半眼のまま眺める白褪めた光景。それはしかして、夢なのだろうか? 眠い とは感じている。しかし、未だ眠ってはいない。それにも関わらず、ベッドの 上であらぬ光景を眺めているこの状況を何だと思えばいいのだろう。おかしい と思った。なぜ、自分の部屋の、自分のベッドの上にいて、眺めているのか、 まるでわからない、理解し難い“幻”。試験管やビーカー、顕微鏡などが行儀 良く、整然と並べられたそこには御丁寧にもうっすらと、それらしい匂いまで 漂っている。 ウィル、おまえは夢を見る時、匂いまで感知出来るような、そんな敏感高性能 人間だったか? 大規模な施設ではなかった。器材も最新鋭とは言い難い。だが、だからこそ、 わざわざ揃え、可愛らしく設えようとした気配りの跡が見える。そう。まるで “お子様”を“その気”にさせるための一工夫のような、そんな意図があちら こちらに見て取れた。 そうだ。 ここ、知っているぞ。 小学校の、理科室だ。 確か、あの向こうに気味の悪い、標本の棚があったはず、、、。 子供の頃、ウィルは小心だった。歳を重ねた今も、平静を装う演技力を身に 付けただけで、根っこの部分では何ら変わっていないのかも知れない。だが、 当時は幼くて、意地を張る知恵も、平静を装う演技力もなかった。次の授業が カエルの“解剖”だと知らされただけで、卒倒しそうになったものだ。せめて 恐怖で引きつり、青ざめた顔を意中の少女、ステファニーにだけは見られずに 済ませたいと願った。ウィルは小さく苦笑した。久々に思い出す初恋の少女も また幼い。だが、その彼女も金髪で、青い目をしていた。 オレは本当に金髪の、青い目の女が好きなんだな。 苦笑いが少しばかり、気を楽にしてくれたようにも感じる。いろいろと考えて みても、仕方がないのは事実だ。 せっかくだから、見物してやろうかな。ガキの頃は怖くて仕方なかったけど、 今となってはこんなの、めったに見る機会もない代物だからな。 取り敢えず、手近な棚に歩み寄る。さすがにもう、怖くはなかった。 何せ、昨今は“現物”ばかり見ているからな。こんなファンタジーとはわけが 違うさ。 それらは洗い清められ、わずかばかりの血の痕跡すら残されていない、典型 的な標本だった。一つの損傷も、病んだ跡もない。それどころか、生体として “繋がっていた”気配も、さらさら感じられなかった。不自然だ。そう思う。 事件現場に放置された他殺体のあの醜さに比べ、それらはまるで絵本のように 淡く美しく見える。幼い日には怖くてたまらなかった薬品臭すら、肉の腐った 死臭に比べれば、安物の化粧品程度の不快感だとまで思うのだ。 ファンタジーだよ、標本なんて。現実はこんなもんじゃない。 ちぇっ。 思わず舌打つ。 オレもすっかり大人になっちまった。もう何見ても一々、ビクついて、ギャア ギャア喜べた、お子様チックなチープスリルとは縁が切れちまったらしいな。 苦笑しつつ、歩いて行く。そして、すぐにウィルは部屋の奥に行き当たった。 最後の棚。ウィルはそこで立ち止まり、そして、ある何かに惹かれていた。 それは唯一、黒布で丁寧にくるまれていた。まるで真実をひた隠すように、 それだけは丁寧に布で幾重にもくるまれ、棚の、それも最も奥にこっそりと、 しかし、異彩を放ちながら置かれている。さも意味深に。 こいつだけ、何で? 他の剥き出しの大多数と、それとでは一体、何が違うと言うのだろう? 何が入っているんだ? 湧き出て来たのはあくまでも単純で、純粋な好奇心だった。ウィルはそれを 抑え切れなかった。それに大体、我慢する必要がないことは知っている。 夢の中、なんだからな。 夢を見ているという意識はない。実際、身体はベッドの上にあり、眠気に身を 委ねている。だが、睡眠中だという自覚はまるでなく、相変わらず、現実から 離れ切れないでいる。いつもの、これは夢だと認識出来るあの感覚とは明らか に異なっていた。 目も開いたままだし、な。 “眺めている”感覚はある。しかし、それでも、これは現実ではなく、結果、 夢なのだ。 だって、オレは自宅の、自分のベッドの上にいるんだ。それなのに、こうして 小学校の教室で標本を眺めている。だとすると、やっぱり、これは夢なんだ。 現実じゃないんだから。 きっと、夢の変則バージョンなんだな。たぶん。 夢であるならば。考えてみるまでもない。ここ、夢の中においては一切、我慢 する必要はない。何者にも制約されず、思うままに振る舞える、そんな強気な 自分が嬉しくて、ウィルはその中身を見てやろうと意気込み、黒い包みへ手を 伸ばす。 ああ。ウィルは思わず、嘆息した。言いようのない高揚感にうっとりとする。 今度、アリスに会ったら、この夢の話をしよう。きっと喜んでくれる。だって 彼女はこういう、ちょっと変わった、小さな冒険の話が好きなんだ。 あの青く、美しい瞳を輝かせ、アリスはこの小さな冒険の話を喜んで聞いて くれるに違いない。彼女のどんな質問にも全て、答えられるように何もかも、 仔細に記憶し、把握しておこう。ウィルはドキドキと、幼い子供のように胸を 高鳴らせながら、その黒い、大きな何かを両手で抱え、棚から取り出した。 |