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 あの特別な死体が発見された当日をウィルは丁寧に振り返ってみる。それは
正気に返って以来、ずっと繰り返し続けて来た作業だが、次々、抱え込むどの
新しい疑問にもウィルは何一つ、まともな答えを見つけられずにいた。
埒が明かない。
それでもウィルは“その日にあったこと全て”を一つずつ、つぶさに検証し、
確実に自分の手元に取り戻すべく、同じ作業を続けているし、放棄することも
出来なかった。
投げ出すわけにはいかない。手掛かりはきっと、その中にこそ、あるはずだ。
確かに今、目の前に、いや、立ち上がったウィルの足元に、イツカはいる。
いることは、いるんだが。
濡れた服のまま、うずくまって、イツカはただ、水面を見つめていた。自宅に
いるにも関わらず、着替えのため部屋に戻るどころか、顔を上げる予定もない
らしい。まるで森に潜み、遠い春を待つ小動物のようにイツカは静かだった。
しかし、その様子はウィルには訝しくてならない。
だって。この上は自宅なんだろ? だったら、何で、着替えに戻らないんだ? 
ウィルは天井へと目をやった。ただでさえ薄い、不十分な照明は足元にしか、
向けられていない。当然、遠い天井は一層、ボンヤリと頼りなく、どうにか、
見えているような有り様だ。
見え難いけど。でも、天井は本物だ。あれがイツカの家の床になるんだな。
 ウィルはイツカの自宅を思い出してみる。大層な高級アパートには違いない
が、イツカに代わり、自分がそこに住みたいと名乗り出る者はまず、いない。
豪華ではあっても、厳然とした地下室だ。イツカの住まう階が地下二階だった
か、三階だったのか、数十分前まで溺死の危機にさらされていたウィルの頭で
は俄かには思い出せなかったが、ある意味、それはどちらでも構わない程度の
違いだとも思える。何しろ、二階であっても、三階であっても、即ち、そこが
完璧に“地下”であることに変わりはないからだ。
同じことだ。光が全く差し込まず、微風すら、吹き込まないんじゃ、な。
趣味の良い、高価な調度品に埋め尽くされた部屋部屋には悉く、一つの窓すら
なかった。どの部屋も美しくはあっても、所詮、機械が順次、流し込む空気が
循環して、土臭さを拭う不自然な“箱”でしかなかった。
そうだ。絵は数え切れないほど飾ってある。なのに鏡は一枚もない、おかしな
家だった。
ウィルはまた一つ、新たに思い出していた。
そうだ。こいつの家には写真もなかった。鏡もないけど、本当に一枚も、写真
を飾っていない、奇妙な家だった、、、。
 大人になれば、家族から離れて暮らす。それは当然のことであり、誰でも、
その慣習に倣い、一人立ちをして、新たな家庭を持つ。それは見た目、鳥達の
巣立ちと似ているが、本質的には大きく異なると言えるだろう。
人間は一度別れたら、もう、それっきりってわけじゃないからな。
人間は命ある限り、巣立った生家を懐かしみ、何度も訪ね、年老いて行く両親
を労る。老いて行く両親を持ち続けることは経済的にはやや負担だが、心には
ある種の喜びをもたらしてくれるものだ。
金とか、手間がかかるからって、そんな理由で老いた両親を放り出して、身軽
になろうなんて、決して考えてはいけない。忙しくたって、政府にお任せって
わけにはいかない。二人が共に長生きして、この世にいてくれるだけで、子供
達はずっと幸せでいられるものだろう?
 例え、同居はしていなくとも、人の心はいつでも自分が巣立った、その家に
ある。少なくとも、瞼を閉じれば、ただ、それだけで人はいつでも、懐かしい
我が家へと舞い戻ることが出来る。そして、束の間とは言え、何にも換え難い
安らぎを得て、再び仕事に励むことも、新しい人間関係の煩わしさを我慢する
ことも出来るのだ。
だから、人は家中に懐かしい写真を飾るんだ。それがあれば、気軽に思い出に
浸ることが出来る。身体はこっちにあっても、懐かしい生まれた家に帰って、
安らげる。また、明日、頑張ろうって、素直に思える。
同じように、人間は好んで鏡を覗きたがる。
だって、鏡に映る“自分”は父親を、母親を、兄弟を思い起こさせるじゃない
か。なら、若干、遠回りになるけど、家族の写真を見る時と、同じ効果を生む
じゃないか? 

 

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