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ウィルは降り続ける雨音を気にしながら、考えていた。目の前に立っている 男。彼は今、明らかに犯罪者だった。数分前ならただ、ウィルが見知らぬだけ の“不審者”だったかも知れない。しかし、今はロバートを少なくとも、半死 半生にした“加害者”に他ならなかった。 死んでいると思う。脈は取っていないから、断定はすべきじゃないが。 ウィルは遠目に同僚の様子を再視認し、やはり、死んでいるだろうと思った。 ロバートの首は不自然に捩れ、ビクリとも動かない。そこには到底、命がある ように見えなかった。生きていれば、苦痛を感じる。苦痛を感じれば、何らか の方法で訴える。それが“生きている”者だ。 つまり、“訴えざる者は死んでいるんだ”とアルバート先生も言っていたな。 だったら、こいつは人殺しだ。ロバートを殺した。しかも、ここは警察署で、 最短距離にいた目撃者はこのオレ、刑事だ。まさに現行犯だ。 ウィルはあちこちに設置された監視カメラの一つを見やった。不格好で大ぶり な旧式だが、その分、設置しているとあからさまに誇示している。結果、絶大 な犯罪抑止力になると署長は常々、力説していた。 単に、金がないだけなんだが。 それでも、確かに効果はある。 大体、警察署なんか、二十四時間、間違いなくモニターで監視されていること くらい、誰でも知っている常識だろ? その中枢部でエクスタがしたことと言えば、まるで自殺志願者が鉄塔の天辺を めざして、よじ登って行くような真似だった。 落ちれば、死ぬとわかっていて、落ちるために登る奴らと同じ。つまり、馬鹿 なんじゃないか。モニター越しとは言え、リアルタイムで目撃していた奴らが 何人もいるんだ。 しかも、一部始終を録画されている。どんな弁護士だって、この条件下じゃ、 無罪は勝ち取れまい。 しかし、解せないことが残る。それを先ず、考えてみなければならなかった。 “署内”で殺人事件が発生したのになぜ、誰一人、駆けつけて来ないんだ? ウィルは不審に思い、ぐるりと周囲を見回してみる。そこにあるのはいかに もオフィスらしい照明と、それに照らされて、てらてらと脂ぎったイカのよう な光沢を放つ、芸のない建材で囲われた世界だった。 それはいい。仕方ないさ。ここは署であって、豪邸じゃないんだからな。 ウィルの不信感をあおるのは、かつてない静寂だった。 静かすぎる。人っ子一人いないような、、、。 元々、管理フロアーと呼ばれるこの階は人の出入りは少ない。大声を上げて、 走り回るがさつな“若造”達は招かれでもしない限り、寄りつきもしない区域 だ。 ここに呼ばれるってことは、大失敗しちまったってことだからな。 ウィルには縁のない世界。その階に集う者は皆、大人の仮面を被ったエリート だ。当然、わめく者も、廊下を駆ける者も、まず、いない。 元々、静かなことは確かだが。 それにしても、あまりに静かだ。署内には完全な防音工事はなされていない。 当然、大量の人間がいるというだけで生じる気配や、大量の人間が仕事をする 際、立てる物音をこんな安普請ごときが絶てられるはずはない。 だったら、なぜ、静かなんだ? いや、静かになったんだ。さっきまでは人が 歩き回っていた。確か、イツカが出て来て、そうだ、その少し後くらいまでは 下の連中の声も聞こえていた。雨は降りしきっていたけど、そんなんじゃかき 消されないくらい、響いていた。だって、一大事に直面しているんだぞ、この 管内は。 署内には夥しい数の、しかも捜査に携わるプロがいる。それにも関わらず、 誰一人、この殺人現場に駆けつけて来ない。 まさか、電話してね、みたいな、ふざけた冗談、言わないよな? 通報しなく たって、そっちには見えているんだろ? ウィルは点在するカメラの一つ、恐らく、この光景を最も良い角度で撮影して いるだろう、一台を見やった。署長は常日頃、経費節減を声高に叫んでいる。 だが、吝嗇な彼もまさか、自分の居座るフロアーの監視カメラだけはオフには しないだろう。 よそは切っても、自分の所は最後まで繋いでおくだろう? 自分の生命線なん だから。 当然、電源は入っているし、カメラは故障もしていない。壊れていたら、あの 署長がそれはそれは口うるさく、即日改善を求めるはずだ。 それなのになぜ、一人も駆けつけて来ないんだ? 画面で見たんじゃないのか ? まさか、続きを期待して、見物しているわけじゃないだろ? ウィルは精一杯、耳を傍立ててみる。だが、聞き取ることが出来るのはあく までも雨音だけであり、ごく微かに時折、イツカが吐き出す苦しげな息遣いが 気忙しいだけだった。イツカの状態は芳しくない。一刻でも早く、医者に渡す 必要がある。そうは思うが、ウィル一人では叶わぬ計画だった。 誰か、来てくれないと。 当然、援軍は来ると思っていた。ここは署内なのだし、カメラが効率良く設置 された一角だ。見落とされるはずがない。だが、一秒ずつ、時が刻まれて行く その経過は見えるのに、署員の姿は未だ、一人分も見えて来ない。 静か過ぎる。静かなんて、そんなもんじゃない。まるで、無人のようだ。 おい、眠りの森の何とかじゃないよな、まさか? 機械仕立ての子守りがいても、彼が未来から派遣されて来たと告白しても、 ウィルには我慢が出来た。時の流れて行くその先に、そんな未来が待っていた としても悪くないと思う。だが、現代社会の中でこの夜更けも、朝方も、何も 関係なく、車が始終、行き交い、爆音を立て、飛行機が低空をかっ切って行く 御時世に竈の火と一緒になって、立ったまま、何十年となく眠りこける物語の 中の気楽な連中と同じ状態が起こり得ていいわけがない。 馬鹿げている。ドアを開けたら、マネキンみたいなおかしなポーズで、全署員 が突っ立っているとか、そんなことはないよな? ふざけるなって、言うんだ よ、馬鹿ウィル。 終いには自分の発想の方に、ウィルは腹が立って来た。 つまんないことを考えている暇があったら、こいつを、イツカを早くフォレス に渡してやらなきゃ。誰か、誰か来てくれたら。何らかの切欠が作れさえした ら、イツカを奪われずに済む。 「おまえは、人待ち顔だな」 ウィルは声の主を見た。つい、さっき、人を殺したばかりの犯罪者がすました 顔でこちらを見ている。彼は恐ろしく落ち着き払っていた。 「いくら待っても、援軍は来ない。誰一人、たったの一人もここへは来ない」 |