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 その認識の下、改めて室内を見回してみる。するとこの調度を誂えた人間の
苦心がより一層、鮮やかに浮かび上がって来るようだ。苦労の程がよくわかる
。その誰かの試行錯誤ぶりが見て取れるようだった。
難儀したんだろうな。
そう思う。
その人間は取り囲む大量の土砂から当然、受けるだろう無言の圧力をどうにか
住人達に忘れさせるべく、温かな色と柔らかな形を選りすぐって、この部屋を
作った。最善を尽くした成果は十分に評価出来る。特段のきらびやかさはなく
、むしろ簡素が先に立つ穏やかな室内は心地良いものだ。
悪くない。
いや、土の圧迫感を忘れさせてくれそうな、そんな期待すら抱かせるレベルに
ある。
恐らく。
空調には相当な金をかけているんだろうな。
何とはなしにウィルはそう考えた。
こんな土中にいて、土臭さや湿気を感じないんだからな。いい出来だ。
だが、さすがにここで一生は暮らせない。
こんな地面の、いや、違う。土の中でなんか暮らせっこない。
罪人じゃあるまいに。
 ウィルは自分の思いつきに辟易し、こっそりとため息を洩らした。土中での
暮らし。それは随分、昔、遠い過去における刑罰の一つだ。
中世だな。
それに比べ、今時の刑務所はウィルのアパートよりはるかに快適だ。何しろ、
刑務所には偏屈な叔母がいない。当然、毎朝、違う物が食べられるのだ。
人殺しのくせに。
そう、こっそりと毒づいてみた。
夕食だって、どう考えても、七種類以上の献立があるはずだし。
ウィルは瞬いた。
もし、シャロームが刑務所を管理していたら、人権蹂躙で大騒ぎになるんじゃ
ないのか。
あいつ、訴えられるよな。それで、毎日が裁判だ。
ウィルは自分の思いつきに苦笑し、虚しい心地を味わう。
つまり、オレには犯罪者ほどの人権もないのか。
やるせない。しかし、それでも毎日、日光浴を楽しみ、風を味わうことも可能
な、気ままな暮らしが約束されているに等しい。
病気にでもならない限り、陽には当たれる。それじゃ、まだましなクチか。
そう思い直しながら、ふと先刻、イツカが出て行ったドアを見やった。
そう言えば。
あいつ、本当にオレを知っていたのか? 
でも、何で?
 ウィルの方は監察医であるイツカの名前程度は知っていた。監察医としての
彼の仕事ぶりは有能で、その上、署長のお気に入りという噂があった。
ちょっとした裏の有名人だったからな。
イツカには噂話に上るだけの話題性があった。だからこそ、イツカと言う名前
を聞き覚えるチャンスがウィルにはあった。だが、イツカの方はなぜ、ウィル
の顔までも知っていたのだろうか?
オレがウィリアム・バーグで、オレの車になら乗っても大丈夫だって、知って
いたって言うか、わかっていたから乗り込んだって、そんなことを言った、よ
な? だけど、それにしたって、だ。初対面の男の車に自分からさっさと乗り
込むなんて、まともな神経の持ち主のやることじゃないだろう?
そんなことをすれば、あの子守りの大男が逆上するに決まっているんだから。
つまり、ボンボンには警戒心ってものがないのかな?

 小さな物音と共に出て行ったドアから、やはり、イツカは戻って来た。洗い
終えたばかりの濡れた髪。うっすらと湯気を立ち上らせながら彼は機嫌良さげ
な表情を浮かべている。どう見ても苦のなさそうな、お坊ちゃん育ちの人間に
見える。怜悧な頭脳の持ち主だという事実の方が薄れるほど、実物の彼は気楽
そうだった。
「ねぇ、ウィル、お腹、空いてる?」
「別に。第一、そろそろ署に戻らないと。遅刻しちまうからな」
イツカははて、何を言うのだろうとでも言うような、不思議そうな顔でウィル
を見やった。
「何だよ?」
「君、今日は仕事、休みだよ。だって、出られないでしょ?」
「は?」
こいつ、一体、何を言い出すんだ?
「何だって? オレが今日、休みだって? 何で? 今日は出勤日だ。だから
ちゃんと、いや、時間こそ極めて早かったがあの通り、とっくに出勤していた
じゃないか?」
「でも、状況が変わっているでしょ」
「状況って?」
イツカは怪訝そうに首を傾げる。
「フォレスが血相を変えてドア、開けている最中なんだよ。わざわざ、そこに
出て行くなんて、自殺行為でしょ? 自分からトラックに衝突して行くような
ものだと思うんだけど」
ウィルは瞬いた。
「つまり、ほとぼりが冷めるまで動くな。ここにいろと?」
「そう」
「へぇ。で、いつ、あいつの気が静まって、オレはここから出られるんだ?」
「知らない。でも、慌てなくてもいいじゃない? ゆっくりして行ったら?」
 ウィルはあまりにも気楽なイツカの言いぐさに目を丸くし、即座に勢い良く
立ち上がった。
冗談じゃない。
「ふざけるな。おまえは自分の仕事が終わっているから、気楽だろうよ。だが
な、オレはこれからが仕事なんだ! 冗談は子守り相手に言ってな!」
「別にふざけているつもりはないけれど、無理なものは無理だよ。諦めて二、
三日は休むって、連絡した方がいいと思うよ」
イツカはニコニコと笑った顔で、とても知性派とは思えない手前勝手なことを
言う。彼には仕事を休むくらい何でもないことならしい。そう言えば、観察医
の仕事は毎日必ずあるものでもないし、交代出来る他の監察医も控えている。
どうりで。
ウィルはため息を押し殺した。
こいつにとっては代わってもらえばいいって話なんだ。
 だが、末端の刑事であるウィルにはわずかな同僚がいるばかりで、その上、
到底、抱えきれないような大量の仕事を共有している状態だ。
頭数が少なすぎるんだよ。それに。
最近はこの町にもおぞましい集団が近付いて来ているらしいからな。
とても悠長に構えちゃいられないんだ。
だって。
ウィルは小さく息を呑む。
“一色きりの世界”。
その狂った集団はあちこちの州であらゆるパターンで市民を殺し続けている。
その犯行とおぼしき事件が今週に入って二件も、この近くで起きているのだ。
ぐずぐずしてはいられない。
「正面から出られないんなら、裏口に案内しろよ」
「裏口? そんなものはないよ。ドアは少ない方が安全だっていうのが、フォ
レスの持論なんだから」
「はぁ?」
ウィルは思わず、間抜けな大声を上げていた。

 

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