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 ゆるゆるとテーブルの上いっぱいにだらしなく、広がって行くこぼした果汁
のようなあてにならない自分の記憶を、ウィルはかき集めてみる。
あれは“作業”を終えて、隣の部屋に移る直前だった。
イツカは疲れていた。覚悟していなかった分までこなし、疲労困憊だったが、
しかし、彼の機嫌そのものは悪くもなかったかも知れない。
意外にさばさばしていた。元々、若干、情緒不安定で、気分屋だが。
ウィルには思い当たる“原因”に対し、友人として為してやる術がなく、ただ
瞬くしかなかった。
あいつの責任じゃない。好きで呑んでいるわけじゃない。
イツカが毎日、大量に摂取する薬。それはイツカ本人が呑みたくて呑んでいる
物ではなく、彼を管理する側の都合で呑まされている物だ。
イツカが悪いんじゃない。だから、少しくらいの気分の浮き沈みにはこっちの
方が合わせて、付き合ってやらなくちゃ。まして、咎めるものじゃない。
 あの時、ウィルにも見て取れるほど、イツカは疲れていたが、怠けることは
しなかった。慣れた様子で手早く、自分が使い終えた作業室の掃除をし、ゴミ
回収のため、降りて来たジョンに“ゴミ袋”を手渡す。それは普段、人任せの
生活を送っているお坊ちゃんらしからぬ、良い手際だった。
やり取りにも慣れていた。考えたり、気を払ったりする必要なんか、ないって
感じの。
何かをやり取りするには当然、二人の人間が必要だ。一方だけではやり取りは
成立しない。結果、ウィルはもう一方を思い出してみなければならなかった。
ジョンの方も入れて欲しそうなそぶりはなかったし、掃除させて貰えなくても
当たり前って、そんな気楽な顔して去って行った。いつものことって感じで。
何で掃除させて貰えないのか、疑問も感じていないふうだった。
 ウィルはジョンと言う、未だ若い清掃係を思い浮かべてみた。彼とは特段、
親しいわけではない。だが、一度、面識を持ち、気にかけて見るようになる
と、彼はすこぶる健康で、評判の良い青年だった。
あの“被害者”みたいに恵まれた、特別な“何か”を持っているわけじゃない
が、案外、あれくらいが人間、幸せなのかもな。
ジョンは“一色きりの世界”には目をつけられることがない、当たり前の住宅
地の一角、ごく普通の家庭に生まれた青年だった。ちまちまと、だが、ずっと
働き続けて、その金で一つずつ、学年を進めて、現在は大学に在学している。
御立派だ。自分の仕事に誇りを持っているようだし。まぁ、卒業までのバイト
だからな。
通常、自分に割り当てられた持ち場をその主本人に、掃除はせずに立ち去れと
命じられたなら、大多数はラッキーだと思うだろう。しかし、ジョンは少数派
だった。無論、偶に署内で派生する他の騒ぎに気を取られたり、テストを前に
気負うあまりか、隠し持った教科書から目が離せなくなり、掃除の手を抜いて
しまったりとミスはやるらしい。だが、それでも大抵、彼は自分の担当区域は
あくまでも自分が掃除したいと願い出る律義者だった。請け負っているのだと
して。
そのジョンがニコニコ笑って、さっとゴミ袋を持って、次の部屋に行くんだ、
もうそれが当たり前になっているってことだろ? 太陽が東から昇るのと同じ
ように、イツカのラボには入れないと信じちまっているんだろ?
ウィルは小さく、首を傾げた。
おかしくないか? いや、ジョンを部屋に通さないことじゃない。通さない、
理由こそが先ず、おかしい。
イツカが律儀なアルバイト清掃員、ジョンの入室を拒み、自ら掃除をしてまで
も、“トラブル”の完全回避を願う、その理屈こそ、ウィルには面妖なのだ。
イツカが守りたい物。盗まれたり、傷つけられたりしたら困るから、“保護”
してやらなければならないと思っている物。ウィルは目を瞬かせた。

 

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