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 ウィルは今、同僚、イツカの自宅リビングルームの一角にちんまりと座り、
考えている。まさか、こんな事態に陥るなどとは想像だにしなかった。
ほんの何時間か前までは。絶対に。
大体、あいつが地下、それも地下三階に住んでいるだなんて、予想のしようも
ない、悪い冗談なわけだし。
本当、行きがかりって怖いよな。
人生、何が起こるかなんて、わからないもんだよ、全く。一寸先は闇ってもん
だ、本当に。
暇にあかせて振り返る。今朝未明。知りたがりのシャロームの追求をかわし、
アパートを飛び出したあの時点では予想だにしなかったこの事態。それを自分
はどう捉え、どういうふうに対処すればいいのだろう? 
第一、何で、オレはオレの夢の中でプ〜カプカ浮いていた不気味な“首”野郎
の、その御当人の自宅になんかいるんだろう? お招きされて嬉しいってもん
じゃなし。意味がわからない。
ここにまで至る必然性など、なかったはずだ。
そうじゃないか?
ちったぁ考えてみろよ。ウィリアム・バーグ。
ウィルは頭を抱え、考える。ウィルにとってはあの夢もこの現実も繋がらない
不可解な偶然に過ぎない。しかし、もし、この場にアリスがいたなら。最愛の
妻はどんな新たな解釈を捻り出し、付け加えて、二つの事象を結び付けるのだ
ろう? 彼女の言葉。ウィルの頭の中、そこかしこに無数に刻まれて、何年と
なく別居していても、決して、消えることのない言葉を端から思い出してみる
のだ。きっとこのおかしな事態にも沿う、素敵な言葉があるはずだった。
だって、アリスはとびっきり頭が良いんだから。
『ねぇ、ウィル。この世には意味がないことなんて、何一つ、ないんだと思う
の。起こったからには絶対に、何らかの意味があったはずなんだわ。つまり、
そこに至る必要があったのよ、絶対に』
彼女は全ての出来事は起こるべくして起きるのだと信じている。必然があった
からこそ、一切は生じる。当然、出来事には必ず、その結果に至るだけの意味
があるのだと考えていたようだ。
『全ては連なっているのよ、ウィル。一帯なの、全ては』
そう、アリスは信じていた。
 むろん、それは信仰と呼ぶような性質のものではなかった。だが、その確信
があればこそ、アリスはシャロームの信仰にも寛大になり、結局、自らが自宅
を出て行く結果を選んだようにも思うのだ。もし、アリスにシャロームの勝手
な理屈を、同居したいと言う希望を頭ごなしに突っぱねることが出来たなら。
自分達家族の今は一体、どう変わっていただろう? 
オレは甥だから、ある程度は我慢して付き合ってもやらなきゃならないのかも
知れない。だけど、アリスはそうじゃない。他人なんだ。だったら普通、自分
が自宅に残って、後から勝手に押し入って来たよそ者、シャロームの方を放り
出すよな? それなのに、アリスはこうなったからにはこうなるべき理由が、
意味があるはずだなんて、解釈するもんだから、自分の方が出て行くはめにも
なっちまうんだ、きっと。
アリス。
君は結局、お人好しなんだよ。
だって、いくら考えても、オレには君の理屈がわからないんだ。
今も。
ウィルは小さく息を吐いた。実の甥である自分より。
はるかにアリスはあいつに優しかった。

 もしも、アリスの言葉を丸ごと信じるなら。ウィルがあんな夢を見たことに
も、イツカに命じられるまま、ここまで送って来たことにも、ウィルには自覚
出来ない、だが、厳然とした意味とやらがあったことになる。
どんな必然性があって、ここまで送って来たって言うんだよ? アリス。
ウィルはもう一つ息を吐き、リビングルームを見回してみる。マークは普通の
家だと言ったが、それは事実誤認か、もしくは意図を持った嘘だろう。実際、
ここにある物全て、ウィルの視界に入るそれらは皆、どれもこれも一見、地味
な、しかし、明らかに高級品だった。ただ、住人自身に財力を誇示する意欲が
ないらしく、どれ一つ、これ見よがしな物を選んでいないだけだ。
一見すると地味。でも、しっかり高級品ばっかりだ。
趣味は悪くない。
だけど。
やっぱり、妙な空間だよな。壁の存在が強すぎるんだな。迫って来るような、
そんな感じがするんだ、何となく。
 今、ウィルが感じる違和感は結局、先入観がもたらす気の迷いに過ぎないの
だろう。予めここが地下だと知っているからこそ、感じる圧迫感であり、何も
知らずにこの部屋を写真で見たなら、感じるものではないはずだ。もし、何も
知らなければ。大方の人間は良い部屋だと、むしろ好感を持つだろう。だが、
事実を、“地下”だと知ってしまえば、さすがに落ち着かない空間だった。
 ここが地下、それも地下三階だと思っただけでウィルは落ち着かない。今日
まで想像もし得なかったプレッシャーを覚えるからだ。
だって、あんなに綺麗な壁紙の向こうは全て土、土、大量の土なんだぜ。普通
は土って、足の下にだけあるもんなんじゃないのか? 
それなのに。ぐるりと四方全て、土だなんて。
あたかも大量の目が壁一面にずらりと居並び、自分一人を凝視しているような
そんな絵空事じみた圧迫感を覚え、ウィルは僅かに寒気すら感じる有り様なの
だ。この部屋を取り囲む土の総量は一トン、二トンではない。途方もない量の
土で出来た壁。やはり、どう考えても普通の環境とは言えなかった。
蟻じゃあるまいし。
人間がこんな穴の中に正気で住んでいられるものなのか?
こんな土中に住むくらいなら。
いっそ窓があり、四六時中、人の気配が感じられる、あの貧乏ボロアパートの
方がよほど、健康的でありがたいと言うものだ。
あいつには言えないことだけどな。
陽に当たれない特異体質とはきっと、端で思うより深刻なアレルギーなのだ。
ようやくウィルもそう、気付く。
シャレで我慢出来る生活じゃないよな。

 

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