一人の人間を具体的に解析する際、専門家であるマークなら、対象者のどこ に着眼し、どう道筋を立て、紐解いて行くのか? あいつはプロだから、上手くやれる。プロだから、稼いでいる。当然、オレに 同じことは出来ない。 その作業をこなすために必要な知識も、技術も、ウィルにはない。それでも、 ウィルは実行したいと思う。俯いたまま、水面を眺めるイツカの、後頭部の中 に存在するだろう“世界”を覗きたいと思った。 だって、オレにはこいつがわからない。大体、何で、ずぶ濡れのままでこんな パッとしない“水”なんか、じっと眺めているんだ? 普通なら。ウィルは考えてみる。誰でも、濡れた服は一刻も早く脱ぎ捨てたい と考える。まして、近くに着替える服が無いわけではない。上の階には彼の服 がまさに山のようにある。そこへ戻り、好きな物を手に取れば、それで済む話 なのだ。 だったら、とっとと着替えればいいんじゃないか? 服はある。それもごく近くに山ほども。 それにも関わらず、そうしようとしない、着替えを優先しないイツカの真意が ウィルには量りかねた。 何が、こいつの足を止めているんだ? こんな所にわざわざいなきゃならない 理由があるのか? 一体、どこに? 確かに大量の水は辺りの照明を映し、きらきらと謎めいて見える。たゆたう 光の粒は美しく、幻想的と表現することも可能だろう。だが、イツカにとって は別段、珍しい光景であるはずはない。何しろ、彼はこの上階に住む、所有者 だ。当然、初めて見た光景ではないだろう。 それなのになぜ、初めて見るオレでさえ、五分で飽きちまうようなものを持ち 主のこいつが、長々と眺めていなきゃならないんだ? 景勝ではない。一度、五分も眺めれば、それきり、何が珍しいわけでもない、 あくまでも、ただの貯水槽に過ぎない眺めだ。 ま、べらぼうにでかいけど。 ウィルは自分には未だ見えない、水の美点を探し出すべく、一、二歩と、前へ 進み出てみた。 もう一度、転落するのは御免だからな。 辺りには手すりだとか、柵のような物は一切、設置されていない。身に危険を 感じ、ウィルはそれ以上、水際へ近付くことはしなかった。 やっぱり、深そうだな。 柵の類いはないが、水そのものには某かの循環機能が与えられているらしく、 水面はさわさわと小さく、だが、絶えず、揺れていた。流れ続ける水音は心地 良いと言えなくもない。だが、濡れた服を着たまま、聴き続けたいと願うほど の、大層な魅力はなかった。水はあくまでもゆっくりとしかし、休むことなく 流れ続けている、ただそれだけだ。 おかしいな。 ウィルは改めて、水面を見据え、首を傾げてみなくてはならなかった。 あの不可解な水の中から、オレは出て来た。脱出出来たからこそ、こうして、 生きているわけだ。 だが、今、ここに、足元にある水はウィルが苦しんだあの青い水と同じだろう か? これが、あの水なのか? オレは本当にこの水の中でじたばたともがいていた のか? ウィルは新たに抱えた疑問にイエスとも、ノーとも、即答出来なかった。 水から這い出て来て、今があること自体に間違いはない。しかし、その確信を 持ってしても、この水とあの水中が同一のものとは信じ難い。 だって、オレのいた青い水中には対流って、なかった。それに。 目覚めたウィルがいた“世界”。それは青い、温かな水中だった。眩い、強い 光が満ち満ち、目を開けているのも辛いほど、明るかった。 本当に明るくて、眩しかった。 しかし、今、同じ水を湛えているはずのプールを上から覗いて見ると、到底、 同じ場所とは思えないほど黒い深淵であり、一片の光すら感じられなかった。 大体、この階の照明はプールを取り囲む縁を照らす、ごく小さなもののみだ。 そのおこぼれの光が揺れる水面に映り、幻想的と言える光景を生み出している だけで、元々、強い光など、全く用意されていないのだろう。向こう側にある はずの果てが見えないほど大きく、当然、深いであろうこのプールのどこにも 眩しさと言うものは見当たらなかった。 ひたすら暗いよな。鳥目だったら、ブレーメンの笛吹きよろしく、次々と列を なして、落っこちる域だよな。 あれほど眩しかった水中なんだ。そこを出て、上から眺めて見たとして、だ。 これほど暗いというような、そんな不可思議なことがあり得るだろうか? あの眩しい光は一体、どこに掻き消えたんだ? 水中にあれだけの光が満ちて いたんなら、当然、水上から見たって明るい。いや、照明を切ったんだとして も、照明設備はあるはずなのに、何もないだと。 見渡す限りの水面にはゆらゆらと、明かりが踊っている。それはごく僅かな、 頼りない弱光に過ぎなかった。 こんなんじゃない。 それは訪れた者がどうにか水に落ちない程度に足元を照らすものであり、その 余り灯が水に映って、ただ揺らめいているだけだ。決して、眩いほどの輝きは ない。 こんな侘しい寂光と、太陽が三つあるんじゃないかって、疑いたくなるような 強くて、眩い光が同一のものであるはずがない。だったら、どういうことだ? オレはこの中から、出て来たんじゃないのか? |