あの時、署長の“居城”から出て来たイツカは既に顔色を失っていた。 元々、血色の良い、溌剌としたってタイプじゃないし、丈夫そうにも見えない けど。 考えてみれば、イツカと健康とは容易に結びつかないものだ。 到底、健康的とは言えない。土台が地下生活者だから、仕方ない話なんだが。 日に当たれない特異体質を持つイツカは子供の時分でさえ、日中、屋外を駆け 回ったことがない。引っ越しをした経験はあるものの、どこに住んでも、窓は 塗り潰すか、最初から求めなかったそうだから、結局、いつも“同じ部屋”に 住み続けているようなものだった。 日に当たれない、湿気た夜風にも当たれない。そんな満足に外も歩けない身体 じゃ、健康とは言えないよな。まぁ、屋内スポーツという手もあるけど。そう いうのをやっている様子もなかったな。都合一ヵ月半、一緒にいたことがある わけだけど、暇潰しと言えば、小難しそうな本、読んでいるか、ピアノを弾く か、どっちか。スポーツ番組も、見ていた例がなかった。興味がないんだろう なって感じだった。 その上、イツカは常時、多種類の薬を服用している。そんな状態を遠慮なしに 評すなら、ほとんど何らかの中毒患者のそれだった。 若干、躁鬱激しいし、時折とは言え、人格が違うような時もあった。うとうと 半日眠っていることくらい、ざらだったし。 彼の日常を鑑みると、明らかに一般的な同年代男性の健康とは掛け離れている し、今、寝付いていないことの方が奇跡的にも思えて来る。曲がりなりにも、 職を持ち、働いているのだから、御立派だと思えた。 実際、本当に不健康ってこともないよな。フォレスが四六時中、くっついて、 管理しているんだから、そうそう体調は崩さないし、悪化はさせないはずだ。 ウィルにはフォレスの担う、役割の全てはわからないが、目に見えるフォレス の仕事はイツカの“管理”であり、ごく普通の子守りと変わらない。つまり、 フォレスは子守りとして、イツカ自身が盗まれないように、体調を崩すことが ないように、万全を期してイツカを守っているし、事実上、彼は成功していた はずだった。 多少、融通が利かないくらい、頑張っているからな。 しかし、“当日”に限って、イツカとフォレスの規則正しい生活は大きく掻き 乱され、自宅を出た時には全く予想しない勤務をイツカはこなすことになって いた。 いつものように午後九時に署に入って、“仕事”して、次の午前四時には署を 出るはずだった。つまり、全く太陽と出くわすことのない、普段通りの安全な 生活を送っていたのに、哀れな死体発見の一報が入って、足止めを食らったん だ。 あの日は何かが変だった。そう振り返る。ウィル自身、いつ、どういう過程 を経て、イツカのラボに入ったものか、良く覚えていなかった。 気付いたら、そこにいたって感じ。オレが入れてくれって、頼んだらしいが。 何体かの通常の作業をこなし、その上、もっとも厄介な死体を押し付けられた イツカは当初から、大して機嫌は良くなかった。 当然だろうな。交通事故死した誰かの死体を幾つか診た後に、更に無残なのを オマケに付けられたんじゃ、いい気はしないよな。大体が立ちっ放しで相当、 疲れる仕事なんだし。 『何で、今日に限って、残りの連中がいないんだか』 そう不足そうに呟くイツカの声をウィルは今頃になって、思い出した。 そうだ。クレメンツがいて、そう、あいつがイツカに言ったんだ。 『だから、オレが言ったろ? たかが、“交通事故”で逝っちまった奴らの分 なんか、後に回せばいい。そうすれば、あんただって、疲れずに済んだんだ。 こっちの重要な逸品の方からやってくれって、言ったのに、あんたが聞かない から、そんな疲れるんだよ』 自業自得だと言わんばかりの口調は難だが、ウィル自身、同僚、クレメンツの 認識は正しいと思った。急を要するのは明らかに、新しく発見された他殺体の 方だった。 何しろ、“一色きりの世界”にやられた可能性を窺わせる代物だったからな。 しかし、クレメンツを一瞥するイツカの視線は皆がたじろぐほど、冷たく嫌悪 を含んだものだった。 『犯罪に等級はないし、当然、死体に優先順位は付けられない。だから、僕は 見つけられた順に扱う。言っておくけど、轢き逃げは殺人だ。実際、あの二人 は轢き殺されているんだから』 |