ウィルは取り敢えず、自分自身を見下ろしてみる。その現状は正直、かなり 滑稽と言えるものだった。自分のベッドの上にいて、汗だく。その上、眠って いただけにも拘らず、声はガラガラと嗄れ果てている。その状況にシャローム の証言を足して、考える。そうすれば、自ずと真実が浮かび上がって来るもの だ。 オレは確か、夢を見ていたんだ。 そう、ゆっくりと振り返る。 いつもみたいに眠っているって、実感はなかったんだけど。でも、やっぱり、 あれは夢だった。だって、現実じゃなかったんだからな。 ウィルは自分の汗ばんだ項を撫で下ろしてみる。そこはべったりと嫌な汗で まみれ、一撫ですれば、汗はいそいそと掌へと移って来た。確かに今、自分は 汗まみれだ。しかし、大汗をかくような、そんな運動をしていた覚えはない。 就寝中だったのだ。だとすると、どうやら、シャロームが言う通り、ウィルは 悪夢に魘され、叔母が駆け付けて来なければならないほどの大声で泣き叫んで いた。それが事実ならしい。 体裁、悪いな。 ウィルはようやく自分の頬を濡らして、とうに乾いていた涙の跡に気付いた。 恥ずかしくて、言い訳する気力も湧いて来ない。 失態もいいところだった。 アリスがいなくて、よかったよ。 こんなこと、一瞬のこととは言え、思う日が来るとは思わなかった。 しかし、ウィルには感傷に浸っている時間はなかった。速やかに、そして、 決定的に有効な、何らかの手を講じなくてはならない。何しろ知りたがりで、 貪欲な、飢えた女が一人、皓々と目を輝かせ、ウィルの隙を狙っているのだ。 悪魔と聞いたら、さぞかし燃えるんだろうな、この夢想家叔母さんは。 シャロームはウキウキと、やたら楽しそうに息まで弾ませて、待ち侘びている 様子だが、ウィルにとってはただ恥ずかしいばかりの失態に過ぎない話なのだ 。とても今更、振り返り、その上、語る気にはなれなかった。 「さあ、ウィル。あなたが倒したその悪魔のことを教えてちょうだい。まず、 そうね。悪魔はどんな姿をしていたのか。それから話して聞かせて。だって、 あなたは悪魔に打ち勝ったんですもの。そんな手柄話なら、一度くらいしても いいはずだわ」 ウィルは仕方なく、息を吐く。忌々しい話だが、彼女との付き合いは長い。 こんな場合における対処法には覚えがあった。 学習済みってヤツだ。 完全無視はいけない。 それじゃ、ますます好奇心を刺激してしまうからな。 意地になって問い詰められる。 頭に血、上らせちまったら、厄介だ。 「ねぇ、ウィル。悪魔はどんな顔をしていたの? 髪は長いの? 本当に長い 尖った爪を持っているものなの?」 驚いたことにシャロームは少女のように瞳を輝かせていた。もしかしたら、 若い頃はありがたいような美人だったのかも知れない。ウィルにそんなことを 思い付かせるほど、彼女は見慣れない輝きを放っている。 皆、こいつが美人だって気付かないで、擦れ違って行ったのかも、な。案外、 本人も気付かないで、せっせと床ばかり磨いていたのかも知れないけど。 「ね、ウィル。お願い。焦らさないでちょうだい」 「わかったよ」 ウィルは小鳥の背中のような色をしたシャロームの瞳に映る自分を見つめ、 やや鷹揚に答えてやる。その方が彼女を興奮させると思うからだ。 「一回しか言わないよ」 「ええ、もちろん、それで十分よ」 「その悪魔は、ね」 「ええ」 「さらさらの栗色の長い髪で、凄く綺麗な顔をしていたよ」 「まぁ! 綺麗なの? やっぱり、そうなの?」 作り話ではない。確かに瓶の中の、そいつは整って、優雅な、美しい形をして いた。 飾り物に仕立てられそうなくらいに、な。 “彼”は人を魅了するだけの悪魔じみた魅力を持っていた。そう言っても、 決して、過言にはならないだろう。実際、瓶の中で瞼を下ろした“寝顔の”彼 は神聖なオブジェであり、そのくせ、目を見開き、“笑った”彼はまるで悪魔 のようだった。 やっぱり、夢だよな。そんな人間はいない。そんな両極端を両立出来るはずが ないもんな。 「ね、ウィル。悪魔は人の姿をしているのよね。だったら、悪魔は白人だった のよね?」 核心を突いて来るシャロームが今、見せている好奇で浮かされ、ピカピカと 輝く目はウィル自身があの夢の中で輝かせていた二つの目、そのものだ。あの 夢の中、ウィルはウキウキしながら瓶をくるんだ黒い布を外し、そして、絶叫 したのだから。 二度と見たくない、あんな夢。 「それで? それで、何と言ったの? 悪魔は、あなたに何と言ったの?」 「悪いが、出掛けるんだ。今度にしてくれ」 「あら」 シャロームはさも残念そうな顔になり、未練ありげな声を出す。 「未だ夜も明けていないのよ、ウィル。もっとゆっくりすればいいじゃないの ?」 おい。 いつもいつも、毎朝、自分がジャガイモの匂いで、オレの安眠を邪魔するくせ に。何、言っているんだよ? そう言い返してやりたい。しかし、ウィルは黙っていた。もしかしたら、この 叔母が駆け付け、必死で揺すってくれなかったら、自分の意識は戻らなかった のかも知れない。そう思うと、むげにも出来なかった。 何しろ、オレ、こんなに声が嗄れるまで、泣き叫んでいたんだから、な。 一人暮らしだったら、ヤバかったかも知れないじゃないか? 「ねぇ、ウィル。だったら、コーヒーでも飲みながら___」 恐らく、今日のシャロームは執拗だろう。ケーキを見付けた子供に食うなと 命ずるようなものなのだ。 まず、ここから出て頂かないと、な。 仕方なく、ウィルは叔母を寝室から追い出すための常套手段を取った。ウィル がガバ、ガバと勢い良く、身に付けていた一切を脱ぎ始めれば、シャロームは その度、三秒と粘れずに飛んで逃げる。そして今回も、慌てふためき、泡でも 吹きそうな動転ぶりで逃げ出して行く後姿を見送り、ウィルは苦笑いした。 まあ、可愛いところがないわけでもないよな、あいつって。 |