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 仄めく光。青白いそれは人が身にまとうにはあまりにも不自然な代物だと、
ウィルとて、当然、知っている。それでも、確かに青白い光はあたかも香りが
揺らめき立ち上がるように、イツカの全身を包んでいた。
何て、綺麗な光なんだ。
服を着たなら、その感触は皮膚にある。どんなに軽く、柔らかな服でも、着て
いた感触は身体に残るし、その感覚を忘れ去るには時間もかかる。
だったら、光はどうなんだ? 感触が残るものなのか? そもそも、光って、
感触なるものがあるのか? シルクより軽いとか、柔らかいとか?
 そんな不可解な光景を目にしながら、ウィルはさほど、驚いていなかった。
面喰らいはしたものの、大した動揺はしていない。取り乱すことなく、ただ、
神秘的だと思った。今の心地を例えるなら、まるで夜の帳が下り始めた森の奥
で、うっすらと光る花でも見つけたような、そんな感覚だった。
この世の出来事とは思い難いけど、嫌な気はしない。美しいから。それに。
ウィルはこっそりと、胸を撫で下ろしていた。
こいつも、無事だったんだ。だったら、それで十分じゃないか。
ようやくイツカと再会を果たした。一体、何日ぶりのことだろう、そんな感慨
さえ、覚えるのだ。しかし、実際、どれくらいの時間、イツカとはぐれていた
のか、ウィルには見当も付かなかった。
大して長い時間じゃないはずだ。たぶん、何分ぶりか、程度だろう。
そう理解しているつもりでいても大層、長い時間、離れていたような気がして
ならなかった。
だって、懐かしいとさえ、感じるんだ。冗談抜きで。イツカが手の届く所まで
来たら、うっかり、抱き締めてしまいそうだ。
そんなことを思いながら、ウィルは歩み寄って来るイツカを見つめ、そして、
ある“変化”に気付いた。
あれ、れ?
久しぶりに見るイツカ。彼は確かに淡く発光していたはずだ。そして、ほんの
数歩を歩いて、ウィルの元にやって来た時には彼は光を失い、通常の、ただの
人間に戻っていた。まるで何事もなかったかのように。
湯気が消えるみたいだ。光がすーっと、どこかに消えちまった。
 イツカは相変わらず、綺麗な形をしている。だが、それ以外に目立った箇所
はない。淡く発光していたイツカがその光を失うまでの変化は、ものの数秒の
間に起こり、後には何の痕跡も残されていなかった。今となっては束の間とは
言え、発光していたことの方が嘘のようだった。
確かに青白く光って、暗がりに浮かび上がっていたのに。なぜだ? 
オレの目の錯覚だったのか?
ウィルは釈然とせず、思わず、自問していた。
オレは今、正気だよな?
自分の意識は正常域にある。そう自負し、ウィルは改めて、考えてみる。ここ
がどこかはわからない。
でも、普通の、いつもの世界のどこか、だろ? だって、水の音がする。それ
に、ここは空気が満ち満ちているじゃないか。
ウィルは未だ、いささか頼りない目と、正常な耳と鼻を使って、少しでも自分
を取り巻く環境を探りたいと願い、探査に努めてみる。
湿っぽいと言うか、多少、土臭いけど、でも、肌に触れる、何もかもがそう、
全て、どこかで経験済みの、つまり、普通の世界だ。間違いなく、地球のどこ
かだ。
自分は現実に復帰出来ていると確信し、ウィルは更に考える。
やはり、“イツカもどき”はオレの気の迷いだった。首だけの生き物なんか、
存在しない。当然、あいつも、妄想の産物だったんだ。何しろ、オレはさっき
まで、ギリギリの極限状態にいた。妄想を見たって、仕方なかったよな。
 厳密に言えば、ウィルはそれ以前にも、“イツカもどき”に遭遇している。
しかし、その体験は“もどき”の存在を立証する手立てにはならなかった。
だって、初対面は夢の中だった。たぶん、会ったばかりのこいつの、イツカの
印象がオレの頭の隅に引っ掛かっていて、それで夢に見た。ただ、それだけの
ことなんだ。
多少、不自然で、筋道がまるっきり立たなくとも、それは夢だからだとウィル
は折り合いを付けてみる。
夢なんだから、割り切れないのは当然だろう。それに今は多少の不合理は棚に
上げてもいい。つまらないことは暇な時にゆっくり、考えればいい。
ウィルにはしっかりと現実の方を見る必要があった。
だって、オレは現実に戻って来た。“こっち”は気の迷いでは済ませられない
ことばかりなんだ。
 ウィルは目覚めてから、誰かの手に救い上げられるまでのかなり長い時間、
水中にいたと思う。そして、相当な時間、水中にいたにも関わらず、ウィルは
今も、こうして生きている。それ自体が不自然と、言えなくもない。
もし、三十分とか、そんな時間、本当に水中にいたんなら、さしずめ、オレは
半魚人あたりってことになる。でも、よく考えてみろ、ウィリアム・バーグ。
“夢”を見ている時の感覚は普段とは違う。それと同じことだ。例え、夢の中
で三年過ごしたとしても、目が覚めたら所詮、一晩に過ぎない。それだって、
本当は数秒のことだ。
一晩中、夢を見ていたつもりでも、実際に夢を見ている時間は秒単位。それと
同じだ。オレが水中で必死でもがいていた時間だって、オレにとっては物凄く
長い時間でも、実際は数分間のことだった。そうでもなきゃ、オレ、溺死して
いるはずじゃないか、半魚人でも、魔女でもないんだから。

 

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