なぜ、オレはこんなことをしているんだろう? 心底、不思議に思い、自分の行動を怪しみながら、それでも大真面目にウィル はドライバー役を努めている。 おかしい。 そんなことをする理由はなかったはずだし、実行する義理もなかったはずだ。 それにも関わらず、なぜ、自分は今、こうしているのか? それがどうしても 解せない。ウィルは小さく、そして、言い訳がましいため息を吐く。 でも、大丈夫だ、ウィル。 そう優しく自分に言い聞かせる。 人間、偶にはこんなこともある。そうだろう? 人生なんて大抵、つまらない ことが原動力になっているものさ。で、そいつを使って、ようやく前へ前へと 進んで行く。そんなものなんだよ、ウィリアム・バーグ。 理由は皆目、わからない。だが、今、ウィルが“こんなこと”をしているの も、きっと聞けば馬鹿馬鹿しいほどくだらない理由があるからに違いない。 そうだ。きっと、あの夢のせいだ。だから、オレ、断れなかったんだ。 ギュッと握り締めたハンドルに両掌の汗が移って、うっすらと湿る。その感触 が少しばかり心地悪い。ウィルは未だ、ほんの数時間も経っていない、先刻、 見たばかりの夢を思い返す。それは起きているくせにうっかり、見てしまった 白昼夢のような夢だった。最初はただ感傷的な、懐かしい夢で、登場人物こそ いなかったが、愛らしい初恋の少女を思い出すことが出来た。決して悪い夢で はなかったはずだ。 もし、夢にでもあの教室を見なければ、懐かしい彼女とは言え、もう思い出す こともなかっただろうからな。 日が経って、すっかり忘れていた娘。しかし、今、思い返してみても、彼女は 可愛らしい少女だった。そして、その顔に似合わず、鼻っ柱が強く、ウィルは 何度も泣かされそうになった。苛めっ子だったのかも知れない。 ちょっとばかし、意地悪でさ。でも、やっぱり好きだったな。 どうしても、彼女の前でだけは、カエルの死体が怖いとは言い出せなかった。 あの時、オレは未だ、ほんの子供だったんだ。 その辺りまでは良い夢だったと思う。実験室の嫌な匂いすら、懐かしく思い 出すことが出来たのだ。だが、その結末はあまりに奇妙なものだった。まるで 誰かに唆されでもしたように、する必要のないことを、しかもいそいそと実行 したのだから。黒い布にくるまれた正体不明の包みを棚から持ち出して、その 中身を確認する。たったそれだけの、だが果たす義理もないようなことを喜び 勇んで実行する、そんなおかしな夢。 しかも、その結末と来たら。 あのくだらない夢の、唯一の登場人物が数時間後、実際に目前に現れ、しかも 自分の車に乗り込んで来るなどと、誰に予見が出来るだろう? まさか、、、。 これも、夢なんじゃないだろうな? ウィルは疑いの眼差しで、こっそりと助手席の様子を窺ってみる。そこにいる のはのんびりと車外を眺める東洋人一人きりだった。もしも、イツカを間近で 見たなら、ビックリする。そう清掃員のジョンは言っていた。可愛い声だとも 言っていた。他に彼は何と言っただろう? 確か、髪が綺麗で、目が何だって、言っていたっけ? よく覚えちゃいないな。 ウィルは半ば、ボンヤリとしていた。ハンドルには常に意識を注いでいる。 自分の過失で事故を起こすようなことは生涯、しないつもりだ。だが、ここに 至るまでの経緯が正直、朧気で、危なっかしい。そう感じて、不安でならない のだ。 この図々しい監察医がオレの車のドアの向こうにひょっこり現れる、その辺り までは通常通り。オレはまともだった。 ウィルは恨みがましく、ちらと助手席を見やった。きちんと一揃い、人として のパーツを持ったイツカは相変わらず気楽そうな面持ちで、車窓を眺めている だけだ。 これは、確かに本物のようだが。 自分は今、確かに現実の中にいると理解しているようで、その実、ウィルは 疑いを拭い去ることが出来なかった。またおかしな夢の中に引きずり込まれて いるのではないか? そう疑い、不安に駆られもするのだ。 だって、起きて、もう久しいのに、途中の記憶が明瞭とは言えないんだぜ? それって一体、どういうことなんだ? 大体、どこから、一体、どうして、こんなに自分の記憶はボンヤリとし始めた のだろう? 振り返ってみる。確かに、イツカが乗り込んで来たその辺りまで は、ウィルの記憶は鮮明な、通常通りのものだった。 そう、今日は初っ端からおかしな日だった。だって、目を覚ましたら、オレの 上にシャロームが馬乗りになってて、しかもギャーギャー叫き立てていたんだ ぜ? 有り得ないよ、普通。 スタート時点はおかしいと思うものの、そこから署にやって来るまでの自分の 行動なり、心情は今日の分として、当たり前に明確に思い出すことが出来る。 一昨々日のことならいざ知らず。今日のことくらいはっきり、きっちりと思い 出せるよ。当たり前だろう? いくら凡才だって、少し考えれば、その日一日 分くらいなら十分、思い出せる。キレはないけどな。それくらいは覚えている よ、普通にな。 その認識の下、辿る記憶はだが、ぷつりと途切れる。イツカと一緒に何か、 そう、嗅ぎ慣れない香りが侵入して来た。良い匂いだと感じたその辺りから、 ウィルは自分が呆けてしまったような気がしてならないのだ。何の匂いだろう と考えたところまでははっきりと記憶している。だが、そこから先が危うく、 まるで他人事のようなのだ。イツカに命じられるまま、発進した時から自身の 記憶ではなくなって、あたかも他人のものでもあるかのように曖昧になった。 その不可思議にもし、心当たりがあるとすれば。 唯一つ、あの匂いだけだ。他には考えられない。異質なもの、いつもの暮らし の中にはなかったものって言ったら、それくらいのものじゃないか? |