振り返ってみる。 本当、今日と言う一日はおかしな一日だった。 まず、一つ。ウィルはマークの不可解な言動を思い返してみる。成り行きとは 言え、マークは珍しくも自身について、それもかなり深い所まで語ったように 思う。“あれ”は普段の彼の、あのスマートかつ、他者を踏み込ませることは ない金持ちらしい生き方に照らし合わせてみると、あまりにも不可解な無駄口 だったのではないか? 彼の発した言葉の断片が一つ、一つの欠片に至るまで 妙に頭の隅々に引っかかっている、そんな気がしてならなかった。 だって。まさか、あのマークが自分の生い立ちに触れるとは、な。 思い返し、いささかおののきもする。しかし、それも考えようによっては普段 通りと言えなくもない。 そうだよな。 マークは利口なのだ。口を滑らせたりなんて、凡ミスはしないはずだと思う。 だったら、“あれ”もとっくに消化して、もうどうってことのない昔話の一つ なのかも知れないな。 シャローム同様、マークも変わっているとウィルは思う。プレイボーイだと 自負し、それを自慢している男と生涯、独り身で、平然と暮らしている叔母が 同じに見える自分の方こそ、もしかすると誰より変わっていて、頭がおかしい のかも知れない。 それでも。何となく、二人には似た感じがあるんだよ。変わり具合とか、さ。 それにしたって、マークは本当にビックリするくらい、アリスに似ていたんだ な。何で気付かなかったんだろう? あんなに似ているのに。 自らに問うてみる。だが、答えは見出せなかった。足の遅い睡魔はすぐそこに まで迫っていて、ウィルの頭はふらふらと今にも着地しそうな、小さな紙飛行 機のように危なっかしく低空を飛んでいる。紙飛行機の腹は草原の草の頭を今 にもかすって、墜ちてしまいそうだった。 やっと眠れるらしい。 ウィルは寝返りを打ち、そのくせ、また取り留めもなく、つまらないことを順 番に頭の中に並べ始めていた。 そろそろ引っ越ししたい。毎年、繰り返さなければならない屋根の修理には もう、ほとほとうんざりしている。最上階であることが何の自慢にもならない オンボロアパート。隣家の水道管の修理まで実は毎回、ウィルがこなしている 有様なのだ。業者は安アパートには来たがらない。その来もしない業者を待ち わびる老夫婦の愚痴を聞くより、まだましだと思うから、何かある度、ウィル が代わりに修理した。 商売なんだから分け隔てするなって言うんだ。マークの屋敷にならすっ飛んで 行くくせに。ああ。 思い付き、自分の間違いに気付く。 あんな豪邸の水道管が年に何回も壊れるはず、ないか。 ウィルはウトウトとしながら、それでも自分の発想はいただけないと考えた。 マークは自分の力で稼いでいる。その金で良い暮らしを満喫するのは、当然の 権利だ。そして、自分にはその甲斐性がない。この暮らしはあくまでも正当な 結果に過ぎないのだ。 雨が上から下に降るのと同じだよな。当たり前のことなんだ。それに。 ウィルは遠慮がちに、そっと呟く。 金さえあれば、それで幸せってもんでもないし。 大層な屋敷に一人、犬と暮らす生活なんて、オレには出来そうもない。 もしかすると、ウィルが知らない、未だ見ぬ幸せとやらが世界には数多、ある のかも知れない。少なくとも、マークの暮らすような豪奢な屋敷とは今日まで 全く縁がなかった。当然、そこでの暮らしは想像でしかない。だが、それでも もし、そこに最愛の人がいないのなら、ウィルはガラス張りの浴室や、大きな プールなど存在する意味も、価値もないと信じる。 愛する人がいないなんて、何て、淋しい光景なんだろう。 もしかしたら、貧乏よりも、よっぽど辛いことなんじゃないのかな、それは。 恋人を取っ替え引っ替えしているというのは、決して自慢出来る話ではない。 結局、未だ最愛の人には出会えていないのだという、淋しい告白にすぎないの ではないか。 その点、オレは幸せだ。だって、オレには、アリスがいる。 アリスがいる。彼女と今、同じ世界に生きている。そう呟き、確認するだけで ウィルの苦痛はどこへともなく消えてなくなる。あたかも、最初からなかった かのように。 オレには喜びがある。だって、アリスがいるんだから。 二人は今、離れ離れに暮らしている。しかし、それは二人の心が離れ、離婚 したからではないし、ましてや、死が二人を引き裂いた結果でもない。 だから、怯えることはないんだ。 そうだろ、ウィル。二人とも、生きているんだ、同じ世界に。 時期が来れば、また戻ることが出来る。だって、オレ達は生きているんだ。 また会える。それも、いつだって! ウィルはそう信じる。シャロームが“少数派のための”神を信じるように。 オレはアリスと自分のこの気持ちを信じていればいい。そうすれば、やがて、 道は開かれるさ。シャロームは難敵だけど、オレ達は確かに生きているんだ。 時期を待てばいいだけの話なんだ。 ようやく心地よい眠気に誘われる。そして、ウィルは不思議な夢を見始めて いた。 何だろう、あれは? 未だ眠ってはいない。意識は“この世界”に置いたままだ。そんな自分が見る まるで夢のような光景。それは不思議な、白っぽい、淡い光に包まれていた。 |