。彼は署長に呼ばれ、入室したまま、戻っていなかった。
「相当、ハンサムなんだって?」
ウィルにはロバートが浮かべたニヤついた笑みも、彼が吐き出す言葉の意味も
わからなかった。ただ、酷く意味深げに見えた。仕方なくウィルは首を捻る。
こいつ、何を言っているんだ?
ウィルのぼさっとした、あまりにも鈍い反応に、ロバートは焦らされたように
大袈裟に身悶えして見せた。故意に演じているのが、見え見えの芝居だ。
ああ。そうだった。
ウィルには思い当たることがある。
こいつは大袈裟で、いささか、品のない奴だった。シャロームが嫌いだって、
半泣きで言っていたじゃないか。
ウィルは同僚達とはあまり深い付き合いはしていない。帰宅前に軽く飲む程度
の交際しか、していないが、特にこの男は避けていた。署内で最も人懐っこい
気性のロバートは誰の家でも、一度は勝手に訪れる。ウィルのアパートを急襲
したこともあった。その際の彼の態度に辟易して以来、ウィルは彼だけは意図
して遠ざけると、決めたのだ。
酔っ払いめ。
大体、潔癖なシャロームに酔った、知りもしない男の話し相手が務まるはずが
ない。こいつの悪ふざけが過ぎたんだ。シャロームを泣かしちまって、それで
出入り禁止にしたんじゃないか。一回来たらそれきり、二度と来て欲しくない
タイプだよ、こいつは。
 ロバートはごく普通の人間で、仕事も割り振られた分はきっちりとこなす。
人の分までカバーすることはないし、人懐っこいという、犬か、子供並みの、
大人には珍しい性格と酒癖が災いして、あまり評判は芳しくなかった。
オレと同じ、大して仕事をしない奴だけど、オレは要領が悪くて、大したこと
が出来なくて、こいつは要領が良くて、大したことをしない。しかも、酒癖が
悪い。素面でもこれ、だもんな。
「おまえ、イツカに用があるのか?」
ウィルの質問にロバートは目尻を下げ、一層、ニヤついた。
「親しいんだ?」
「親しいって?」
ウィルは怪訝なまま、ロバートのパッとしない顔を見つめてみる。冴えない、
ありふれた顔立ちだ。
そりゃあ、マークやアリスみたいな美男美女は特別で、フォレスの顔は誰かが
作っているんだから、平々凡々なわけがないけど。
マークの顔は奇跡的な偶然が造ったものだし、フォレスやティムらに至っては
確実に制作者がいる。
手作業かどうかは、わからないけど。
「何だ? とぼけるの?」
「さっきから、おまえ、何を言っているんだ?」
「あの監察医といい仲なんだろ?」
「はっ?」
「ジョンが泣いてたぞ。さっさと持って行かれたって」
ジョン?
ウィルの頭の中でようやく、ロバートが言っていることが見えて来た。
やっぱり、酔うまでもなく、土台が下品なんだ。
「冗談じゃない。大体、さっき会った時だって、あの野郎、ニコニコしていた
ぞ」
「そりゃ、先生御本人もいたからだろ? ふぅん。あの先生を“名前”で呼ぶ
ほど、親しい奴なんて、おまえ一人きりだろうな」
「面識がないとまでは言わないが、親しい、親しいって、そんなニタついた面
で言われなきゃならないような、そんな間柄じゃない」
「じゃ、これから?」
「おまえ、素面でよくそんなことを」
 その物音に気を取られ、ウィルは口を閉じ、振り返る。署長室から出て来た
イツカは顔面蒼白で、何の表情もなかった。立っているのが精一杯という様子
だ。
尋常じゃない。
ウィルはすかさず立ち、出て来たドアにもたれたまま、辛そうに俯いたイツカ
に駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
「お願いがあるんだ」
聞き取り難いような、弱い声でイツカはそう切り出した。
「何だ?」
「重いから、外してくれないか」
窓の外に降り続ける雨音にかき消されそうな、弱々しい、吐息混じりの声音で
イツカが願うこと。
「何を外すって?」
「ペンダント。外して」
ウィルにはその言葉の意味がすぐには呑み込めなかった。なぜなら、それは彼
が肌身離さず持っている、“片割れ”の墓だからだ。
それを、外す?
「お願いだから、早く」
イツカの弱い声の中に切迫したものを感じ、ウィルは慌てて、頷いた。

 

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