形容し難い叫び声を上げながら、ロバートは自分の右手を左手で掴むように して隠しながら後へ飛び下がり、勢い余って、尻餅をついた。 何が起きたんだ? ジューッってそんな音がしたような。何の匂いだ? ウィルはうっすら漂い、すぐに消えた白煙の痕を探るように鼻をひくつかせて みた。何かを嗅ぎ取りたいと思った。ウィルには今、目前で何が起きたのか、 わからなかった。せめて、匂いから何らかの手掛かりを得たいと願ったのだ。 確かに今、ロバートの身に何かが起きた。 何もわからぬまま、立ち尽くすウィルの視界にもう一人、誰かが入って来る。 誰だ? ここは一般人厳禁の、管理フロアーだぞ? 彼がこの場にいること、それ自体も不可解だ。しかし、そんなことは土台、 どうでもいい。もしかしたら、ウィルが知らないだけで、関係者である可能性 もなくはない。だが、ウィルはそれとは関係なく、彼は異様だと思った。 いや、直感だ、これは。 だからこそ、ウィルは署内にいるにも関わらず、瞬時に極限まで緊張し、強く 金属製のそれを意識した。意識せざるを得なかった。もしかしたら、発砲する ことになるかも知れない。未だ、彼の素性は定かでない。それに本来、自分は かなりの慎重派だ。そう自覚している。だが、それでもいざという事態を危惧 しなければならないほど、ウィルはその男の正体を訝った。 何かが違う。フォレス達とも違うし、もちろん、オレ達とも違う。何なんだ、 こいつは? 彼から漂う、何か。何かとしか言いようのないそれがウィルに緊張を強い、 思わず、イツカの身体を強く抱き寄せさせる。しっかりと抱いたイツカの身体 は細く、熱かった。 たぶん、オレが危険なわけじゃない。 ウィルは自分の身に危険を感じているわけではない。背筋に嫌な汗を垂らして はいるものの、それは自分の身を案じて垂らす汗とは違う。以前、現場で犯人 に、平たく言うなら、忌々しいガキに銃を突き付けられたことがあった。その 銃口はピタリとウィルのこめかみに当てられていたし、そいつは頭のおかしな 輩だった。当然、我が身が“やばい”と感じた。その時の恐怖と今、この感覚 はしかし、まるで異なった。自分に直接、危険が迫っているとは感じない。 危険にさらされているのは、オレじゃない。 ウィルは手元のイツカを見た。発熱のためか、雨のためか、少しばかりいつも の輝きを失ったイツカの髪が心細げに見える。 イツカだ。 男の目が捉えているのは、間違いなくイツカだけだった。 絶対に、ろくな用じゃない。断言出来る。 イツカの身体から柔らかい良い香りがするように、その不審者からは嫌な匂い がする。はっきりと嗅ぎ取れる。ウィルはそう思い、やけに温かく、ぐにゃり と曲がり落ちそうなイツカの身体を一層、強く抱き締める。本当はウィルには “イツカ”の意味はわかっていなかった。だが、この男にくれてやるわけには いかない。その直感だけがあった。 「痛い。痛い」 自分の右手を押さえ、転げ回るロバートには一瞥もくれず、その男は真っ直ぐ に接近して来る。 「医者、医者呼んでくれよ、あんた。ちょっと医者を」 ロバートの叫び声に、通りすがりの彼は足を止めたように見えた。 「うるさいんだよ」 その声と同時に、不審者はロバートを蹴り飛ばしていた。 何なんだ、こいつ。 人でない者。それだけは露呈した。なぜなら、ロバートの身体は信じられない ような距離を矢のような速さで吹っ飛び、それきり、ピクリとも動かず、声も 上げなかった。壁に激突し、床に落ちた身体は不自然な体勢のままだった。 死んだんだ。 ウィルはその事実には取り合わなかった。死人に感傷を送るのは暇な時だけで いい。 オレは今、忙しい。 「誰だ?」 彼が人でないのなら、フォレスの仲間だろうか? ウィルは腕に抱えたイツカ を見やった。ティム以外にお仲間がいたとしても、何の不思議もない。 「おまえは、フォレスの仲間か?」 彼は笑ったようだった。 「外れちゃいないが、当たってもいないな。ま、いい線だ」 彼の力は尋常でなく、その意味ではフォレスと同じと思える。だが、フォレス なら、人は殺さない。人を馬鹿にはしているものの、殺しはしない。 イツカが嫌がるからしないってだけだけど、それでも殺さない。だから、オレ だって、何だかんだ言って、こうして生きているんじゃないか。 その違いはとてつもなく大きい。ウィルは出来るだけ、注意深く、その正体 を探るべく、不審者の様子を窺ってみた。彼は非常なハンサムだが、その容姿 はマークやアリスとは異なった。幸運が創り出した恵まれた容姿として、素直 に称賛出来ない何かがあるのだ。 何だろう、この違和感は? 呑み込めないと言うか、胸に引っ掛かると言うの か。 「オレの顔が珍しい?」 銀髪。それは稀にはいる。望むなら、染めればいい。当然、その程度の珍しさ にはすぐに慣れることが出来た。だが、彼の目。それは一際、印象的であり、 特殊だった。右目は鮮やかなブルー。ティムの物とも、アリスの物とも雰囲気 が異なる摩訶不思議な青さには神々しいものすら感じられた。そして彼をより 不可思議な者に見せている、左目。それは赤くて、魔性の者であるかのように 瞬いていた。 何て、不思議な顔なんだ。 「おまえは、誰だ?」 「三巡目のX。エクスタで結構だよ」 エクスタはまるで親しい間であるかのようにニヤリと笑って見せたが、ウィル の恐怖心はいささかも薄れることはなかった。 |