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 もし、昨日と同じようにマークが来ていれば。彼と無駄話でもして、時間を
潰せばいい。それも一興かと思い、ウィルは車を降りて、寒い中、わざわざ、
表ガレージの様子を覗きに行ってみたのだが、マークのこれ見よがしな高級車
はどこにも見当たらなかった。
そうそう毎日、早出なんか、するわけないか。あいつは元々がお寝坊さんなん
だから。
マークは通常通り、今頃は恋人の部屋にでもいるのだろう。その恋人が明日の
朝も恋人であるかどうかは本人にもわからないことらしいが、マークにとって
はそれが普通の、日常と言うものだ。
昨日だって、仕事で来ていたわけじゃない。イツカに用があって、それで来て
いたんだっけ? そうだよな。ただ偶然が重なっただけなんだよな、偶然が。
ふと思う。事象を決定付けるもの。それは大概が偶然に他ならない。
今朝だって。ただ間が悪かったんだよ。だから、オレはあんな変な、おかしな
夢を見たんだ。オレには土台、男の夢を見る趣味なんかないって言うのに。
 ぶつくさと言い訳と気付かないまま、自分に気休めを与えながら、ウィルは
どうやら、ここでやがて白々と明けて来るのだろう朝とやらを待つしか、術が
ないのだと腹を括っていた。
オレがここで初めて、朝焼けを見るってだけの話だよ。
 それでも何か、目新しい楽しみはないかとウィルは暗いガレージを見回して
みる。昨日と同じ位置に同じ車が同じ持ち主によって、停められている。その
決まりきった惰性こそ、人間には心地良い法則なのかも知れなかった。
そして。
やっぱり、ね。
やはり、フォレスは恐らく、彼の定位置だろう、そこで待っている。
やはり、いつも、そこにいるんだな。
ウィルは先日、フォレスに睨み付けられ、いささか怖い思いをした負の体験を
忘れていなかった。だからこそ、意図的にずっとそちらを見ないように努めて
いたのだが、さすがにもう限界だった。テーマパークの巨大なガレージにいる
わけではないのだ。その一方向を見ないでやり過ごすだけの広さはなく、その
上、この上なく暇なのだ。
おまけに、怖いもの見たさってものもあるし、な。
是非、全ての方向と全ての車を目視してみたい。そんな内なる欲求に勝てず、
ウィルは恐る恐るフォレスの車を見た。だが、怯える必要はなかったようだ。
彼は可愛い“預かり物”が出て来るだろう裏口を凝視するのに夢中で、ウィル
など、いてもいなくても同じことのようだった。
それにしても。怖い顔、していやがる。
ウィルは胸の内でこっそりと、呟く。
「ベビーシッターって、ガラじゃないだろう?」
 フォレス。彼の横顔はガレージのぼけた照明の下でも冷たく、そして強く、
浮かんで見えた。青白い光が照らし出すその表情は厳しく、彼が醸し出す張り
つめた緊張感はこんな駐車場には似合わなかった。整った顔立ちには違いない
のだが、到底、ベビーシッターには見えない表情を浮かべ、フォレスはイツカ
を待ち続けている。
言っちゃ悪いが、子供が泣いたら怒って、壁に打ちつけそうな、そんな顔して
いるのに。
有り体に言えば、フォレスは子守りと言うよりは狙撃手か、何か、そんな死を
暗示するような仕事に携わっているように見える。金を貰い、殺人を請け負う
暗殺者のようだとウィルは思うのだ。
言いがかりかな。
 ウィルは自分の思い込みに釘を刺さなければならなかった。自分は第一印象
だとか、先入観に左右されがちだ。だから、刑事としての実積が上がらないの
だ。
そうだよな。まず、データを集めなくちゃ、な。手持ちのデータがない内から
勝手に、それも軽はずみな判断を下しちゃいけない。いつもそう、肝に銘じて
おかなきゃ、な。
自省を促し、胆に命じながら、しかし、ウィルはふと、我に返る。フォレスに
関してはウィルが更なるデータを集める必要は全くない。彼は個人の雇った、
単なる子守りなのだ。主人の送り迎えをする運転手であり、ボディーガードに
過ぎない彼について、ウィルが調査をする必要は今のところ、なかった。
先はわからないけど。でも、今のところ、ただの市民じゃないか、ごつくて、
厳めしいってだけで。
バンッ。

 ウィルは大きな、力任せにドアを閉める物音に驚き、慌てて、その方向を見
た。振り向くと、まさにフォレスが血相を変え、車を飛び出し、署へと駆けて
行くところだった。どう見ても冷静沈着に見える男があれほど慌てて、走るの
だ。当然、イツカの身に何かあったと考えるべきだろう。
だけど。
中で何かあったとしても、外にいちゃ、わからないんじゃないのか? ああ、
電話が入ったのか。
 ウィルがボンヤリと考えている間に、フォレスは猛然と駆け込んで、あっと
言う間に姿は見えなくなっていた。
まっ、オレには関係のない話だな。
一旦、浮かせかけた尻をシートに沈め直し、ウィルは一息入れようと思った。
自分の出勤時間にはまだあまりにも早い。仕方がない。悪い夢は見たくないと
思うものの、この際だ。二度寝にチャレンジしよう、そう思った時だった。
トン、トン。
 助手席のドアガラスを叩く物音にウィルは首を捻り、そこにある顔を見て、
ギョッとした。にっこりと笑った、その顔。人好きのする、どこか子供っぽい
笑顔で、彼は車内を覗き込んでいた。
嘘だろ?
ウィルにとっては二度目の笑顔。むろん、本人には一生、言えないことだが、
ウィルが悪夢で見たのとそっくり同じ笑顔がこちらを見ていて、正直、ウィル
はどぎまぎせざるを得なかった。
大体、不意打ちだ。でも、何で?
彼は当然、さっきフォレスが消えて行った先、あのドアから出て来るはずなの
に、まるで違う、思いも寄らぬ所から現れた。
そっちから来るはずなんか、ないだろ?
彼が何のためにそこに立ち、笑っているのか、ウィルには全くわからないが、
イツカの方には正当な理由があるらしい。彼はドアを開けて欲しそうだった。
実際、開けてもらえるものだと思っているらしく、要求が叶うまで動きそうに
もなかった。普通にドアが開けられるのを待っている様子なのだ。
ああ。
坊ちゃんは拒否されるなんて、思いも付かないのか。
 小さく嘆息し、仕方なくウィルは助手席のドアを開けてやる。外が寒いのは
既に織り込み済みだった。いつまでも立たせておくわけにはいかないだろう。
開けられたドアからイツカは簡単に乗り込んで来た。彼の意図はわからない。
だが、ウィルの方も一体、なぜなのか、自分でも理由がわからないまま、それ
でも拒むことはしなかった。おかしなことに首を傾げながらも。
おい。何で、おまえは黙って見ているんだ? そりゃ、向こうはこの車に乗り
たいから、開けてくれって意味でドアを叩いたんだろう。開けば当然、乗って
来るさ。それはそれで脈絡があることなのかも知れないけど、だけど、オレの
方からしたら、他の、何か、違う反応の仕方があるんじゃないのか、ウィル。
自分が黙認していること、それ自体が訝しい。だが、やはり、自分の車に悠然
と乗り込んで来るイツカの様子を見守り、ただ首を捻っただけだった。
何でこいつ、オレの車に乗ってんだ? 
そう不思議に思いながら。しかし、イツカは更におかしなことを言ってのけた
のだ。
「家に送って」
「はっ?」
「出来るだけ、スピード出してね。フォレスが戻って来ちゃうから」

 

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