どう見ても、エクスタは人間だった。他の何かに見えるはずもない。最大の 特徴である左右の目の色の違い。それさえ、洒落っ気で嵌めたコンタクトの色 だと思えば、何の不思議もなく、単純に美貌を誇る男性に見えるだろう。とは 言え、現前としてエクスタは人間もどきの、“機械”であり、メンテナンスを 怠らなければ、無制限に“生きて”いられるものらしい。 それも、容易とばかりも言えないんだろうけど。 この先ずっと、エクスタは自分に必要な部品を入手し続けられるのか、それと も車や家電製品のようにやがては廃番となり、必要な品を得られなくなって、 故障品として忘れ去られることになるのか、ウィルにはわからない。しかし、 それでも製作者によって与えられた彼の寿命、つまり、残り時間にはほとんど 果てがなく、そして、それを知るエクスタの気は長かった。 そりゃあ、そうだな。 ウィルは小さく胸中で合点する。欠けた所、壊れた所、気に入らない所、それ を順次、すげ替えて行けば、延々といつまでも繋がれる“命”の持ち主だ。 気も、長くなるだろうよ。 エクスタの感覚が人間と異なったとしても、当然だ。彼には半ば、尽きること のない余命がある。当然、慌てる必要はなかった。 ガツガツする必要がないどころか、しちゃいけないんだ。だって、今日の内に 用事を済ましちまったら、明日はすることが何もないわけだからな。 ウィルは気忙しい自分の日常を思い出してみる。そこにあるのは叔母の定番 と言えば、聞こえが良いが、何のことはない、考えることを放棄したメニュー の繰り返しにため息を吐く、その程度のささやかな余裕だった。 飢えていたら、さすがに何でも構わないはずだからな。つまり、オレの生活に は余裕なんか、正味ない。毎日、誰かが人を殺しやがるから。時々はボンヤリ してみたいとは思うけど。でも、することが全くないっていうのも、退屈だ。 南の島で一月、のんびり過ごせたらと誰でも、夢を見るもんだ。でも、もし、 それが百年も続いたら、眩い日差しが心地良いなんて、思わなくなる。南の島 に行くより、死んじまう方が手軽で、安上がりな逃避方法だ。確実に一切から 逃れられるんだから。 人間の命には限りがあり、その上、それすら気軽に全う出来るものではない。 誰しもが一様にいつ、どこで自分が死を迎えることになるのか、知らぬまま、 血相を変え、今日を生きている。 いつ、死ぬかなんて、わかる奴、いないから。だから今、こうして生きている 間にあれもこれもしておこうって、躍起になって生きて行けるんだ。 ウィルはこっそりと小さく、息を吐いた。 こんな追い立てられるような、苦しい、でも、確かに生きてるって感覚、機械 には、こいつにはわからないんだろうな。 ウィルは先刻のエクスタの言動を思い返した。彼はウィルの好奇に駆られた 質問にも、嫌な顔は見せなかった。それどころか、むしろ、楽しげで、もし、 それが知的好奇心から出た質問だったなら、いつまででも応じてやるとさえ、 言ったのだ。 それも、たぶん、本気だったんだ。 エクスタは初対面のウィルを相手に、楽しい暇潰しをするつもりだったのかも 知れない。 旧知の仲じゃ、案外、暇潰しは難しいからな。だが。 ウィルは首を傾げてみた。そんな暇潰しは今、この状況下ですることだろうか ? エクスタとて、そう悠長に構えてはいられないはずだった。イツカの具合 が悪いことくらい、見ればわかることなのだ。 それに、殺すつもりがないのなら、本当に大事に箱に入れておくつもりなら、 これ以上、雨で湿った危険な所には置いておけないって、わかるはずじゃない か? イツカの容体を見て、気が急くのはエクスタも同じことなのではないか? いや、エクスタは本来、フォレスのお仲間だ。オレより、ずっと詳しくイツカ の体質を知っている。だったら、そっちの方が慌てるくらいなんじゃないか? ウィルには自分の疑問が的外れとは思えなかった。 おかしい。何でこいつ、刻々と時間が無駄に経過して行くのを放置しているん だ? フォレスと“同郷”で、イツカの体質を把握しているのなら、尚の事、こんな 時間の浪費がイツカに致命的ダメージを与えかねないと、わかるはずだ。高熱 の為すがまま、衰弱し、ぐったりとしたイツカ。その身体を抱えているウィル 以上に、エクスタはその容体を危惧出来る立場にある。 こいつはおかしなことをしている。何で、オレ相手に埒の明かない交渉をする んだ? さっさとイツカをひったくって帰れば、いいのに。何で、いつまでも オレを相手に地味な交渉を続けるんだ? なぜ、エクスタは極めて、簡単な方法を選択しないのか、それがウィルには わからない。確かに彼には厖大な暇がある。だが、お目当てのイツカ自身には 然したる猶予は残されていないのだ。 「まったく」 ふいに苦々しく、エクスタは呟いた。 「何でオレがおまえみたいな聞き分けの悪い、阿呆の相手をしているんだか。 とんだ貧乏くじだよ。ついてない」 エクスタは本気で嘆いている様子だった。 「靴が台無しだ。コートだって、泥跳ねが付いちまった。大損害だ」 彼は自分の足元に付いた泥を嫌っている。その嫌そうな表情や、仕草に嘘は 見受けられず、ウィルは新たな疑問を抱くことになった。 「何を言っているんだ? こんな土砂降りの深夜に何で、おまえみたいな伊達 男がイツカを連れ去ろうだなんて、思い付いたんだ? 明日でも、明後日でも 天気が回復してからでいいのに。おまえが好き好んで来たんじゃなかったら、 “御主人様”に命じられて来たとでも言うのか? イツカを連れて来いって、 そう命令されたのか?」 エクスタは一つ、鬱陶しそうなため息を吐いた。それはうっかり、漏らして しまったものなのかも知れない。エクスタはため息を吐いたこと、それ自体を 悔やむように改めて、息を吐いた。 「人間の発想ってヤツは、本当に貧困だな」 「貧困?」 「オレは命令なんて、されていない。ここへはオレの意思で来た。当然、誰か に命じられたわけじゃない。御主人様はオレ達の主人だし、だから御主人様と 呼んでいるわけだが、それはおまえ達が思うような、単純な、隷属的主従関係 からのものじゃない。単に彼が“御主人様”って呼び名を持っているってだけ だ。彼は一方的な支配者じゃなくて、そうだな。オレ達の話をまともに聞いて くれる、半ば、友達みたいなものだ」 |