叔母を憎み切ることなど出来ない。まして、この頃、老いが目に付き始めた 女を見捨てるような、おぞましい真似は出来ようはずもなかった。 メシは不味いけど。 本当に不味いけど。だけど、それでも毎日帰って、食っているのは、このオレ だ。自業自得ってもんなんだ。 シャロームが作る食事がどれほど不味く、食べることが即ち、苦行でも、それ でもウィルには逃避も出来なかった。金さえ払えば手っ取り早く、いつでも、 どこでも、楽しく過ごすことが出来るし、それくらい重々、承知もしている。 だが、ウィルにはそんな避難も出来なかった。 どんな安い店でも、それなりの、いや、シャロームのあれよりはずっとましな メシが食えるのに、毎日、ブツブツ不服言いながら、それでも、ここに帰って 来て、あんな不味い物、食い続けているんだ。本当、馬鹿だよな、オレ。要領 が悪いと言うよりも、むしろ、マゾかも知れない。 自分の思い付きにまず、身震いし、それから手近な事実を考え合わせてみる。 するとウィルの方にも、この状況を維持している責任があると言えなくもない のだ。 だけど、オレを待っているのに、そう知っているのに帰らないなんて、そんな こと、オレには出来ないよ。待ちぼうけは辛い仕打ちだって、ちゃんと知って いるんだ。そんな酷いこと、自分の叔母を相手に出来っこないじゃないか? お人好しなのかな、オレ。いや、馬鹿なんだよな、結局。 好きではない。だが、シャローム一人に非があることでもない。問題解決を 図ることが出来ない自分にも非はあるのだし、その事実は無視出来ないほど、 大きな比重を占めているようにも思う。 そうだ。オレにもう少し、ズバッと切って捨てる、怜悧なキレがあれば。そう すれば、話はこんなにネチネチ長引かなかったんだ。 不甲斐ない自分への苛立たしさからか、さっぱり寝付けない。 いつものことなんだけど。 ウィルは小さく呟き、嘆いてみる。 一体、いつまでこんな毎日が続くのだろう? 自問してみる。しかし、答えは 一向に返って来なかった。正直なところ、この窮状に自力で大ナタを振るい、 急激かつ、大胆な改革を成すなどということは絵空事じみた願望に過ぎないと 思う。むろん、シャロームには腹が立つ。だが、彼女は“自分の理屈”を尺度 にものを考え、思う通りに行動し、生きているだけだ。正直、ウィルには手に 負えない強敵で、いかんともし難かった。 手前勝手もいいところなんだよ、あいつの理屈は。 毎日、毎日、ウィルはシャロームに振り回され、引っ掻き回されて、憤る。 だが、自分は絶対に正しいと信じ込んでいるシャロームを相手に理屈と常識を 振りかざして言い勝つ自信など、ウィルには微塵もなかった。 何しろ、向こうは“本気”だからな。 “神様はいる、毎日毎日、精一杯、心を込めて、ひたすら掃除さえしていれば 必ず、やがて神様のいる、そこに辿り着ける” あいつにとっては、それが1+1=2と同じ、“絶対”なんだ。そんなの信じ 込んでる石頭女を相手に一体、何を訴えろって言うんだよ? あのシャローム を折伏させられるほどの気迫とか、根気とか、話術とかさ、そんな何かが一つ でもあれば、オレはとうに全米切っての愛の伝道師になっているよ! 忌々しくて、たまらない。しかし、シャロームはウィルの叔母で、その上、 ウィルに追い払われて、このアパートを出たら最後、事実上、天涯孤独になる 弱い立場にある。彼女にはもう、他に頼るべき身寄りも、友人もいないのだ。 体力的にも盛りを過ぎ、気性に可愛げもない女が一人、今更、ろくに見知った 知人もいない世間に放り出されたら、どうなるか。 考えてみるまでもない。 叔母の寂しい、哀れな末路を思うには大した想像力など、必要もなかった。 施設か。 寝るにも、食うにも困らないらしいけど。 でも、施設は、家庭じゃないもんな、やっぱり。 シャロームは決して揺らぐことのない強い信仰心を持っている。それはきっと 幸いなのだろう。しかし、床を磨くことにこそ、人生の意義を見出せと望む、 その“神様”が実際に彼女の腹を満たしてくれるはずはない。 施設に入らなきゃ、あいつ、飢え死にまっしぐらだよな。 つまり、オレが踏ん切りを付けて、施設に送れない以上、まさに“死が二人を 分かつまで”オレとあの女はここで御一緒ってことなんだよな。 ウィルは未練たらしくため息を吐く。自力で叔母との関係を断ち切る度胸は やはり、ない。それは明らかだ。だが、出来ることなら、今日にも別れたい。 その願いも昇華し難いのだ。 死別以外におさらば出来る可能性はない、か。そりゃ、また、期待薄だよな。 シャロームはすこぶる健康で、ウィルの方が先に逝きそうなくらいなのだ。 そう言えば、この頃、疲れやすいよな。きっとストレスだな。 肝臓が痛めつけられているんだよ。あいつが毎日、やれ掃除しろだの、片付け しろだの、姿勢が悪いだの、一々、煩いから。 で、終いに『神様が見ていらっしゃるのよ』って決まり文句で、オレの肝臓を 攻撃しやがるからだ。アルコールランプの火で炙られるような嫌な火炙り状態 だよ。 このまま、ずっと現状維持なのか? オレが死ぬ日まで? 冗談だろ? 普通、叔母が先だろ? そうあるべきだろ? 別に今日、明日、死んで欲しいってわけじゃないけどさ。 ウィルは枕を抱え、胸の内で誰にともなく、小さな言い訳をしてみる。 思えば、今日はおかしな一日だった。疲れているんだな、オレ。 だから、こんなことを考えるんだよ。 |