シャロームは嫌いだが、心底から憎み切ることも出来ないまま、ずるずると 今日に至っている。確かに疫病神で、持て余す。だが、それでも数少ない肉親 の一人であり、その上、ささやかながら、憎めないところもある。 あーゆう、ウブなところは今時、“骨董品”でさ。面白いし。それに。 彼女にはウィルしか話す相手がいない。それを思うとあまりに不憫で、虐げる ことが出来ない相手でもあった。 本当に損な、美味しい思いの出来ない性格しているんだよな、あいつ。せめて さ、もっと信者の多い、普通の宗派にはまっていたら、話し相手くらい、そこ ら中にいて、不自由なんかしなかっただろうに。 ウィルが見知っているシャロームの断片。それらを全て、かき集めてみても、 大した情報には成り得ない。そして、その僅かばかりの情報が描き出す彼女の シルエットは頼りなくその存在を、今日まで生きて来た道程を教えてくれるに 過ぎなかった。 薄い人生だと言えるのかもな。 彼女、シャローム・バーグはごく若い頃、両親の仕事の都合で日本や台湾、 シンガポールに住んでいた。それは彼女にとっては苦難の旅路だったようだ。 内気なシャロームは転々と各地を移り住む、慌しい生活にはなじめず、始終、 孤独だった。むろん、どこか一カ所に定住したとしても、彼女の性格ではそう そう友人など出来なかったのかも知れない。 まして、言葉の通じない国を転居しながらじゃ、絶望的だよな。 それでも英語圏に生まれた彼女には同じような境遇にいる、英語を話す同級生 がいくらでもいたはずだが、内向的な彼女に友人は出来なかった。その体験が 災いしたのだろう。元々、内向的なシャロームは自身の父親に気違いだと吐き 捨てられるほど、淋しい女へ育てられてしまった。 祖父さんは、娘のシャロームを、その全てを嫌っていたらしいからな。 不憫なシャローム。 人格を形成する大切な、ごく短い時期、もっと居心地の良い場所にいることが 出来たら。そうすればその後の、今日までの彼女の人生ももっと、違うものに 変わっていたのではないか? 『でもね、でもね、聞いてる? 全てが悲しみだったわけじゃないのよ』 彼女の中では日本での生活は唯一、楽しいものだったらしい。そこにだけは 良い思い出があるのだとクリスマス、ワインで酔ったシャロームは楽しげに、 かなりはしゃいで打ち明けてくれた。 あの夜。 あいつは随分と御機嫌だったよな。オレはと言えば、あんなに打ちひしがれて いたのに。 それはアリスが出て行った年の、あまりにも淋しいクリスマスのこと。そんな 淋しい夜に“原因”である叔母の昔話なぞ、とても聞く気になれず、ただ好き 勝手に喋らせていたのだが、それでも耳に、記憶にいくらかは残っている。 確か。 当時、未だ小娘だったシャロームには好きな男性歌手がいて、その彼に微笑み 掛けられたことがあったそうだ。それこそが淋しい少女の唯一の楽しい思い出 であり、生涯の自慢となった。当時の彼女には彼の歌を聴くことが無上の喜び であり、救いだった。今でも思い出すのだと、酔った彼女は言ったものだ。 そして、祖父とシャロームの仲が決裂したのも、その歌手絡みの出来事が要因 だった。ある日、祖父がその歌手の写真やCDを、シャロームの自室にあった 物、全てを捨ててしまったのだと、シャロームは涙ながらに訴えた。 『わたしの宝物だったのよ。一緒に撮った写真まで捨てられたの。そんなの、 ないわよね? 普通、しないわよね?』 グラスに二杯のワインで正体を無くす彼女はもしかしたら、可愛い人なのかも 知れない。ウィルは他に、酒に酔う女を見たことがなかった。 あのアリスだって、少々、飲んでも、ケロリとしているのに。 結局、ウィルは前回と同じ轍を踏み、暗い町へと車で逃げ込んでいた。その 先、行くべき所もないのに。今更、自嘲してみても、惨めになるだけだろう。 この時間に出勤する理由はないが、他に行くべき所もない。ウィルは仕方なく そこへ向かって、車を進めるしかなかった。 行ったら、あいつがいるんだな、地下室に。 夢で見たそいつに、危うく心臓が止まりそうになるほど驚かされた。だが、 それはイツカの責任ではない。 勝手におかしな夢を見たのは、オレだからな。 イツカに不服を言えた筋合いのものではないのだ。 ま、オレの責任とも言えないが。 夢が記憶の残務整理中に見る幻だとしたら、ウィルがイツカの夢を見たこと、 それ自体は根拠を持った、必然だ。何しろ、ウィルは当日まで面識のなかった 同僚の意外な容姿に驚いた。それで思いがけず、強く記憶してしまい、あんな 夢を見る端となったのだろう。 それで、あんな妙ちきりんな夢を見たんだ。だって、驚くよな? 有能な監察 医が気楽な顔した、未だに一人で出歩けないコドモだなんて、思ってもみない から。 特異体質か。 だけど、それでも一人で通勤するのが当たり前ってもんなんじゃないのかな? ウィルは小さく、鼻先で笑った。自分のそれにはやっかみが混じっている。 イツカは金持ちだ。だから、彼には大人になる必要がなかった。 だって、あのマークが普通って思うレベルはオレ達が知っている普通じゃない んだからな。 つまり、イツカの実家も大したものだった。だから、子守りと言う名のボディ ガードを付けている、それだけの話なのだ。 あいつ、フォレスか。どう見ても、普通のガタイじゃなかったもんな。まっ、 所詮、気楽な連中さ。オレとは縁がない。 ウィルは腹の中で、そう呟く。この後、起きることなど、つゆ知らずに。 |